奸計
【お父様ばかりズルいです!】
遠話器の向こうでは不満が爆発している。
【カイ兄様と御一緒で楽しそうです】
「待ちなさい、セイナ。ここは前線なのだぞ?」
【ではカイ兄様は今どうなさっているのですか?】
「あー、さっき見た時は焚き火の横で昼寝していたが……」
【ほら御覧なさい。カイ兄様がいらっしゃる所は安全なのです。そこは危険なんて有りません】
どこかの総理大臣がした強論みたいな事を言うセイナ。
「皆が私を守ってくれているから安全なのだ。それは忘れてはいけないぞ!」
【はい……。すみません……】
近衛の者達の様な保安要員の苦労を無視する言動は許せないクラインは語気を強める。
そこへ駆け込んできた小動物が彼の身体を駆け上る。
「ちっちー!」
【あら、リド。元気そうですね】
「ちゅーい! ちるっちゅちゅいっちゅー!」
【わたくしも元気よ。早く会いたいわ】
「ちゅちゅーい!」
「ダメよ、リド。勝手にここに入っては」
カイの腹の上で丸くなっていたリドが急に本営に駆け込んでいってしまったので連れ戻しに来たチャムだ。
本営前の立哨衛士も彼ら冒険者に関しては出入りに制限をしていない。本来なら義務を履行していないのだが、王太子からの指示であれば彼らも否は無い。
「ごめんなさい。お邪魔して」
「いや構わん。耳が良いのだな、リド」
【チャムですね。代わってください、お父様】
遠話器を差し出されたチャムはとりあえず耳に当てる。
【チャム、お元気ですか?】
「あら、セイナだったの。それでリドが反応したのね」
【はい、お話してました。どうですか、そちらの様子は?】
「割と呑気なものよ。回りくどい作戦を採っているからかしらね」
【うー、セイナもそちらに行きたいです】
「さすがにそれは無理よ。自衛手段も持たない子には少々危険過ぎるわ。我慢なさい」
【じゃあ、お戻りになったらチャムが剣を教えてくださいますか?】
「そうね。それも無くは無いけどあなたは魔力が十分に有るんだから、そっちのほうが向いているかもよ」
【わたくしが魔法士に?】
「良い教師も居るからお願いしてみなさい。もしかするかもよ?」
【すごく楽しみになってきました。早く帰って来てくださいね、チャム】
「解ったわ。良い子で待っていなさい」
【はい、カイ兄様にもそう伝えてくださいね?】
「ええ、じゃあ代わるわ」
「ではもう切るぞ。エレノアの言う事を良く聞いて大人しく待っていなさい」
遠話器を眺めて溜息を吐くクライン。
「良いお父さんしているのね、クライン様」
「うーむ、私の身を案じる言葉が一つも無かったのはどう理解すれば良いと思う?」
「信頼されている、と思っていたほうが精神衛生上よろしいんじゃなくて?」
「……そうしよう」
父親もつらいよ、なのである。
◇ ◇ ◇
街壁崩落個所前にホルツレイン分隊が並ぶこと、七
睨み合いが延々と続き、鬱屈を溜め込んでいるトレバ警備部隊は「
しかし
注目しろと言わんばかりにホルツレイン軍の幟を掲げた騎士はもう一騎の魔法士に頷き掛けると、拡声魔法を掛けてもらったようで、大音声で口上を始めた。
『ロアジン市民に告ぐ! 我らホルツレイン軍は君達市民を傷付ける意図を持って進軍してきたわけではない! 我らが敵としているのは、他国への侵略を繰り返すトレバの王権である! 皇城に巣食う害悪である!
それらを取り除かねば我らは平和と安寧を教授する事も叶わぬのだ! それを剣を以って正すべく我らはここに在る!
故に君達市民は何の懸念も無く
繰り返す!……』
こう言われても「はい、そうですか」とはいかない。
ロアジンに籠城している以上、対外的な商活動は全て停止している状態だ。物品の流入は妨げられている。このまま各地からの食糧の供給が止まれば市民が飢えるのは間違いない。現実に品薄になりつつある物品も少なくない。通常の市民生活も何も無いのだ。
ではそれはなぜ起こっているのか? ホルツレイン軍はその意図は無いと言ってきた。しかし街門を固く閉ざして物品の流入を妨げているのは誰か? 皇城である。ホルツレイン軍が「害悪」と名指した存在である。自分達の生活を困窮させているのはホルツレイン軍ではなく皇城なのではないか?
ロアジン市民の、いささか短絡とは言える思考はそこへ向かって行っている。
事ここに至ってトレバ皇城はホルツレイン軍の意図を正しく理解した。
クアルサスは苦虫を嚙み潰したような顔をする。彼奴等は皇城を孤立させ、市民に暴動を起こさせる気なのだ。それは想定される中で最悪の事態である。外憂を抱えた状態で、内にも敵を作られるともう
ところがそれを妨げようとする者が出てくる。当然、クアルサスの足を引っ張ろうと意図した訳ではない。だが現実的にそういう結果になってしまうのだ。
「陛下! このままでは市民が暴動を起こしてしまいます。速やかにホルツレイン軍の告知を否定し、市民生活の保障をする布告をお出しくださらねば、市民達が!」
皇王ルファンの傍にはもはや彼の意見を肯定するしか能がないような人間だけしか残っていない。そのような人間が最も気にするのは保身だ。市民の暴動で自らが傷つくのを恐れた彼らはルファンに早急な対応を願うだけだ。
「市民の暴動だと? そのようなものは捨ておけ。それよりもホルツレインの逆賊共を速やかに排除せよ」
「む、無論、それも大事でありますれば、しかしロアジン八十万市民が我らに牙を剥けば只事では済みませぬので、どうか布告のほうをご一考くださいませ」
「だから市民など捨ておけと言っておる! もしや朕に逆らう民あらば、殺して城門前に骸を晒せ。さすれば恐れてつまらぬ考えなど起こせぬわ」
ルファンはさも名案だとばかりに笑う。だがそれは完全に逆効果だ。もしそんな事をすれば間違いなく暴動は拡大の一途を辿るだろう。
しかしルファンがひと度そう口にしたという事は王命だ。市民の虐殺まではいかないまでも、布告のほうは絶望的。ホルツレイン軍の告知も遠回しに放置の方針を示されたようなものだ。
クアルサスは打ちひしがれた思いだ。何もかもが上手くいかない。今回も独断で告知の阻止を指示しなければならないだろう。それも皇王を取り巻いている愚臣共の口からルファンの耳に入ったらどうなる事だろう。今回ばかりは自分もお終いかもしれない。不謹慎にも彼はこんな風に考えてしまった。
(暴動を起こしたいのは、俺だ)と。
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