いずこへと

 金属同士を打ち合わせる甲高い音が木霊している。


 真剣を手にしてカイに斬りかかるハインツは全身汗にまみれていた。

 フェイントを交えて渾身の一撃を放っても弾かれ、覚悟を決めて踏み込んだ剣閃は簡単に空を斬る。カイは時折り奇をてらった動きを挟んでハインツを翻弄する。


「ちょ、ちょっと待ってくれ…」

「これまでにしておきましょう? 今日の動きを思い出しつつイメージトレーニングしてきたほうが次の修練に厚みが出ると思いますよ、お互いに」

 完全に息を切らしてしまったハインツに手巾を渡しつつ言った。


 謁見の間での論功行賞でハインツは王自身の口より上級騎士への昇進の言葉を賜った。

 感激に打ち震えつつ勲章と思いがけないほどの褒賞金も受け取り、天にも昇らん面持ちでその場にいた。

 次に呼ばれたカイが王国名誉騎士の称号と男爵位を授けられるのを見ていても、うらやむ気持ちも起きないほどに舞い上がっていたのだ。


 ところが当の本人は不平を口にする。

「侯爵様を通して、僕は辞退の意向を伝えたつもりだったのですけど?」

「そう申すな、カイ。そなたが受け取らんと他の者への褒美も再考せねばならなくなるのだぞ。信賞必罰は習いなのだ。ここで我を通して恨みを買いたいのか?」

「ご褒美に脅迫の言葉を賜るとは思っていませんでした。僕は常識に疎いんですかねぇ?」

 なかなかに強烈な揶揄を含めるが、この頃にはアルバートも慣れたものである。

「なに、形式だけの位だ。そなたに義務を求めるつもりはない。だが、少しは気に掛けてもよいのだぞ?」

「じゃあ厨房にありったけのお肉でも置いておきましょうか?」

「ほう、ならばそなたに精肉大臣の位も授けてやろうか?」

「…解りました。僕の負けです。お好きにしてください」

 上機嫌の国王はしてやったりとばかりに顔をほころばせる。


 それは上機嫌にもなる筈だ。

 今回の戦争で確保した捕虜は莫大な金品となって帰ってきた。

 今や国庫は潤い満ちている。戦闘であまりに多数の死者が出ていれば多くが消えていくのだが、戦闘の規模の割に驚くほどの少なさだったのだ。

 年金を授けなければならないほどの重傷者も少なく、人的損耗に困るような状況ではない。であれば、国王でなくとも上機嫌になろうというものだ。


 ともあれ晴れて上級騎士に叙せられたハインツは城門の自由通行許可証を手に入れて、こうしてカイとの訓練を積むのが容易になっていたのだ。


   ◇      ◇      ◇


 非番のにはカイと街門外に魔獣討伐に出て訓練の成果を確かめることも有った。

 城下を歩くと周りの露店からしきりに声が掛かってくる。なんやかやと食べ物を押し付けられて戸惑いを隠せない。


「あら、あなた、カイちゃんのお友達? なら、これも持っていきなさい」

「あ、どうも」

 ハインツも軽装なので騎士だとは思われていないようだ。

「ありがとうございます。じゃあ今日は頑張って狩ってこないといけませんね」

「そんなに気に掛けなくてもいいよ。カイちゃんがいっぱいお肉置いていくもんだから、ここいらで都合付け合っているんだから」

「まあ、有って困るものじゃないから遠慮しないでくださいね」

 城下の皆がカイを笑顔で見送る。

「なあ、この者らはお前が何者か知らんのか?」

「ええ、だって彼らには僕の身分なんて関係ないではないですか」

「それはそうだがお前…」

「いいんですよ。さあ、行きますよ」


 森を彷徨って襲い掛かってくる魔獣を狩る。しかし、こちらに気付いて逃げていく魔獣には一切手を出さない。

 なぜかと問うと「害獣以外を狩る必要などありませんから」と言う。

 何であれ、魔獣を狩って金を稼ぎランクを上げるのが冒険者じゃないかと思うのだが彼はそうしない。ハインツのこの新しい友人は冒険者としても異質なようだった。


 その後もハインツは王宮で王太子とエレノアのお茶会などにまで引っ張り込まれて恐縮至りの時間を過ごさなきゃいけなかったり、聖騎士ルーンドバックとも手合わせさせてもらったりとカイとの親交は深まっていっていた。


   ◇      ◇      ◇


 ホルムトは花に彩られている。


 市民皆が仕事を取りやめ、朝から酒を酌み交わしている者もいる。

 それはそうだ。今陽きょうは王太子クラインとエレノアの婚儀の

 誰もがお祝い気分で浮かれていた。


 このだけは城門も市民に開放され、その分衛士や騎士は総動員されて警備に追われる。王宮内も慌ただしく準備に追われ、中にははしたなくも駆け回るメイドなどもいる。

 王宮前広場には大きな台がしつらえられ、そこで結婚の儀式を終えた二人が市民に挨拶をする段取りになっていた。開門時より押しかけた市民は我先にと台の前に陣取り、今か今かと待ち構える。


 結婚の儀式の前に控えの間で寄ってたかって着飾らされているエレノアはさすがに少し疲れた様子を見せている。緊張も相まって睡眠不足気味だったのもある。だからその問い掛けに最初は気付かなかった。


「…大丈夫?」

「あ…! ええ、カイ、大丈夫よ」

 傍らにカイが来ているのに気付いたエレノアは取り繕う。

「奇麗だよ、姉ぇ。姉ぇは本当に美人だよね?」

「どうしたの、カイ?わたくしが結婚するのが寂しいの?王宮に上げるのが惜しくなっちゃった?」

 少し様子の違うふうのカイに茶目っ気を持って訊ねてみる。

「うん、ちょっと。クライン様が羨ましいな。姉ぇはいいお嫁さんになれるだろうからね」

「もちろんよ。殿下を幸せにしてさしあげるのが臣下としてわたくしの務めでもありますもの。頑張るわ」

「うん、そうだね」

 納得したようにカイは頷いて笑う。エレノアも釣られるように笑う。

 周りの者にも二人が本当の姉弟のように見えて微笑ましかった。


「姉ぇはもう大丈夫だよね?」


 最初はその質問の意図が分からなかったエレノアだったが、彼が自分の幸せも気にしてくれているのだと察して答える。

「大丈夫よ。きっと殿下はわたくしも幸せにしてくださりますわ」

「きっとクライン様なら幸せにしてくれるよ」

「ええ、ありがとう、カイ」


   ◇      ◇      ◇


 昼を回る頃合いになって、新たな夫婦が王宮前広場の台に姿を現した。


 人々は熱狂して口々に祝いの言葉を送る。

「おめでとうございます、皇太子殿下!」

「エレノア様、お奇麗…」

「ホルツレインの未来は安泰だ!」

「王太子殿下、万歳!」

「ホルツレイン、万歳!」

「ホルツレイン、万歳!」

 皆に手を挙げて感謝の言葉を口にするクライン。その言葉に民衆は更に熱狂して歓声は止まない。

 

 二人は少し離れた場所にカイが居るのに気付いた。

 エレノアが手を振るとカイも応える。クラインは、エレノアの事は任せろと頷きを送る。カイは最高の笑顔を返し、そして静かに背を向けて歩み去る。

 エレノアは自分が涙を流しているのに気付いた。


(あら、わたくしはなぜ泣いているの? こんなに幸せなのに)

 エレノアはその涙の理由にその時は気付けない。



 その後、魔闘拳士の姿を見た者は誰一人として居なかった。

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