テーセラント公爵家の人々(1)

 セネル鳥せねるちょうが居座る馬場の一角で三人はいつもの鍛錬をしている。王城住まいになって数陽すうじつもすれば彼らの噂は広まり、チラチラと覗きに来るものも居るが、まだ声を掛ける度胸がある者までは現れていなかった。

 誰か一人が思いきれば、あとはなし崩しな状態になりそうな雰囲気だったが、その強者つわものがこの現れた。


「どうかお手合わせお願いしたい!」

「僕に挑んでも、もう美姫は売れてしまいましたよ? …はっ! まさかチャムを!?」

 のんきに構えていたカイはその事実に気付く。

「いや、違うんじゃないかしら」

「そんな事は無いよ。男なら君を欲しがるに決まってる。こうなれば相手には命の覚悟をしてもらわないと」

「頼むから死人は出さねえでくれ」

「違うっつってんでしょ!」

 拳骨二発被弾しました。


「魔闘拳士殿とお手合わせできるとなれば武門の誉れ。どうか御一手」

 抜け駆けするだけあって中々に胆力がある。放置にもへこたれない。

「仕方ないですねぇ。あまり気が進みませんが」


「いきなりフレイラー騎士公からかよ」

「こりゃ良い勝負かもしれないぞ」

 外野から色々聞こえてくる。中には露骨に言ってくる者も居る。

「魔闘拳士って言ったって、あのサーガは十輪じゅうねん以上前の話だぜ。もうとうにピークは過ぎている筈。フレイラー騎士公が遅れをとる訳が無いじゃないか」

「でもよ、よく見て見ろよ。あれ見てそんな台詞が吐けるのかよ」

 ようやく少年の域を脱したばかりに見える黒髪の青年の顔付きがそう言わせてしまうのだろう。


 カイは相手を観察してみる。

 まだ壮年と呼ぶには遠い精悍な容貌に短めの顎髭を蓄え、素晴らしい筋肉が胸甲ブレストプレートを押し上げている。盾を持たず、幅広の両手剣を携えて油断無く構える姿は実に様になっている。

 そのスタイルが彼の身体に染み着いているだろう事は容易に想像出来る。


 カイはいつもの左半身の構えから受けの態勢に入る。

 一度沈んだ剣がスッと左肩に向いて伸びてきた。確実に胴体の中心線を狙ってくる基本に忠実な剣だ。

 そのまま体を入れ替えるようにひるがえって剣の腹に右掌底を入れると、剣に引かれるように上半身が流れてしまう。カイは苦い顔をして右足をグッと踏み出し、上体を捻って左拳を胸甲ブレストプレートの中心に打ち込んだ。

 金属がひしゃげる音と共に後ろに撥ね飛ばされてしまう。騎士はごろごろと転がった後、ぴくりとも動かなくなってしまった。


(あれ、弱いぞ?)

 声援が一気に鎮まり、沈黙が支配する。

 やってしまったかと思って冷や汗をかいてしまっている彼に後ろから声が掛かる。


「悪いがカイ。王城なんぞで暇を持て余している連中はそんなもんなんだ。出来る奴は城門外の軍詰め所に居るか、辺境の国境警備に出払っている。この国じゃ城勤めは名誉職か閑職なんだよ」

