小さきもの
主だった人々に挨拶回りを済ませたカイは安穏とした
結局、クラインに説得されてしまったオーリー・バーデンは貴族街の空き店舗を購入して、近くに居を構えた。
旅暮らしを捨てざるを得なくなったオーリーは、初期の店舗設営時は目の回るような忙しさに感じる余裕の無かった物足りなさを、落ち着きつつある最近は感じているようだ。
しかし、妻のアリサは安定した暮らしに大満足しており、タニアにちゃんとした教育を受けさせてやる事が出来る喜びをカイに漏らしている。生活が一変してしまったタニアは最初こそ戸惑ったそうだが、家庭教師に様々な事を教わったり、近所の商店の同年代の子供達と友達になって街を駆け回ったりとそれなりに今の暮らしを楽しんでいるらしい。
カイの膝で語り伝えるタニアは少しふっくらとしてきており、年齢なりの健やかさが感じられるようになってきている。
王宮練兵場でカイとチャムにハインツを加えて訓練に励む事も多々ある。
ハインツは未だにチャムから一本も取れず、地団太を踏む
軍人として国が守られるなら、誰が勝とうが最終的に勝利が得られれば問題無いという考え方らしい。
城下を歩くと露天商達が口々に声を掛けてくる。
中には涙を流しながら抱きついて再会を喜ぶ夫人もおり、チャムを驚かせる。
「ごめんね、留守にして。ちょっと長旅になっちゃった」
「いいのよ、帰ってきてくれたんだから。寂しかったんだよ」
「うん、ありがとう」
「ところでカイちゃん。この美人さんはお嫁さんかい?」
「え、そう見える?困っちゃうなぁ」
背中を蹴られた。
◇ ◇ ◇
その
こうして魔獣狩りに出かける事も多く、二人で組む時は便宜的にカイが盾役になる。しかしこの盾役、敵を引き付けて受け止めるのではなく跳ね飛ばしてしまうのである。
この
(どうやって斬り付けろって言うのよ)
ようやく鼻面を掴み止めた
動かなくなった
もう少しこの熱意を戦闘に振り向けて欲しいとチャムは思う。そうでなくとも連携戦闘の訓練の為にカイは直接獲物に手を下さないようにしているんだろうに。
肉の一部を簡単に焼いて昼食にするのだった。
しばらく歩くと小さな気配が二人に近寄ってきた。獣道でその小さい気配と出会い頭になる。
(
「ぢぃぃーーー!!」
二人を認めた
「怪我してる!!」
カイは駆け寄って抱き上げるとすぐに『リペア』を掛ける。弱々しく頭をもたげた
「くっ! しまった!」
カイは駆け出し、チャムも続く。
しばらく行くと冒険者らしき三人組が成獣の
盾を持った男が
「やめなさい!何をしているんです!」
「何してるって魔獣を狩ってるに決まってんじゃねえか」
二人を認めた三人組は怪訝そうにしている。
「何だよ、横取りしようってのか?マナーがなってねえな。おい、その抱えてるのコイツのガキじゃねえか。それも俺らの獲物だ。こっちに寄越しな」
「あなた方は…。
「何言ってんのかはこっちの台詞だ。魔獣だぜ、魔獣。狩るに決まってんじゃねえか。良いからさっさとそいつを寄越せ!」
盾の男は脅しつけるように剣の腹でカイの肩口辺りを叩こうとする。
しかし、その剣はガントレットに掴み取られ、金属とは思えない音とともに握り折られる。
「手前ぇ!」
「バカ!死にたくなかったら逃げなさい!」
チャムの警告は実らず、男が掴みかかろうとするが、バシュッと言う衝撃波発射音と共に背後の樹に背中から打ち付けられて昏倒する。
弓使いの女はすぐに逃げ出し、魔法士の男は
「さっさとそいつを連れて行きなさい」
チャムの進言に従い男を担いで魔法士が逃げ出すと、カイはすぐさま
残念ながら手遅れだった。
