見えにくい事実

 保ったのは三だった。

 それまでは無理を言って修復作業をやらせていたが、現場からの声が限界を示していた。それ以降はクアルサスの独断で警備の兵を三倍に増やしただけで済ませている。夜間は魔獣の侵入警戒で元の数の兵だけだ。


 なのにホルツレイン軍は何もしてこない。朝になるとやってきて兵達を緊張させ、ただ整然と並んでいるだけだ。それが流れ作業のように行われているならば、多少は警戒を緩めても良いのだが、彼奴等はずっといつでも挑み掛からんばかりに睨み付けて圧力を掛けてくるのだ。


 クアルサスは自分達が何をやったんだと言いたくなってくる。彼自身は忘れているようだが、九前にホルツレインに攻め込んで、ホルムト市民を恐怖に陥れたのはトレバである。攻められたほうは恨み骨髄だが、攻めたほうは敗戦の記憶とも有って自分達の責任を忘れていられるらしい。

 ともあれ膠着状態と言える今は、じっくり次手に関して熟考する時間が得られたと思っていた。


 現場の警備兵はホルツレイン分隊からの視線にも慣れてきつつある。二もそんな状態が続けばだれてくるものだ。だから彼らは気付いていない。


 背後からの視線が冷たくなってきている事に。


   ◇     ◇      ◇


 ホルツレイン軍営には連陽れんじつ高速馬車が乗り付けてくる。乗客は軍所属の『倉庫持ち』達だ。彼らは軍営に到着すると物資を放出し、翌陽よくじつまで休息に入る。そして翌朝になると再び馬車に乗り込んでホルツレイン国内に設定された軍事物資集積地まで戻り、また一の休息を経て物資を格納すると軍営に向けて旅立つ。その高速馬車部隊が複数存在し、軍営に潤沢な物資を補給し続けるのだ。


 もちろん彼らの警護を担当している部隊も存在する。国境線に集結した警護部隊は小隊単位に分かれて、敵国に侵入する補給部隊に合わせて移動している。それだけの人員を投入して補給線を構築しているのだが、これでも『倉庫持ち』の存在で簡略化出来ているのである。もし『倉庫持ち』能力者が居なければ、距離によっては補給線の維持だけで本隊と変わらない数の補給部隊が必要になる。

 ともかく今現在、諸般の理由で好景気に涌いているホルムトは豊富な物資を前線に送り込んできてくれているのだ。


「チャマ肉なんて久しぶりよね」

 その物資のおこぼれに与かっている四人の冒険者は、軍本営近くで火を囲んで昼食の真っ最中だ。

「フィノ、こんなに柔らかい鳥さんのお肉なんて初めてです」


 チャマは大陸各地で、食肉用として飼育されている飛ばない鳥だ。村落などでも飼育されてはいるが、主に玉子取り用で、肉に落とすことは少ない。大都市でこそ大量飼育されて食卓を賑わすが、農村部や辺境ではほとんど口にする事は無いだろう。その辺りの蛋白源は主に魔獣だ。

 獣人居留地と辺境しか知らなかったフィノには珍しい食材なのだった。


「焼くとやっぱり差が出ちゃうよね。香りと言い、柔らかさと言い、脂の乗りと言い、ひと味違うなぁ。旨味なら魔獣肉でも勝負できるんだけどね」

 トゥリオにとってはこれが本当の肉なのだが、それを言及すると集中砲火が来そうなんで沈黙を保っている。

「でもね、フィノ。こんなんばっかり食べてるとね……?」

「た、食べてると?」

 何とも言えない流し目をくれてくるチャムにビビるフィノ。

「太るわよ」

「ひっ!」

 危うく肉串を取り落としそうになるフィノ。

「ああ、うう、でも美味しいんですぅ」

「負けたわね?」

「ここに居る間だけなんで許してください」

「まあ、誰かさんの好みがぽっちゃりなら別に構わないんじゃない」

「へ?」

 その誰かさんは咳き込んでいるので許してあげて欲しい。


「ここに居たのか、魔闘拳士殿」

「あれ、どうしたんです? 呼び出されたんですか? ルーンドバック様」

 通り掛かったのは聖騎士卿である。

「いや、戻ったところだ。今陽きょうの西側第一隊に加わっていたのでな」

「はい? ガラテアさんは聖騎士ともあろうお方を威嚇するだけの部隊に配置したんですか?」

「いや、志願したのだ。軍営で燻っていたのでは、前線の感覚が抜け落ちていきそうでな」

「そんなものですか?」

 軍人の精神を青年は解さない。

「日常が魔獣と切った張ったの貴殿らとは心の持ちようが違うのだよ。軍務卿も兵の士気を落とさぬよう苦労しておられるぞ」

「うーん、でもこのは時間掛かっちゃうのは仕方ないんですよね」

「解らんでもないが、それで済まんのが指揮官というものだ」

「もうそろそろ次手を打つので我慢してもらいましょう。それより、こんな簡素な料理で良ければいかがです? お昼、まだでしょう?」

「いただこうか」

 実は先ほどから漂う料理の香りに、腹の虫が騒いでしようがないルーンドバックなのだ。


 椀に注がれたスープをひと口味わったルーンドバックは目を見張った。

「む? 貴殿らは陽々ひび、これほどの物を食しているのか?」

 それは見た目の雑なイメージとは違う、複雑で深い味を彼の舌に伝えてくる。

「むぅ、豆が肉の旨味を吸って何とも豊かな味に」

「ベースには違う魔獣の骨を使って、それで骨付きチャマを煮込んでありますからね。骨から肉が外れるくらい煮込み、そこに乾燥豆を入れたんで良い感じに仕上がっているでしょう?」

「街の料理店でそこそこの金を払わねば食する事の出来ぬ深い味わいだ」


 ここ数陽すうじつ、カイは夜間巡回と鍛錬以外の時間をずっと出汁取りに費やしていた。肉や魚は避難民達に放出したが、スープ作りにと保存しておいた骨だけは残っている。それらと余っている時間を使ってせっせとスープの素作りをしているのである。とは言え素材を鍋に放り込んで、傍らに寝転んで昼寝と決め込みつつ、たまに起き出してはアク取りをしている程度である。後は夕方煮出した骨を軍営地の外れに埋めに行くくらいか。

 そんな呑気な様を彼が見せているという事は、作戦は問題無く経過していると考えてホルツレイン軍幹部は眺めているだけだった。ガラテアに至ってはたまに食事に乱入している。


 顔を綻ばせて二杯のスープを平らげたルーンドバックは満足気に一息吐いた。

「私は解った気がする」

 フィノが手渡してくれたお茶を啜りながら彼はそんな風に切り出した。

「ずっと監視しているとトレバ兵の壁の向こうには街の暮らしが有った。ロアジンの民が普通に暮らしているのが見えた」

「そこで暮らしているんですもの」

 話を続けやすいようにチャムが相槌を打つ。

「私はあそこに敵が居るのだと思っていた。トレバ皇国は敵でロアジンの中には敵が潜んでいるものとばかり思い込もうとしていた。だがそこにも人が暮らしているのが生々しく見えてしまった」

 ホルムト会戦で多くの敵兵を前に戦ったルーンドバックは闘志をそのままここに持ってきてしまっていたのだ。

「戦争だからと言って火矢や魔法を射込めば、焼け出されたり死傷するのは彼らよ。それがやっと見えたのかしら?」

「そうだ。カイ殿はそれが解っていてこのような策を採っているのだな。安易に攻め込めば真っ先に犠牲になるのは彼らだと」

 それだけだと言えば嘘になるのだが、否定も出来ないカイは沈黙を保つ。

「あなたには姑息な策に見えていたわよね?」

「お恥ずかしながら」

「構わないわ。この人、変に悪ぶって真意を隠そうとするところがあるものね」

「ふふ、チャム殿にかかっては魔闘拳士も形無しだな」

「うふふ」

「止ーめーてー。人の子供っぽいとこ、本人の前であげつらわないでー」


 彼女の目だけは簡単に誤魔化せないと解っていても、これはちょっと恥ずかし過ぎると思うカイだった。

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