デクトラント公爵家の人々

 箱馬車は城門内を進んで王城前庭にまで進む。そこで待ち構えていたのは、髭を蓄えた武人風の丈夫だった。

 馬車からトゥリオが下りていくと目を見開いた彼は破顔して歩み寄る。


「おお、エントゥリオ様、お戻りになっていらしたのですか? お知らせいただければお迎えに上がりましたものを」

「壮健そうで何よりだ、スタイナー伯。無沙汰を済まない」

「このドリスデン、まだまだ耄碌する歳ではありませんぞ」

 年季は感じられるが、まだまだ現役だと言いたいらしい。

「確かに今組手しやっても勝てそうにないな」

「いえいえ、ご立派になられて。それがしが初めてお会いした頃はまだあどけなささえ有りましたものを」

「それを言わんでくれ。それより折り入って頼みが有るのだが…」


 トゥリオはカイとチャムを客人として伯爵家で預かって欲しいと依頼する。身元がどうあれいきなり王城に上げていいものではない。


「これは内密にして欲しいんだがな、実はあれがあの『魔闘拳士』なんだ」

「なっ! それは…」

「本当だ。クナップバーデンで大騒ぎしたから、じきにレンギアにも噂が流れてくるだろうがよ」

「南国での動乱の噂は入っておりまする。詳細は調査中とありますが、おそらく重臣方はある程度掴んでおられるかと思うておりますが」

 二人は声を潜めて話し合う。

「なら、話は早ぇな。だが、今しばらくはそっちで匿っておいてくれるか?」

「お任せください。エントゥリオ様はどうなされるおつもりで?」

「出来るだけ穏便に済ませたい。あいつは場合によっちゃあ何やりだすか解んねえやつなんだ」

「解り申した」


   ◇      ◇      ◇


 二人はスタイナー伯爵家の家令によって屋敷に導かれる。

 馬丁がセネル鳥せねるちょうくつわを取りに来るが丁重にお断りする。


「彼らは放っておけば敷地内で自由にしていますので大丈夫です」

「そういう訳にも…」

「馬房に繋ぐような生活をさせておりませんのでかえって迷惑を掛けてしまいますので」

「お客様の御指示に従ってください」

 家令からの口添えで無事に通る。

「それじゃあ柵内で好きにしてていいよ。樹木や生垣には悪戯しちゃダメだけど、雑草は食べちゃってもいいから。それが一宿一飯の恩義ってもんだからね?」

「キュイ!」

「キュキュイ!」

 良い返事だ。

「すみません、お待たせしました」

「我儘言ってなんだけど、お風呂をいただけると助かるわ」

「ご用意させていただきます」

「あ、なんなら一緒、でっ!」


 お尻を蹴られた。


   ◇      ◇      ◇

 

 王城の廊下をスタイナー伯親子と進むトゥリオ。

 ドリスデンももう五十を越えたはずだが実に矍鑠かくしゃくとしている。遅くに出来た末子のメイネシアを溺愛はしているが、武人として身を立てる事を善しとし、現場気質を貫いている生粋の軍人だと言えよう。


「陛下はどんなご様子だ。多少は丸くなられたのだろうか?」

「相変わらずであらせられますよ。些事には御興味がない様子で泰然とされております。もしかしたらトレバがあの様子なので暇を囲っていらっしゃるのかもしれませんが」

「それならあまり俺にも興味は無いだろうな。良い傾向だ」

「それは如何とも言い難いですが」

 御意に触れるほど近くは無いと言う。

「出来ればあいつを陛下に会わせたくない。俺の見立てじゃ合わない性格タイプだ」

「なればそれがしの役目も重要ですな」

「済まねえ、貧乏くじだが」


 上手く立ち回ろうと無い知恵を絞るトゥリオだが、災厄というやつは向こうからやって来るものだ。実際に渡り廊下の向こうから歩いてきている。


「よくものこのこと王城に姿を現せるものだな、愚弟よ」

「ちっ! こっちにも色々あんだよ。あんたには迷惑かけねえから安心しな、兄貴」

「存在そのものが迷惑だと解らんか。デクトラントに流れる王の血筋はこうまで劣化したと、要らぬ噂を流されようと知れ。なぜ御父上は貴様を勘当してしまわぬのだ」

「そんなもんは親父に訊いてくれ。俺の知ったこっちゃねえ」

 険悪な空気は強まる一方だ。

「タルセイアス様、どうかその辺りで。うるさい宮廷雀共の耳に入るのは貴方様の本意ではありますまい」

「ふん、まだ愚弟の肩を持っているのか、スタイナー伯」

「デクトラント公爵家の御心には何の腹意もございません。ただ、ないがしろにするにはエントゥリオ様の御器量はもったいのうございますれば」

 二人に間にも見解の相違がある。

「貴公が愚弟の中に何を見出しているか、私には一向に理解出来んな」

「ドリスデンを悪く言うな。あんたが気に入らないのは俺だけだろ?」

「解っているなら疾く去るがいい」


(相変わらずいけすかない奴だ)

