ホルムト豊穣祭(4)

 一刻72分もするとカイも試食品を配っている暇は無くなっていた。

 商品の受け渡しと並行して精算もしなければ間に合わなくなってきたのだ。大きな不満が出始める前にチャムに呼び戻されたカイは精算に追われる。

 それでも試食の皿は露店上に準備したままにして、出来るだけ納得の上で買っていただく事にする。


 代金の受け取りだけはリドに任せると、これがまた女性と子供には大受けだったのも意外な展開だった。

(何が起こるか解らないもんだなぁ)

 それがカイの正直な感想である。

 パラパラと奇特な客が来れば面白いくらいに考えていたのに、忙しくなるなんて完全に想定外だ。こうなると早晩売り切れは間違いなさそうな感触に彼も戸惑うばかりだ。


「ふたつください」

「はい、ありがとう。落とさないようにね」

「うん、ほらクレステンも」

 小さな手に商品を渡す。

「わあ、これがモノリコート?」

「そうだよ。そっちのお皿のは一個だけなら食べてもいいからね」

「ほんと! マレイアお姉ちゃん、食べてもいいんだって」

「聞こえてるから。ごめんなさい、この子、本当に子供で」


 双子の姉弟らしい二人。

 姉のほうはずいぶんとませた口をきいている。まだ二人とも我儘な盛りであろうに、同い年の弟の面倒を見るうちにそうなってしまったのだろう。


「ちゅちゅっ!」

 リドが(これ、これ)とばかりに試食の皿をペチペチと叩いている。

 一個ずつ皿から取って食べた姉弟は一気に幸せそうな顔になった。

「ん ── 、すごい!これ何?」

「甘ーい!美味しいね、お姉ちゃん」

「何をどうすればこんな味になるの?」

 姉のほうは分析するような風情まで見せてきた。

 弟のほうは物足りなさげで今にも手にした箱を開けて食べ始めそうだ。

 そんな様子を見ていたカイだが、横手から響いてきた声に注意を逸らされる。


「マレイア! クレステン! ここに居たの!?」

 着飾った夫人が双子の姉弟に駆け寄ってきた。

「もう、この子達ったらこんな粗末な露店に引っかかってしまって。ダメよ」

「でも、お母様。これ、モノリコートっていうの? すごいのよ!」

「うん、すっごい美味しいよ!」

「何を言うの? あなた達はホルムトでも栄えある名店『ラシフェルド料理店』の跡継ぎなのよ。そんな得体のしれないものに惑わされてはいけない立場と知りなさい」

 この言に、露店の周囲でモノリコートを味わっていた客達がブーイングを返す。

「そんなに言うなら食ってみろよ。そいつぁ本当に美味いんだぜ」

「食べもしないで言わないで欲しいものよね」

「そんな事が…」


 周囲の圧力に尻込みした夫人の勢いは落ちてきた。

 見計らったようにカイが試食の皿を差し出して言う。

「まあ、騙されたと思って味見していただけませんか?」

「え、ええ。そこまで言うならやぶさかではないのですけれど…」

「どうぞ」

 しかし、夫人は色のイメージに警戒して動きは鈍い。

 それでも、えいやとばかりに口にするとみるみる顔色が変化していく。


(どういう事、これ?濃厚な甘みに程よい苦み。ねっとりとしたどこまでも深いコク。そして後に残る香ばしい香り。これは…、完璧な甘味だわ!)


