テーセラント公爵家の人々(2)
ナーツェン・テーセラントは驚いていた。事実上、王族に近い扱いを受ける公爵家の居室に簡素な服を着た二人組が客人としてやってきたのだ。
母のキャリスティは侯爵家の名門アルクートの出だが、少々おっとりし過ぎているきらいがある。そんな母に取り入って何くれと便宜を計ってもらいたがる者達も多い。普段は父がそんな者達は寄せ付けもしないが、今は男手は自分だけである。
六歳でも、いざとなればこの小さな身体を張って母を救わなければならない。そんな決意を抱いて訪問者を見る。
一人は珍しい黒髪の青年。
妹のミルティリアを抱き上げている彼の顔は笑顔に安定している。大人は腹に一物持っていても見事に取り繕っているものだ。警戒は緩められない。
ただ、番犬も兼ねているオッグが何の警戒もなく落ち着いて彼に寄り添っているのが不思議に感じる。
もう一人は目の覚めるような美貌の女剣士。
ちょっと困ったような笑顔をしてはいるが、何を考えているかは解らない。
一瞬、ナーツェンを見つめた彼女の瞳に冷たい光がよぎった様な気がする。それで警戒が強まると彼女はナーツェンの前に両膝を突いて視線を合わせてきた。
「こんにちは。私はチャム。君の名前は?」
「…ナーツェンです」
「そう。ナーツェン、私が恐い?」
(見透かされた)
ナーツェンは驚く。
「いえ、そんな事は…」
「お母さんを守りたいのね。偉いわ、こんなに小さいのに」
ふわっと抱きしめられて、母とは違うとても良い香りがした。
彼女の瞳にはもう柔らかさと深い慈愛しか感じらない。
「ごめんなさい」
「構わないわよ」
クスッと笑う彼女になぜか謝らねばならないような気がしたのだ。
「いけないんだ。そんな小さい子を怖がらせて」
「うるさいわね。私はあなたみたいにいつもニコニコしていられないのよ」
「どうして? ずっと笑っていれば皆、チャムとお近付きになりたいって思うよ」
分かっていて軽口を叩く青年。
「それを避けたいからそうしてるの」
「そうだね、何ならその笑顔は僕限定でもいいよ」
様子を窺うように笑う。
「その専属契約は高くつくわよ?」
「一生かけてでも払うよ」
「またあなたはそんな事を…」
ちょっと頬を赤らめるチャムと呼ばれた女性を可愛らしいと思ってしまった。
「ほら、ナーツェンにも笑われちゃったじゃない」
「あ、ごめんなさい」
「君はいいのよ。彼に困っているだけ」
警戒心は完全に緩んでしまった。もう無理だとナーツェンは思う。
「お母様のお知合いですか?」
「ううん、ルティのお客様よ、ナーツェン」
「ちっちゅう!」
見上げるとミルティリアが薄茶色の小動物を抱いている。
(ああ、そういう事か)
ナーツェンは理解した。
妹にはよくある事なので、今更言及しても仕方ないのだ。
「ようこそテーセラント公爵家の居室へ」
◇ ◇ ◇
話を聞くと彼らは冒険者なのだと言う。
なぜ冒険者がこのレンギアの王城に居るのかは解らない。だが、ここは上階のほうとはいえ前城の一部だ。一般人が出入りしても変ではない。
それでも案内役の先導も無しにここまで入って来れるほど自由ではないはずなのだが。
お茶にしつつナーツェンは彼らから旅の話を聞いた。
各地の風物や、産物の味の話などはとても興味深い。出入りの商人などから話を聞く事もあるのだが、彼らのそれほど現実感を伴っていなかった。
ルティはテーブルの上でカシカシカシカシとクッキーを齧るリドという小動物を見て、キャッキャと喜んでいる。妹はもうリドの虜のようだ。
「その子が何だと思う、ナーツェン?」
カイと名乗った青年の突然の質問に少し身構えてしまう。
「あなたのペットですよね?」
「うん、僕の友達だよ。そして
「えっ! 本当ですか!?」
ナーツェンほどの立場でも稀に街門外まで出掛ける事はある。
しかし、その時は必ず多数の護衛を伴っている。人間の襲撃者も警戒すべきだが、一番は魔獣への警戒だ。彼にとっては危険の代名詞に近い。