「尚武の国ならではの現場主義みたいなものなのかな?」

「まあ、そんな感じだ」

 これではあまり意味がない。


 この国では組手の相手はしないほうが良さそうだとカイは思った。


   ◇      ◇      ◇


「リドはどこ行ったの?」

 いつものカイの頭の上の、薄茶色い装飾品の存在が無いのに気付いたチャムはちょっと心配になったようで尋ねてくる。

「今、流行ってる遊びの最中なんだ。そろそろ戻って来るから」


 そう言った彼の目線が少し開いた窓に向いているのを見て、彼女は窓際に歩み寄る。

 窓を開けて外を覗くと、窓台に合わせて城壁をぐるりと巡っている出っ張りの上をリドがてててーっと駆けてくる。


「散歩に行ってたの、リド?」

「ちゅいっ!」

「楽しい?」

「ちー!」

 また少し窓を通り過ぎたリドが立ち止まって振り返り、ついて来いと言わんばかりに鳴く。

「いや、無理だから。そんな狭いとこ」

「ちっちぅ?」

「お誘いありがとね。また今度にするわ」

「ちゅい!」

 一声鳴いてまたてててーっと駆けていった。


「叶わない約束をするのはいただけないなぁ」

「じゃあ、あなたが付き合ってあげなさいよ」

「僕はちゃんとお断りしたよ。いくらチャムが着替え中でも、隣の部屋までも無理だって」

「なんでそういう説明になったのか話し合いましょうか?」


 相変わらずひと言多い。


   ◇      ◇      ◇


 リドが城巡りをしていると、さっきは開いていなかった窓が開いている。


「ちゅ?」


 中を覗くと、花台の花瓶の花が活け変えられていた。

 どうやらメイドが花を活け変え、換気の為に開けていったのだろう。真新しい黄色い花は新鮮な芳香を放っており、それに誘われてリドは花台に降り立つ。

 花瓶の口に前脚を掛けて立ち上がると丁度花弁の高さに鼻が届いて鼻腔内に香りが充満する。ここしばらくは城暮らしの為こういう刺激に飢えていたのか、いつの間にか夢中になって嗅いでいた。


「わんわん!!」


 油断していたところに背後から急に声が掛かってリドは驚いて跳び上がる。花瓶を回り込んでそっと覗くと幼い女の子が母親らしき女性に連れられてこっちを指差している。


「ルティ、あれはわんわんじゃないでしょう?」

「わんわん、違う?」

「ええ、あれは…。ん? あの子は何て鳴くのかしら?」

 母親らしい女性は首を傾げている。

「ちぅ」

「わんわん…」

「ち、ちー…」

「わん…、わん…」

「ちゅぅぅ…」

 女の子はだんだん涙目になってきた。

 なぜか責められている気分になってきてシュンとしてしまうリド。


「その子はリド。ちーちーって鳴くんだよ」


 そんな声と共に女の子は抱き上げられて、ちょっと驚く。

 だが、気になっていた小動物は彼にタタッと駆け寄るとするすると肩まで昇る。丁度似たような目線になった女の子が手を差し出し、リドはその手をクンクンと嗅ぐ。まだ幼い女の子は甘い香りがしてもっと嗅ぎたくなり近付くとギュッと抱きしめられてしまった。


「そっと抱いてあげてね。まだ小さい子なんだから」

「そっと?」

「うん、そっとね」

 女の子は抱く力を緩めて、リドに頬ずりする。

「ふわふわ」

「気持ちいい? 良かったね」

「ごめんなさいね。この子、本当に動物好きで」

 微笑む母親と目が合う。

「構いませんよ、ご婦人。リドも退屈していたでしょうから」

「ちーちー」

「ちゅい」

 そこへチャムも顔を見せた。

「ああ、リド居たのね」

「うん、見つかった。いや、見つかってた?」


 カイはサーチ魔法でリドに誰かが接近しているのに気付いて探しに来たのだ。

 ただ、サーチ魔法は高さに関してはかなり曖昧な反応しか出ない。だから部屋のある階をチャムに頼んで、彼は別の階を探していた。

 結果、上の階で見つけた時には女の子に見つかっていた訳だが。


「あら、新しいお友達に出会ったのね」

「そうかな」

「ちーちー!」

「ちゅちゅい!」

 嚙み合ってるのかいないのかよく解らない。


 その夫人が是非にというのでお茶を御馳走に上がる事にした。

 部屋に着いて扉を開けると、中からのっそりと大型犬が現れる。頭がカイの鳩尾くらいまであり、体長であれば負けてしまいそうなかなりの大型犬だ。


「わんわん!!」

「おお、わんわんだね…」

「確かにわんわんだわね」

 それはそうなんだが、幼い女の子が愛玩するようなサイズではないような気がする。


「お帰りになられましたか、お母様」


 部屋から聞こえた、まだ甲高さを感じさせる声の持ち主は利発そうな少年だった。

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