小さな望み

 身なりの良い商人がほくほく顔で道を行く。何か良い商談でも纏められたのだろうか。何にせよ今夜は良い酒でも飲むのだろう。

 午後の雑踏はその通りを埋め、道行く者たちと商人の上等な衣装が擦れているが気にも掛けていない。前方をよぎった子供がその出た腹を擦っていったがそれさえもどうでもいい事のようだ。どうせ今宵の美食とその後のあれこれに意識が行ってしまっているのだろう。


 しかし、その小さな手は握り捕らえられる。小銭が収まっているだろう革袋が掴まれている手が。


「それはダメだよ。それをやってしまったら僕は君を許せない」

「なんだよ、お前! 俺が何やったってんだよ!」

「離すんだ」

 そう言って革袋を奪い取った黒髪の青年が商人に声を掛ける。

「御主人、これを落とされましたが大事なものでは?」

「お? おお、済まんね、ワシのだ。拾ってくれたのか」

 懐を探って有るべきものが無いのに気付く。

「ええ、お困りになってはいけないので」

「殊勝だな。駄賃が要るか」

「結構ですよ、このくらいの事で。どうぞお気をつけて」

「ありがとう。助かった」

 革袋を返してしまう。掴んだ手で少年を背後に庇いながら。


「余計な事しやがって! あとちょっとだったのに」

「あとちょっとで君は犯罪者だよ」

 実際は既に犯罪なのだが、被害がない事で済ませるつもりだ。

「君は盗んだお金で何をするんだい? 美味しい物を買ったって味なんてしないんじゃないかい?」

「いいんだよ。俺が食うんじゃないんだから」

「じゃあ、誰が食べるの?」

「いいだろ、そんな事」

 拗ねた様にそっぽを向くが、カイは追及を緩めない。

 手を掴まれてもいるが、いつの間にか女剣士と大柄な戦士に囲まれてしまっている。

「その子は、君が盗んだようなお金で買ってきてくれた物を食べて喜ぶのかな?」

「喜ぶよ、当たり前だろ!」

「近所の子かい?」

「……」

「女の子? 気を引きたいの?」

「違うよ! 同じ院の子だよ! 俺だって孤児だよ! 悪いかよ! 孤児だからってお菓子くらい食っても良いだろ? 一往ひと月に一回くらいならお菓子ぐらい食ってもいいじゃんかよ! 孤児はそんな贅沢言っちゃダメなのかよ!」

 堰を切ったように言葉が溢れてくる。

 言いたくとも言えなかった気持ちの吐露はカイでなくとも痛ましさを感じてしまうだろう。

「そんな事は無いよ。贅沢なんかじゃない。行こうか」


 少年は抱えきれないほどのお菓子を持たされていた。隣の青年も大きな袋を抱えている。

 少年の先導でその孤児院に到着した。

「こいつはルミエール教会の孤児院だな」

「やはり教会が孤児院運営をしているのかな?」

「国の施設もない事ぁないが、知れてるな」

 ホルムトではアトラシア教会しかなかった為、足が向かなかった場所である。今は基本的に国家運営だから運営状況は悪くないはずだと思っているが。

「こんにちは!」

「何でしょう? あらラクタ、どうしたの、お客様?」

「連れてけってうるさいんだよ…」

「初めまして、カイと言います。子供達に贈り物をしたいのですが、お邪魔してもよろしいでしょうか?」

「まあ、ありがとうございます。私はメルネアです。騒がしいとは思いますが、どうぞ」


 それぞれ自己紹介して三人はお邪魔する。

 中には一~二歳の本当に小さい子から十歳を越えていそうな子まで様々な子供が二十数名は居る。


「レムジー!お菓子だ! こんなにいっぱいあるんだぜ。食いたかったんだろ? 好きなだけ食えよ」

「ありがとう、ラクタ。でも小さい子達に先にあげてね」

「なんでだよ? お前だけ我慢しなくていいんだよ!」

「ラクタなら分かるでしょう? 小さい子は我慢できないの。でも私達は我慢できる」

「いいや、我慢しなくていいよ。君も食べなさい」

 近付いてきた黒髪の青年にそう言われて、少し腰が引ける。

「あの…、あなたが恵んでくださったのですね。ありがとうございます。この幸運を神に感謝を」

「そんなふうに大人にならなくてもいいんだよ?」

「大丈夫です。先生の苦労に比べたら私達なんて」

「そうなの?」

「…そうです」


 小さい子達がすごい量のお菓子に群がっている。

 中くらいの子は少し遠慮して、大きい子達は小さい子を嗜めている。おそらくそんな風景が普通なのだろう。

 果たしてそれが正しい姿とはカイには思えない。


 ひとしきりお腹が膨れたら子供達は珍しい客に寄ってくる。

「お姉ちゃん、これ本物?」

「ええ、本物の剣よ。だって私は冒険者だもの」

「すげー、冒険者だって。かっこいいー」

 憧憬の目が向けられる。

「ねえねえ、兄ちゃんも冒険者?」

「ああ、そうだぜ。今日は持ってきてねえが、いつもはこーんなでっかい盾を持ってんだ」

「うわー!」

「ひゃー!」

 こうなるともうただ驚くのが楽しくなってきていて、何を言っても大騒ぎになる。

「あなたも冒険者なのですか?」

「そうだよ、レムジー。僕も冒険者をやってる。変かな?」

「物腰が柔らかくて、とてもそんな風に見えなくて。ごめんなさい」

「謝るような事じゃないよ」

 彼はずっと考えている。

 これは不自然だ。子供の在るべき姿じゃない。でも、これが現実だ。


 セネル鳥せねるちょうを教会と孤児院の間にある中庭に入れて子供達と遊ばせる。子供達は、見かける事はあっても身近に接する事の少ない騎鳥に大喜びだ。

 チャムとトゥリオはとっかえひっかえ鞍に乗せてやるのに忙しい。そこには笑顔が溢れている。


「メルネアさん、少し良いですか?」

「はい、お構いもしませんで、申し訳ございません」

「とんでもない。とりあえずこれをどうぞ」

 カイは革袋に詰まった100シーグ8千円金貨三十枚を差し出す。

3000シーグ二十四万円あります。院でお役立てください」

「こんな大金、よろしいんですか!?」

「冒険者って意外と儲かるんですよ?」

 冗談めかして言う。

「孤児院の運営は大変ですか?」

「お恥ずかしながらギリギリというのが実情です。本当に助かります。あの子達に着るものどころか、時には食事も減らさなくてはいけなくて」

「それは正常とは言いかねますね」

 歯に衣着せぬ物言いに、彼女は苦悩の色を見せる。

「ですが、皆様に寄付をいただいて運営しているのです。もっと欲しいなんてとても申せません。苦しくともやっていかなくてはいけないんです。あの子達を裏路地に追いやるなんて私には絶対に出来ません」

「あなたはお優しいんですね」

「そんな事…。私の力が及ばないばかりに、あの子達に苦労を掛けてしまって。大きな子達には、小さな子達の世話はもちろん、料理の手伝いまでさせてしまって。辛いと思うんですよ」

 メルネアも貧困を心苦しく思い、子供達も大人に気兼ねして生きている。社会はそんなに優しくないのだろうか?


 一生懸命、小さい子の面倒を見ているレムジーの姿を眺めていて、一つの考えを試してみるべきかと思う。カイの寄付で一時は潤っても、このままじゃ誰も幸せになれない。


「レムジー、おいで」

「何でしょう?」

 彼女を目の前に座らせ、一つ質問する。


「君は幸せになれるならもうちょっと頑張れるかい?」

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