マルテの涙
まずは大盾の握りの部分を一度取り外す。裏側に『倉庫』の反転構成記述を刻印していく。次に握りの親指側に刻印起動線を伸ばし、直径
これは一般的な魔法具に使われている方式で、ワンタッチで起動させたい時には便利な方法だ。遠話器の様な簡単に起動しては困る魔法具には向かないが、今回の様に速やかな発現を望む場合にはこういう起動方式が向いているだろう。
「
「おう、それが良いな。割とごつい、着けてる感が有るほうが好みだぜ」
「了解」
握りを元通り取り付け直しながらトゥリオに訊ねると、明確な注文が返ってきた。これくらいハッキリしてくれたほうが作るほうもやり易い。
幅広の
「じゃあ格納しようか。
「こうか?」
「この座標で固定して格納するよ」
トゥリオは何を言ってるのかは解っていないだろうが、二人の観衆、チャムとフィノはドキドキしているようだ。
「これで一応僕が関わる操作は終わりだから、後はトゥリオ次第だよ」
「よし、やってみるか!」
「あ、ちゃんと構え姿勢を取ってから出さないと身体に当たっちゃうからね」
『倉庫持ち』でも物品を何かに当たる位置で取り出そうとすれば、座標はズレが生じる。空間は二重存在を許してくれないので、押し退けやすい気体ぐらいしか有ってはならないのだ。今回の場合、身体に当たる位置で取り出そうとしたら手から離れた位置に反転されてしまうだろう。
トゥリオが魔力を込めた指で
観客から「おお!」と声が上がり、パチパチと拍手も起こる。
大盾の握りの水晶に親指で触れると、再び大盾は
「こいつは楽ちんで良いな。ありがとよ」
「うん、主にブラックが助かるから良いんだよ」
トゥリオは
フィノはトゥリオの腕を取って
「もったいないのよねえ。便利なのに物品が一つに限定されてるんじゃ…、もしかして!?」
「気付いた? 『倉庫』ってアレでしょ」
『倉庫』の特性として、箱詰め・袋詰めの物品は一つに認識されるものがある。チャムが気付いて、カイが示唆したのはそれだ。
「
「中に詰める荷物次第で紐付け情報量が上がっちゃいますよ?」
「それは最初から太めに繋げとけばいいのよ。上手にやれば箱馬車くらいの荷箱だって不可能じゃない筈」
考えている内に二人はぞっとしてきた。これはもしかして物流そのものに革命が起こってしまう。顔を見合わせた二人は「はは…」と力無い笑いが漏れてきた。
「これは高価く売れそうだねえ」
約一名は意地の悪い笑みを顔に浮かべているが。
◇ ◇ ◇
朝のまだ冷たい空気の中で、ナーフス林を縫って歩く。濃い空気が身体に沁み込むようで気持ちがいい。
リドは道すがらのナーフス一本一本に登って果実の熟し具合を見ては「ちゅーい!」と鳴いている。彼女なりに確認作業をしているのかもしれない。
「問題無さそう?」
「ちゅい!」
合格点らしい。
一緒に歩いている
パープルが後ろからカイの肩口に頭を擦り付けて甘えてくる。首筋を撫でてやりながらカイはぽつりと言う。
「そろそろ行こうか」
◇ ◇ ◇
「え? 旅立たれてしまうのですか?」
仲間達に相談して賛同を得たカイはレレムに報告に来ていた。
「幾らでも居て下さって構わないのですよ。迷惑だなんて誰一人思っていませんから」
「ちょっと長居をしてしまいましたが、僕達は旅人なのですよ。色んな場所を見て回るのが目的なんです」
「忘れていました…。そうですよね。そういう方でないと獣人居留地に来たりしませんものね」
「これからの獣人居留地は変わりますよ。こぞって商人達がやって来る。あなた方は良い売り手で良い買い手にもなるのですから。単なる旅人達もやって来るようになるかもしれません」
カイは獣人郷の将来を夢見て語る。
「その旅人達はあなた方の人柄に触れて感銘を受け、各地でその話をする。その噂は広まっていき、中には
「そんなに変わっていくものでしょうか?」
「それが緩やかにか速やかにかは分かりません。でも土地はそうやって発展していくものだと思っています」
「そうなっていくと多くの問題も生まれてしまうのでしょうね?」
カイが頷くのを見てレレムは続ける。
「でも変化を恐れてばかりでは、その向こうの豊かさも幸福も無いんでしょう?」
「難しいところです」
複雑な話に飽きてしまってレレムの子アムレは膝でうつらうつらと船を漕ぎ始めている。
彼が大人になった頃には、獣人達の暮らしはどんなに変わっているのか、思いを馳せる二人だった。
◇ ◇ ◇
フィノはがっしりと抱きついて離れないマルテに戸惑いしかなかった。
「どこにも行かなくて良いにゃ ── ! みんな、ここでずっと暮らすにゃー! 行くなんて嫌にゃー!」
泣きわめくマルテは自分が誰に抱きついているのか解っていないのだろうかとフィノは思う。何かにつけ、噛み付いてくるばかりの彼女がそんなことするなんて思ってもみなかったのだ。
でも他の三人には解っていた。マルテが絡んでいくのは大好きなカイを除けば、必ずフィノだったのだ。それがマルテの心情を一番表していた。気の置けない相手はやはりフィノだったのだろう。
「ごめんね。でもみんなで行くって決めたからフィノも行くねぇ」
「犬には訊いてないにゃ!」
それでも意地っ張りは治らない。
「また会おうね、マルテ。絶対にまた会えるから」
「嘘にゃ! 行っちゃったらもう獣人居留地になんか帰って来ないにゃ!」
カイが宥めに掛かるが納得しないようだ。それでも一緒に行くとは言わない辺りが彼女がまだ自分が子供だと解っているからだろう。
「そうだ、ホルムトに着いたら連絡するから遊びにおいで。大きな街だから幾らでも買い物出来るよ。楽しい事もいっぱい有るよ」
「絶対にゃ。約束にゃ?」
「うん、約束しよう。その時まで良い子にしてるんだよ」
「分かったにゃ。約束にゃよ」
次にレレムと握手する。
「レレムもありがとう。色々教えてくれて勉強になったよ」
「こちらこそお世話になったばかりで。レレムもまた会えますか。ご恩返しをさせてください」
「ええ、また会える
「はい、ありがとうございます。必ずや」
一つ頷いて視線を移す。ミルム達五人を見回して別れを告げる。
「じゃあね、みんな。元気でね」
ペピンはしゃくり上げているが、他の者は耐えている。ミルムも涙を溜めた目で見てくる。
「お達者で」
騎乗した彼らはゆっくりと小さくなっていく。
「バイバイにゃー、カイ! チャム! トゥリオ! 犬もまたにゃー!」
マルテは自分からこんなに涙が出てくるなんて初めて知ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます