ナーフス園

 植え付けの指導と言っても大した事は出来なかった。大きめに穴を掘ってあまり固め過ぎないように植えるぐらいの事しか分からない。それでも密林と大きく変わらない肥沃な大地は吸芽を受け入れてくれるはずだ。


 カイとトゥリオは貴重な男手として、ごうを中心とする植え付け予定地をグルリと囲う柵作りに精を出す。

 基本的に郷の近くには魔獣は近寄りたがらないが、それでもはぐれ魔獣が接近する事は有る。せめてナーフスの幹を傷付けるような四足獣の侵入くらいは防いでおきたい。その為の柵と北側の出入り用に大きめの開閉扉を作っている。


 柵の目途が付いたところで植え付けの様子を見に行ってみると、マルテ達も上機嫌で作業している。

「育つにゃ~♪ 実るにゃ~♪ いっぱいナーフス食べるにゃ~♪」

「ご機嫌だね、マルテ?」

「当たり前にゃ。これで毎日ナーフスが食べられるようになったら、あの不味いツレ芋食べなくて済むにゃ」

 周りの者達も公言はしないものの、少なからず不満は鬱積していたらしい。この言に苦笑いを返している。

「この子はカイって名付けたにゃ」

「一本一本の名前付けてるの?」

「今、思いついたにゃ。この子は強く大きく育っていっぱい実を付けるはずにゃ」

「僕と同じ名前じゃ、大きくは育たないかもしれないよ?」

 彼は自嘲を込めて軽口で答える。

「そして三輪さんねんで枯れるにゃ」

「枯れるの、僕!?」


「そんな事を言ってはいけませんよ、マルテ」

「出たな、ガミガミババア」

「誰がガミガミババアですか!」

 レレムの笑顔に怒りが籠っている。

 すぐに近付いたカイは軽く頭を撫でて怒りを納めてもらう。この習性を彼は短期間で見抜いていた。様々な感情に振れていた獣人も頭を撫でると不思議と落ち着くようだ。こういった習性は子供の頃のそれを引っ張っているものが多い為、何かあるのだろうと思う。