「ホルツレインより忌避感は弱いって聞いたけどそれでも身近な存在じゃないみたいだね」
「だって、それは…」
「魔獣だから恐い? 知らないから恐い? 僕は後者であって欲しい。それなら知ればいいんだもんね」
頭の回転が速いナーツェンは、その言葉が額面通りの意味ではないと思えた。
「…人の在り方はそうあるべきだとカイさんはおっしゃるのですか?」
「うーん、そうであってほしいってくらいかな? むしろ自分に言い聞かせているというのが正確なところかもしれない」
「それは…、時間が掛かるかもしれませんが、努力を惜しんではいけないんだと僕も思います」
「賛同がもらえて嬉しいよ、ナーツェン」
最初の印象はガラッと変わってカイが非常に思慮深い人物なのだと解ってナーツェンは感服した。
つまり彼が言いたいことはそういう事なのだ。魔獣も人も常識だけで捉えてはいけない。自分の目と頭で判断しなければならないと心に刻む。
そうこうしているうちにノックの音が響いた。
「済まない、待たせた、キャリー。今夜の食事は彼と…」
そこで室内にいる客人に気付いて絶句する。
「なっ! 魔闘拳士殿、なぜここに?」
「お邪魔しています、バルトロさん。ご家族方と懇意にさせていただいてました」
ナーツェンは息が上手に出来ないでいた。
(え、魔闘拳士さま? カイさんがあの魔闘拳士なの? そんな事が有り得るの?)
確かにそう呼ばれる人物が王城に滞在しているとは聞いていた。
機会があればお会いしたいと思っていた。そのサーガに謳われる英雄はナーツェンの憧れであり、尊敬の対象だ。しかし、その武勇伝を聞くにその方は偉丈夫だとしか思えなかったのだ。
「あの、あなたは本当に魔闘拳士さまなのですか?」
「そう呼ばれる事が多いね。でもナーツェンにはカイって呼ばれたいかな?」
こみ上げるものが口をついて溢れ出しそうだ。だがその前に手を取られてしまった。
「友達ではダメかな?同じ考えを共有したもの同士として」
「はい、嬉しいです」
彼にはそれ以上の言葉が出なかった。
「人が悪ぃな、全く。気付いてたんだろ?」
「うん、奥方様のドレスの家紋がバルトロさんと同じだったからね」
相変わらず何を企んでいるのか解らないパーティー仲間に苦言を呈する。
「有意義だったと思うよ。君の親友の家は安泰だね」
「そりゃ当たり前だ。あいつは俺と違って頭が切れるからな」
「まあいいや。ゆっくりしてくるといいよ」
「悪いがそうさせてもらう」
そう言うとトゥリオはテーセラント公爵一家との会食に向かった。
「向こうの公爵家後継と違って、こっちの公爵家次男坊はとんだ抜け作よね」
「まあそう言ってあげないでよ。伸びしろあると思ってるからチャムも彼にキツく当たるんでしょ?」
「それ、止めて」
そんな事を言いながら部屋に着くと、カイの隠しで遠話器の呼出音が鳴る。
「あれ? まさかそんなに早くに?」
通話状態にしてカイが応答すると相手は思いがけない人物だった。
【カイか? こっちの声が聞こえるか?】
「ええ、聞こえてますよ、クライン様。想定よりずいぶん早いんですけど」
【当然だ。ここはベックルだからな】
「なんでまたそんな所に?」
話を聞くに、クラインは王命を受けてベックルの事態の収拾に派遣されたらしい。そこでカイがロドマンに託していた遠話器の入った箱を受け取り、遠話を掛けてきたそうだ。
「よく陛下があなたを遠隔地まで出しましたね」
【陛下にも思うところがあるのだろう。ここは…。これ、やめなさい。……、嫌です、わたくしもカイ兄様と話したいんです! カイ兄様、なんでベックルで待っていて下さらなかったのですか? お会いしたかったのに!】
「ああ、ごめんね、セイナ。でもまさか…」
【言い訳は聞きません!】
理不尽だ。
どうやら、こちらのお嬢様は大層ご立腹のようだった。
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