「ちょ、ちょっと店主! もう一個だけ味見させなさい。かの有名店、ラシフェルド料理店の女主人ダニータ様が正しく評価して差し上げるわ」

「仕方ないなあ。特別ですよ? この子達は買ってくれたし」

 もう双子は我慢し切れず箱を開けて食べだしている。

「「甘ーい!」」

「う…、た、確かに美味しいほうね…。露店にしては上出来と言ってあげるわ」

「どうもありがとうございます」

 見え隠れする夫人の本音にカイも失笑を禁じ得ない。


「店主、今ならこれの製法を高値で引き取って差し上げるわ。これは名誉ある事ですのよ」

「えー、それはちょっと困るかなぁ」

「ああ、それは困るぞ、ご婦人」

「あれ? クライン様。こんなところまで何しに来たんです?」

 突然、割り込んできた声に夫人が振り向くと、そこには豪奢な衣装を纏った紳士が居る。


 ラシフェルド料理店は夫人が自慢する通り、ホルムトでは有名な料理店であった。

 特にデザートに於いては追随を許さないという自負があるのか次々と新作を繰り出してきて、客を手放さないほどの実力も伴っている。

 それほどの名店であれば王宮晩餐会などに料理を献上する事もあり、その場に呼ばれることも有る。だから、ダニータはその紳士の正体を良く知っていた。


「お…、王太子殿下!! なぜこのような場所にっ!?」

「ふむ、その露店の主には王家も縁が有ってな。様子を見に来たのだが、間に合ったかな?」

「ギリギリですね。もう残り少なくなってしまいました。欲しかったら早めに並んでくださいね」

 この言葉にダニータは目を剥いた。

 王太子殿下その人に向かって列に並べというのだ。そんな不敬が許されるはずがない。この店主は捕縛されてしまうだろう。そうダニータは思った。

「む、そんなに売れていたのか。出遅れたな。急ごう」

 列の最後尾に向かおうとするクラインを列の客が制止する。

 どうぞどうぞとばかりに露店の前の場所を譲るのだった。


「カイ兄様ー! チャムー!」

「チャムー!」

「えっ!! 王孫殿下方まで!」

 そこへ新たな姉弟が駆け込んできて応対に出てきたカイに抱きついてくる。

 その様子にダニータは悲鳴を飲み込むのが精一杯だった。

「あらあら、ダメよ。セイナもゼインも。カイはお仕事をしているんだから」

「なんだ、姉ぇも来てたんだね」

「ええ、セイナ達がすごいお菓子食べたって自慢するものだから来ちゃったわ」

「王太子妃殿下…」


 ダニータにはもう驚く気力も無い。店主がエレノアを「姉ぇ」と呼んだのも耳を素通りしてしまった。

 近くまで来ている煌びやかな馬車から登場する王太子一家の姿に、列の客達も完全に腰が引けてしまっている。

 セイナとゼインは、チャムから箱を受け取ったフランの手によって取り分けられたモノリコートに飛びついている。


「フラン、わたくしにもちょうだい」

「はい、エレノア様」


「ところでご婦人。確かラシフェルド料理店の主人であったかな?」

「はい、殿下。その通りでございます」

 よくぞ覚えていてくださったと感激しきりのダニータなのだが、この顔をすぐ覚える特技はクラインの処世術であるとまでは頭が回らない。

「これの製法は王家で買い取らせてもらう。済まぬが譲れぬぞ、ご婦人」

「そんなの聞いてませんよ」

 カイは不満げだ。こんな横槍はあまり彼の好むところではない。

蓄魔器マジカルバッテリーを政務卿に持っていかれたのだ。これくらい寄越せ」

「我儘ですねぇ、クライン様も」

「そう言うな」

 戸惑ってばかりのダニータだったが、ハッと気付いてかしこまる。

「どうぞお納めくださいませ、王太子殿下。わたくし共に異存などございません」

「悪かったな。今度何か埋め合わせはさせる。そのつもりでいてくれ」

「ありがたき幸せにござりまする」


「露店で準備した分はこのまま売りますからね。クライン様の分も一枚だけですよ」

「解った解った。こっちでやってるから好きにしろ」

 その後もカイの露店は営業を続けて、無事に完売した。

 ただし、露店の売り手側には王太子妃殿下に御子様方まで居て、客は恐縮の至りではあったが。



 結果的にカイの露店は、露店合戦では入賞もしていない。在庫量が少なかったことも有り、広く出回らなかった所為だ。


 逆にモノリコートの噂を助長する結果にはなったのだが。

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