挨拶回り(2)

 身分が貴族であっても重臣でなければ王の謁見を賜るのは容易ではない。爵位が低ければ低いほど後回しにされるほどだ。

 用件によっては有力商人のほうが先に回る事も有る。それほどの栄誉であるのに、あっという間に謁見の段取りがついてしまったのにカイは少し呆れる。


(陛下は暇をしているのかな?)

 それには国王も異論があろう。


 七輪前年前のトレバの奇襲攻撃の影響はそれほどまでに大きかったのだ。

 その後のトレバ皇国の経済は衰退し、事実上戦争の脅威は遠ざかったと言っていい。少なくともホルツレインに対して宣戦布告してくるような愚行は犯さないのではないかと予想されている。

 油断してしまうのは危険に過ぎるが警戒に要する予算は少なく見積もっても構わない状況なのだ。


 その大勝の立役者が帰還したとあっては、謁見を急がせる国王の我儘くらい簡単に通るというものだ。

 もちろん、ただ会うだけならクラインに都合を付けさせれば済むのだが、国王が英雄の帰還を寿ことほぐ様子を内外に知らし召すのが肝要だった。

 要するに「ホルツレインには魔闘拳士が居るぞ」と大声で訴えるのが大事なのである。


 カイとチャムが国王の前に進んで跪くと周囲から感嘆の声が聞こえる。

 の英雄が麗しき女戦士を伴って現れたのだ。これは早晩話題を独占すると思われる状態である。

「よく戻った、カイ。待ちかねたぞ」

「何の御挨拶も無く暇をいただいた事を心からお詫び致します、陛下。ただいま戻りましてございます」

「許す。そなたが消えた後の王宮は一時明かりが消えたような有様であったが、そなたにも事情が有った事と思う」

 出自を知っている国王は汲んでくれた。

「事情に関しては王太子殿下よりお聞き及びの事と存じます。ここでは割愛させていただければと」

「うむ、聞いておる。後々、土産話など聞かせてもらえるのだろう?」

「はい、叶うならばお時間をいただければ。ちょっとした献上品もご用意させていただいておりますので」

 その言葉にアルバートの顔も綻んだ。


「それは楽しみだ。ところでそちらはどこの姫君なのかな?」

「いえ、こちらは僕とパーティーを組んでくれている冒険者でチャムといいます」

「チャムと申します、陛下。お見知りおきを」

 入る時にチラとは見えていたのだが、こうして近付いて顔を上げたチャムの美貌に国王も息を飲む。

「そ、そうであったか。市井に埋もれし美しき花も有ったものだな」

「これはまたお上手を」

「謙遜する事はない。ホルツレインに美姫がもう一人現れたと噂になろうぞ」

 想像に難くない事態だ。

「なってしまうでしょうね? 困るなぁ、僕」

「カイまで? こんなところで」

「済まぬな。我が国の英雄は美姫に目が無いらしい」

 列席の臣からも笑い声が上がる。

「ご苦労であった。そなたらを国賓として遇する。部屋を与える故、くつろぐが良いぞ」

「は、この身に余りし光栄にございます」


 このちょっとした茶番の後、夜には王家一家との晩餐となった。

 食卓を囲んで談笑の後、国王の私室に呼ばれたカイはお土産に用意していた小さめの地球儀を献上して語る。


「これが僕の世界です」


 その後に聞いた惑星せかいと宇宙の関係の話。

 惑星せかいがどういうふうに成り立っているのかの話。

 昼の白焔たいよう惑星せかい夜の黄盆つきの関係の話。

 大陸と海、その配置と地域に於ける温度差の関係の話は、国王とチャムをとてもワクワクさせ感心させた。


「…人間とはなんとちっぽけなものか。なのに陽々ひびのつまらぬ事に苦悩し、不満を募らせる。カイには愚かに見えておるのか?」

「いいえ、どんなにちっぽけに感じても、人は生き喜怒哀楽を繰り返しています。その人の暮らしを守る陛下のお仕事はなんと尊いかと思っていますよ」

「そなたにそう言われるのは嬉しいものだな」


 その晩の事を国王アルバートは、生涯忘れる事は無かった。


   ◇      ◇      ◇


 王宮練兵場の一部に間借りして朝から柔軟と訓練をしていたカイとチャムは、八刻9時半くらいになってやってきたエレノア達のお茶に付き合っていた。

 メイド達が敷き布の上に広げたお菓子やお茶の相伴に与かっていたのだ。

 セイナはカイにお菓子をあーんするのが気に入ったようで繰り返してはエレノアに窘められている。ゼインはチャムの膝に座って黙々とお菓子の消化に励んでいた。


「無粋をお詫びいたします、王太子妃殿下。宜しければカイを少々お貸しいただけませんでしょうか?」

 かしこまって現れたルーンドバックはカイとの手合わせをご所望のようだ。

「構いませんよ、聖騎士卿。カイが良いのならですけど」

「暇なんですか、ルーンドバック様」

「…忙しいとは言わんが、それ以上に貴殿との再戦を待ち望んでいたのだ。頼もう」

「仕方ないですねえ」


 半ルステン6mほどの距離を置いて二人は対峙する。遠巻きに近衛騎士や上級騎士、王宮衛士達が観客として集まっている。


 先に動いたのはルーンドバックだった。

 スルリと動いたルーンドバックの鋭い剣閃はカイから逸れて引き戻される。彼の剣が幾度も弧を描くがその全てがカイを外してしまう。

 聖騎士の腕前からしてあり得ない事に観客は動揺し不信感を募らせる。魔闘拳士が魔法を使っているのではないのか、と。


 ルーンドバックが斬撃を放つ毎に、金属を擦るような音が鳴る。

 よく観察すると聖騎士の剣の腹で火花が上がっている。左半身に構えたカイのガントレットの爪先が斬りかかる聖騎士の剣の腹を擦って逸らしているのだ。


 それは超絶技巧だった。

 相手の剣が見えて、更にそれに爪を合わせなければ出来ない芸当なのだ。

 斬撃は逸らされる。突きも切っ先を押されて外される。カイは足はほとんど動いていないのに何もさせてもらえない。

 ルーンドバックは逡巡する。その一瞬の迷いを見逃してくれるような相手ではない。一気に懐に入られて鼻先に右爪先を突き付けられた。


「参った!」

 堪らずルーンドバックは負けを認めた。


「あれから私も少しは腕を上げたはずだ。超えないまでもいい勝負が出来ると踏んでいたのだが」

「僕も鍛え直してきましたからね」

「貴殿は立ち止まっていてくれないと困る」

「そうはいきません。これでも負けるの嫌いなんですよ?」

 軽口を叩けるくらいに砕けた聖騎士の剣は確かに鋭さを増していた。

「相手がルーンドバック様だから出来た事なんですよ。剣筋が綺麗に立っている人の剣でなければあんな事は出来ません」

 その言葉は聖騎士にとっては嬉しいものだった。


「ルーンドバック卿が負けるの、初めて見た! すごいね、兄様!」

 ゼインはポカンとした後に息せき切ったように話し始める。

「だから言ったでしょう、ゼイン。カイ兄様はすごい方なのですよ」

「ゼインが喜んでくれるようにちょっと頑張ってみたよ。どうだった?」

 ゼインはカイに纏わりついて、すごいすごいと騒ぎ立てる。

 セイナはなぜか我が事のように誇らしげにしていてカイを苦笑いさせた。


「それじゃ、私もいいとこ見せなきゃね。お相手してくださる、聖騎士卿?」

「構わぬが、良いのかな?」

 ルーンドバックがカイを見やって訊いてくる。

「いいですよ。でもチャムを舐めたら痛い目見ますからね」


 先ほどのカイと違ってチャムの剣は完全に動の剣だった。

 驚くほどの素早さで踏み込んできて数撃を放ってスッと離れる。離れたと思ったら一瞬に位置を変えてまた踏み込んで剣が滑り込んでくる。

 最初は動揺して防戦一方になった。

 その後も全く動きの衰えないチャムにカウンターを合わせるのが精々だったが、それも時折り混ざる奇をてらった陽動に翻弄される事になる。崩される事もないのだが、決定打も放てない戦いになった。


「それくらいにしときましょう」

 攻防が二詩12分を越えたあたりで声が掛かった。

 お互いに決め手に欠けていたので否やは無い。


「決めきれなかったわ」

 聖騎士と握手を交わして戻ってきたチャムは肩をすくめて言う。

 二人続けて最強の聖騎士が勝てない事態にゼインは開いた口が塞がらない。


 その後、エレノアにお茶を賜ったルーンドバックだが、王孫殿下ゼインの期待に応えられず苦いお茶になったのだった。 

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