激情

 見える空が青く美しく感じるのがとても不思議だ。


 刹那の後に終わる命なのに頭はちゃんと働いてくれるんだ。


 魂だけならあの綺麗な所へ行けるのかな?


 そろそろか……。


 ごめんね、櫂くん。


   ◇      ◇      ◇


 遺体で発見された中学生の警察の検死が終了したのは翌日。結果は全身打撲と頭部損傷による転落死。現場検証の結果、事件性は無く自殺と判定された。


 ただ、その中学生は遺書を残していた。彼の部屋から発見された遺書には虐めを苦にした自殺が示唆されていた。この事を重く見た警察は、学校と教育委員会に調査を要請する。


 そんな内容が地方版の報道番組で簡単に扱われて終わる。


   ◇      ◇      ◇


 終わらないのは遺族側だ。検死が行われていたので通夜は翌日の夜となった。


 父の克己は棺桶の置かれた祭壇の脇で無表情で座っている。母の澄江は今はただ泣き崩れている。昨夜は放心状態から脱せなかったのだから少しは良くなってきていると言えるだろうか。

 克己はお悔やみに来てくれた方々に一礼し、拓己の顔を見る事を遠慮するようお願いしていた。

 しかし、修の一家は拝顔させていただいた。ある程度の修復は為されていたがかなりの損傷が認められる。ほぼ即死だっただろうと素人にも解るほどだ。

 修は口惜し気に顔を顰め、礼子はハンカチから顔を上げられず、礼美はその場に泣き崩れて落ちた。


「何でなの! 何で拓己くんがこんなにならなきゃいけないの! 誰の所為!」


 礼美のその言葉は多くの者の気持ちを代弁していたが、だからと言って賛同の声を上げられるものではない。だから項垂れて沈黙を保つしか出来ない。

 ただ、櫂だけが能面のような無表情でずっと拓己の顔を見続けている。その胸中には、怒りと悲しみと後悔とが渦巻いている。


(僕は馬鹿だ。知っていたのになぜ見過ごした? なぜあの時退いてしまった? なぜ問い詰めてでも聞き出さなかった? なぜ守らなかった? その拳は何の為に有る? 拓己くんを守る為じゃなかったのか? 痛みに耐えていたのはこんなとこで拓己くんを見送るためか? 違うだろう? お前は何をしている!)


 一年近く前の記憶が頭をよぎる。この事態はその時十分予測できた筈なのだ。なのに櫂は彼の戦いに遠慮して、結果彼を殺してしまった。どれだけ後悔してもし足りないだろう。

 このままでは何かもが無為に思えてきそうで恐ろしかった。


「櫂くん、少し良いかね?」

 克己が声を掛けてくる。呼ばれるままにフラフラと伯父の下へ行くと、彼が書面を渡してきた。

「これは拓己が君だけに宛てた遺書だ」

「は……い?」

 確かに表には『櫂くんへ』と書いてある。


「これは警察にも見せていないし、我々も中を見ていない。どうか拓己の最後の言葉を君だけで聞いてやって欲しい。頼む」


   ◇      ◇      ◇


『ごめんね、櫂くん。僕は負けてしまったよ。

 痛くて辛くてどうしようもないから死を選ぼうと思います。

 偉そうに君に人を傷付けちゃいけないとか仲良くしなきゃいけないとかずっと言っていたのに、

 きっと僕のこの決断が一番君を傷付けてしまうよね?

 だから、ごめんなさい。

 でも、こんな辛いのがずっと続くといつか僕は言ってしまう。

 あいつらをやっつけてくれって言ってしまう。

 全てを君に被せて自分だけ逃げてしまう。

 それだけは絶対にやっちゃいけないと思うんだ。

 それをやったら僕はこの先ずっと君の横に居る事なんて出来なくなってしまう。


 僕は格好良い君の傍に居たかった。

 君の真似をちょっとだけしてみたかった。

 その結果がこれなんだから笑っちゃうよね。

 だから、こんなバカの事は忘れてください。

 そうじゃないと恥ずかしいから。


 人って死んだら本当に生まれ変われるのかな?

 本当なら今度は櫂くんみたいになりたいよ。

 正義の味方になりたいよ。

 だったらあいつらなんかに負けなかったのに。

 一緒に肩を並べて戦えたのに。

 そんな事ばかり考えちゃうんだ。

 僕はもう僕じゃなくなってしまってきているんだ。

 心が恨み言ばかり言ってくるんだ。

 だから、もう終わりにします。

 本当にごめんなさい。

 さようなら。



 大好きな尊敬する櫂くんへ』


 最後のほうは脈絡がおかしくなってきている。拓己が精神に変調を来しているのが解る。それほどまでに追い込まれていたと解る。

 別室で、一人で彼宛ての遺書を紐解きながら櫂は思う。


 だからと言って、自分の身体の奥底から湧き上がって来るものを止める事など出来ない。この感情は櫂の精神を簡単に焼き尽くしてしまうだろう。


 櫂を案じて別室を覗きに来た礼美は見てはいけない物を見てしまった気分になる。


 遺書を前に跪き、項垂れて五指の爪を畳に突き立て、声も出ないほどに奥歯を噛みしめ、憤怒の表情で涙を流し続ける櫂の姿を。


   ◇      ◇      ◇


「少し頭を冷やしてきます」

 そう言って玄関から出ていく櫂を止められる者など誰も居なかった。

 彼自身も本当に頭を冷やしたかったのだ。そうでもしないと自分が何をすべきなのか考えることも出来ない。


 夜道をふらつきながら歩いていると、よく拓己と遊んでいた公園が見えてきた。そこで少し思い出に浸りながら落ち着こうと思っていたのだが、先客が居る。


「見たかよ。あいつ本当に飛びやがったぜ」

「ああ、馬鹿じゃねえの。誰が飛べっつったんだよ」

「ひゃひゃひゃ、お前だろうがよ」

「誰もそんな事いってませーん。そんな事したら警察に捕まっちゃいまーす」

「ひでえ奴。ちっとも悪いとか思ってねえんだろ?」

「ああ、俺が悪い訳がねえじゃねえか。金持って来いっつーのに持ってこないあいつがが悪いんだろ?」

「無茶苦茶だな、ほんと。ひゃっひゃっひゃっひゃ」

「あいつ、何て言ったよ? 親に迷惑掛けられないからお金だけは勘弁してくれ、だっけ?」

「だったら俺らに迷惑掛けずに盗んできてでも金渡せってんだよな?」

「そうそう。大人しく持ってくりゃ痛い思いしなくて済むのによ」

「そうすりゃ俺らの手も痛くならなくて済むってのに」

「そうだな、あいつが悪い」

「俺たちゃ別に屋上から突き飛ばした訳じゃないからな」

「そうそう」

 三人の上級生に見える少年達がそんな自分勝手な会話を交わしていた。


 そして櫂の心は激情の炎に焼き尽くされてしまうのだった。

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