「レレムもマルテもナーフスを食べるだけで済ましちゃいけませんよ」

「食べたらダメにゃ?」

 早くも涙目になるマルテ。

「違う違う」

「どういう事ですか?」

「今日、取りに行っている分の子株も植え付けて育てるとここはナーフスの林になるでしょう?」

「そうなりますね」

「魔獣も居ないから仔猫達の遊び場になるにゃ」

 彼女はレレムより一歩進んだ事を考えている。これが有るから感性の人は恐ろしい。無意識に核心を突いてくるのだ。

「そうかもしれないね。そして、そのナーフスの林にはいっぱいナーフスの実がなります。それこそ食べきれないくらいに」

「無駄も出るかもしれませんが、何かの病気かなんかで枯れる木も出てくるかもしれませんので、ある程度の数は確保しておきたいと思うのですが」

 これは長としての考え方だ。一応の保険無しに方策を打つのは危険だと知っている。

「いえ、どんどん増やせばいいのです。ここで育ったナーフスの木にも子株は出来るので、また移植すればいい」

「そこまでして無駄に増やしても世話が大変になってしまうのは困ってしまいます」

「そうですね。ですがそこに対価が発生すれば別ではないですか?」

「それはどういう…?」

 レレムにも彼が何を言っているのか理解できなくなってきた。

「ナーフスを食べたがるのは獣人だけではないって事です。トゥリオ、フリギアでのナーフスは珍重されてない?」

「ああ、市場にほとんど出て来ないって言うか、ほぼ皆無だからな。食った事有るのは大体貴族だけだと思うぜ」

「それなら間違いなく売れるわね」

 ひと作業終えて歩み寄ってきたチャムが答えを出す。

「そういう事。ナーフスの実は商品になるんですよ。その為にこれだけ大きなナーフス園を作ろうとしているんです」


 その革新的な考えはレレムにも正しく伝わったようだ。それだけに彼女は考え込んでしまう。

「でも…、レレム達は商品にするほどの量のナーフスを隊商用地サイトに運ぶ術を持っていません」

「売りに行く必要なんてないわ。買いに来させればいいのよ。それくらいの価値は有るってカイは言っているの」

「あああっ!」

 レレムは驚愕に染まる。獣人にそんな事が出来るなんて思えないという常識が彼女を邪魔していたのだ。

「そんな事が可能なのでしょうか…、そんな事が?」

「おそらくそのほうがお互いに効率が良いと思いますよ。『倉庫持ち』がほぼ居ない獣人には交易は難しいでしょう? その点、フリギア商人たちは多数の『倉庫持ち』を抱えている。ナーフスを腐らせずに買い手の元に運べるんですよ」

「売れますか?」

 不安は簡単には拭えない。

 獣人はその地に住んでいるという自覚がある。だからこの地を『獣人居留地』と呼ぶ。

 だが、フリギア王国から見ると住まわせてやっている、という感覚なのだ。ゆえに獣人に分け与えている地域を『獣人居留域』と呼ぶ。それは隊商用地サイトでの対応で身に染みて感じられる。


「どう思う、トゥリオ?」

「飛ぶように売れるな。ほぼ間違いなく。ナーフスみたいな嗜好品的要素が強い商品はびっくりするほど大当たりする事が多いぜ」

 レレムの鼻息が荒くなってきている。自分の予想の範囲を大きく逸脱してしまったその未来予想図は郷にどんな変化をもたらしてしまうのだろう?

「郷は豊かになれます…、よね?」

「おそらくね。でもそこに落とし穴がありますね。商人たちはこぞってやってきて、高く買うから寄越せと言ってくるかもしれません。もちろん競わせれば利益は大きくなるでしょう。自分達が食べるのはそこそこにして売り物に回すのも自由です」

「それはきっと将来的に不利益になるわ。交渉が可能だと思わせれば今度は安く買ってやろうと考えるのが商人という生き物よ。純朴なあなた達が海千山千の商人と対等に渡り合うのは難しいわね」

 再び不安に苛まれるレレム。彼女のこれまでの生涯の中でもこれほど感情の上下の激しいは無かったかもしれない。

「では、どうすれば」

「一商人、もしくは一商会と契約したほうが良いかもしれませんね」

 今、植え付けているナーフスの木が実を付ける様になるまで二~三往2ヶ月半~3ヶ月半くらいは掛かる。それだけの時間があれば一本当たりの単価だったり、どのくらいの量を郷で消費しどれだけ売るかを考える時間は十分にある。利益が有るなら別にナーフスばかりを主食にする必要はないのだ。小麦粉や乾燥豆など保存の利く穀類を買い入れてもいい。

 そういった食のバランスを取り入れる余地も有るとレレムに説明する。


「考える事が多過ぎてパンクしそうです」

「急がなくていいから、ゆっくり考えてください。どんな形がデデンテ郷に一番良いのか? 選択肢も未来もいっぱい有るんです」

「そうします。環境の激変はおそらく私達には毒になる気がします。少しずつ進めていった方が良いんでしょうね」

 彼女はもう冷静さを取り戻している。聡明な彼女には新しい未来を紡ぐ事が出来るだろう。

「さあ、皆さん! 豪雨スコールが来るまでに一段落させますよ。穴掘りからやり直すのは避けたいですよね?」


「上手くいきそうですね、カイさん」

「いってくれないと立つ瀬が無いね」

「フィノもこの先が見たくなってきましたぁ」

「何とか獣人居留地全体に広めたいところだけど」

「フィノも協力します!」

 獣人の明るい未来に彼女も意気込んでいる。

「それならさっさと穴掘るにゃ! 犬にはそれくらいしか取り柄が無いにゃ!」

「あなたはナーフス食べる事ばかり想像して涎を垂らすのを止めなさい!」

「うるさいにゃ!」

「そっちこそ!」


 もうちょっと仲良く喧嘩して欲しいと思うカイだった。

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