血を失い過ぎた母獣の命はもう尽きようとしている。幼獣がすがりついて「ちぃちぃ」と鳴くが反応が鈍い。
「ごめん、僕は間に合わなかった。ごめん」
母獣は幼獣を慮るように顔を上げると幼獣の頭を舐め、そこで命の灯は消えた。
謝りながら母獣の身体にナイフを入れて魔石を取り出し、幼獣に与える。微かに残る母の気配に幼獣は抱きついて離れない。背後からチャムのすすり泣きが聞こえた。
カイが穴を掘って母獣を横たえ、チャムが記述で焼く。その炎にカイは一粒涙を流した。
よほど消耗していたのだろう、幼獣は魔石に抱きついたまま眠ってしまっている。
そっと抱き上げたカイはその場を後にした。
◇ ◇ ◇
場所を草原に移してカイは竈を組み、
香ばしい匂いが辺りを漂い始めると幼獣の鼻がピクピクと反応する。程なくして跳ね起きた幼獣は匂いの元を求めてカイの身体を駆け上がった。
「ち ── ! ちっ、ちっ!」
「はいはい待ってね。もう焼けるよ」
興奮して目がグルグルし始めた幼獣の様子にチャムは笑いを堪えきれない。
「限界っぽいわよ」
「ほら、降りて。お皿に置くから」
「ちゅいっ!」
素早く器の前に陣取り、カイの袖を(早く、早く)と引っ張ってせっつく。
「熱いよ?」
「ぢ ──── !」
「だから言ったのに」
すぐに食い付こうとして熱さに口元を擦っている。
カイが息を吹きかけ冷ましてやると夢中になって齧り付く幼獣。
「そんなに焦らなくてもいっぱい焼いてあげるから」
その頃にはカイとチャムは微笑ましい様子に笑みが止まらなくなっていた。
お腹をぷっくりと膨らませた幼獣は満足気に転がっている。
「話があるんだけど?」
「その子、話が通じるの?」
幼獣に話し掛けるカイに疑問を抱いた。
「うん、理解するだけなら。前に
「へえ」
「魔獣っていうのは基本的に知能は高いんだ。脳内に魔法演算領域を持っているんだから」
「じゃあなぜ無秩序に襲ってくるのかしら」
チャムの疑問は当然のものだ。
知能が高いなら戦いを避けるくらいの事は考えるだろう。
「人間が狩りやすい獲物だから。そして狩りに来る危険な生き物だから。生存圏を賭けた戦いなら生きるために簡単には退けない」
「……」
「って考えた事もあるけど、本当のところはよく分からない。もしかしたら理性と本能のバランスが悪いのかもしれないし」
「永遠に謎かもね」
カイは幼獣の頭を撫でながら続ける。
「どちらにせよ、こっちの言葉は理解できているみたい」
「なるほどね」
「聞いて」
幼獣を目の前まで持ち上げて問う。
「ちう?」
「僕は君を保護する義務がある。もし君が僕に着いてきてくれるなら、何があろうと君を守る。でも人間社会での暮らしは君にとっては非常に不自然なものなんだ。それが嫌だと言うなら無理強いは出来ない。森で暮らすといい。ただ僕は義務を果たしたいと思ってる。どうする?」
幼獣は前足をパタパタさせて意思表示する。カイが顔に近付けると抱きついて頬ずりをしてくる。
「解った。僕は何があろうとどんなものからでも全力で君を守ると誓おう」
「ちう ── !」
「じゃあそうだね。うーん…。今日から君の名前は『リド』だ」
「ちっ!」
リドは右前脚をピッと挙げて了解の意を示す。
「リド」
「ちっ!」
チャムが呼び掛けるとグリッと捻れて前足を挙げる。
「柔らかいわねぇ」
その晩はその場所で夜営する事にした。
いきなり人の多い都市に入るのはリドの負担が大きいだろうから、明朝にゆっくりホルムト入りしたほうがいいと決める。
リドは横たわるカイの胸元で母の魔石に抱きついて眠った。母の夢を見ながら。
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