 溜息しか出ない。だが、自分の中にある感情に気付いてもいないトゥリオだった。



 渡り廊下での一件を経て、トゥリオ達は奥城に入る。


 フリギア王城は二重構造になっている。

 前城と奥城に分かれていて、前城は謁見の大部屋を始めとして控えの間、応接の間など市井の者でも受け入れられる部屋で構成され、奥城は各種会議室を中心にして、王や重臣たちの執務室、後宮など、重要な国務に携わる人間が出入りする場所だけで構成されている。


 内務大臣を務めるデクトラント公爵の執務室も奥城にあり、トゥリオの目的地もそこになる。

 さすがに家名を背負っている立場では勝手気ままに城内を闊歩する訳にもいかず、父であるデクトラント公爵に帰還の挨拶と行動の許可を求めに向かっているのだ。


 気が重いのは間違いない。

 出奔同然に家を出て、冒険者に身をやつして漫遊を気取っている放蕩息子であれば、とうに縁を切られていても妙ではないのにそんな連絡は届いていない。ドリスデンならトゥリオが冒険者をやっているのは知っているのだから、冒険者ギルド経由で連絡だけなら何とでもなるのだ。

 父はまだ自分を見捨ててはいないのか、それともどうとも思わず放置していずこなり野垂れ死のうが構わないと思っているのか。それは分からないが未だ父の前に出る権利くらいは有していると思いたい。


 重厚な扉がトゥリオを阻むように前にある。その扉を開ける踏ん切りが中々に付かない。そんな気持ちを察したのか、スタイナー伯爵がノックをする。

「入れ」

「内務卿、ドリスデンでございます」

「ほう、珍しいな」

 そこでやっと書類から目を上げたデクトラント公爵グライアルが二番目の息子の姿を認める。

「…戻ったのか」

「ああ、邪魔だとは思うが事情が有ってな」

 一つ溜息を吐いて尋ねてくるグライアルにそっけなく応じるトゥリオ。

「邪魔だとは言わんから、事前に連絡ぐらい寄越さんか」

「済まん、急の事だったんでな」

「細かい事が出来んとこがお前らしいがな」

 そう言ってくる父の顔が笑っているのにトゥリオは驚き、酷く動揺した。


 内務大臣とは基本的に人事権と内部調査権を持つ要職だ。

 人物評価の調査をして国務の重責に耐えうる者が居れば国王に推薦し、要職に在りながらその職務を遂行するに能力の不足があると判断すれば罷免を申し立てる。

 それは地方に於いても同じだ。会計監査報告書を基に領地運営の健全性を調査し、不適格と判断されれば王の裁定を経て領地の一部没収や、最悪改易も有り得る。その事前調査も職務に当る。

 以上が表の顔で、裏では有力貴族の動向を調査し、蓄財状況や私的軍備状況から叛意を推定して内偵を入れたりするのもその職務となる。


 常に王城内外に眼光鋭く睨みを利かせているあの厳しい父が笑っている。それが逆に背筋が凍る思いであり、どう飲み込めばいいのか判断が付かない。

「そう恐れるな。でかい図体しおって子供の時と変わらんではないか」

 完全に目が泳いでしまっているトゥリオの様子が面白いのか更に声をあげて笑う。


 トゥリオは負けを確信した。

 一人前に自分で自分の食い扶持くいぶちも稼いで、家名にそっぽを向いて好き勝手やっていても、父の前ではトゥリオも子供でしかないのだ。


「だが、堂々と私の前に現れてぞんざいな口を聞けるくらいには胆力が育ったみたいだな。昔は私の目線から逃げる様に遊び回り、結局消えてしまったお前がな」

「悪かったよ。ガキだったんだ。それを最近嫌っていうほど思い知らされた」

「そうやって謝れるところも良い。放っておいても育つものだな」

 父が自分の成長を待っていたのを知って涙が出そうになる。だから言う気になった。


「親父、助けてくれ。ドリスデンのところに魔闘拳士が居る」


   ◇      ◇      ◇


 チャムのお風呂の間、罰で外に出されたカイは井戸で水を汲んでパープル達の身体を洗ってやっていた。

 セネル鳥せねるちょうは綺麗好きなので小まめに羽根繕いはしているのだから、そう汚れている訳ではないのだが、長旅で羽毛の奥のほうに砂埃が入り込んでしまっていたりする。それをザブザブ洗って濡れ細ってしまっているパープル達に魔法で温風を送ってやろうと思っていたら、羽根をバサバサやっていた悪戯好きのイエローが、そのまま抱きついてカイの服で体を拭こうとする。


「こら、ダメだよ。冷たい冷たい」

 それを見ていた他のセネル鳥も遊びだと思ったのか抱きついてきた。

 一緒に洗われていたリドまで頭まで昇って全身で髪をぐしゃぐしゃにする。

「わぷっ! ダメダメ! 乾かせないよ!」


「どしたの、それ?」

 びしょびしょの青年にチャムは目を丸くする。

「パープル達にもてあそばれました」


 濡れ鼠のカイはチャムの後のお風呂をいただく羽目になったのだった。

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