夜闇の戦い
夜陰に紛れてホルムト南街門近くに潜んでいる別動隊の将軍は焦れていた。
ほどなく南門が開かれ、なだれ込む手筈だったのだが、既に刻限は過ぎている。それどころか遠く響く剣戟の音が、異常事態の発生を告げてきた。
しかし、門が開かない事には自分が率いる千の精鋭にも出来る事は何もない。そんな状況下でも騒ぎ立てない精鋭部隊の様子は将にとって心強くはあるが、どれだけ維持できるかは自分の双肩に掛かっている。
南街門付近まで行かせた斥候はまだ戻らない。
もう二人繰り出すべきかと考えあぐねて副官に相談しようとした瞬間、精鋭部隊に
「体勢を整えろ! 敵の確認急げ!」
先と異なる位置から声が上がる。振り向くと光る剣のようなものが見えた。それが円弧を描くたびに数名の兵が血しぶきをあげて倒れる。
「閣下、敵は一人しか確認できません! おそらく魔法士かと!」
「くっ、落ち着いて対応しろ。一人で何が出来る!」
指示を飛ばした将軍が窺うが、騒動は一向に止む気配が無い。
乱闘の音が収まったかと思えば、再び
自らの目で敵の確認をしようと前に出た瞬間、脇腹に激痛が走る。見下ろすと、自分の脇腹に金属籠手の手刀が刺さっている。
「好きにさせませんよ。ここで終わっておきなさい」
光の剣が閃き、将軍は永遠に意識を失った。
◇ ◇ ◇
鎧のきしむ音以外は打撃音くらいしかしない戦場にカイは居た。
組織的な反攻を見せようとすれば
半数近くまでその数を減じたのに、潰走する気配も見せない部隊を優秀だと思ったが、それで遠慮してやる義理は無い。斬り払い撃ち倒していけば終わりが来るだろう。
恐怖に顔を歪ませ陸続と詰め寄ろうとする敵に、自分の中がどんどん冷静になっていくのを感じる。
(こんなところが僕が現代社会に馴染めなかった原因なんだろうね)
そんな皮肉を思いながら拳を振る自分が少し哀しくなる。
それでも覚悟が揺るがないのは、諦めとは違うものだと思いたい。あんな思いは二度と御免だ。そう誓ったあの
見渡せばゴロゴロと兵が転がっている。
聞こえるのは苦鳴と断末魔だけになった夜闇を背にしてカイは街壁を昇り始めるのだった。
◇ ◇ ◇
敵の制圧に成功したハインツだったが、不満の色は濃かった。
どうしたものかと思案していると声が掛かる。
「終わったんですね。助かります。お疲れさまでした」
「だが、自害させてしまった。これでは何も…」
彼をここに駆り立てた声に振り返ると、返り血に身を染めて壮絶な様相に変わった少年の姿がある。息を飲んで目を見開いたハインツだったが、彼も戦っていたんだなと我に返った。
「済まん、取り押さえようとはしたんだが、自刃しやがった」
「いえ、大丈夫です。そういう訓練を受けた者だったのでしょう」
死体の様子を見ていたカイは、そういう相手では身元が解るような物は持っていないだろうと諦める。
「では、ここは他の方に任せて、報告に上がりたいので付き合ってもらえますか、ハインツさん?」
「ああ、解った」
短く答えてハインツはカイに続く。
城下町を超えて貴族街まで駆け抜けていくカイに、騎馬を駆りながら首を捻ったハインツだったが、城門の衛士までもが彼を顔パスで通過させるに至っては、口から疑問が溢れてくる。
「どこまでいくんだ!いや、お前は何者なんだよ!」
「もう少し待ってください。すぐに着きますから」
疾走しながら息一つ乱していない風の彼の身体強化能力に舌を巻くハインツも、それ以上の事態に声が出なくなる。
さすがに王宮の大扉の衛士達の前では立ち止まり一礼して通してもらう。ハインツも下馬して続くが気が気でない。
更に奥の凝った装飾の施された大扉の前では少し待たされる。王宮など無縁に生きてきたハインツにはそれが謁見の間の大扉だとは知れない。
ただ、自分がとんでもないところへ引き込まれてしまうような漠然とした不安しかなかった。
「戻ったか、カイ。 なっ!! どうした、それは!?」
「返り血です。心配ありません」
さすがに赤く染まった少年は見咎められる。
「ああ、カイ、着替えていらっしゃい。そのままでは…」
「ごめんね、姉ぇ。先に報告だけ」
「そうね、ごめんなさい」
カイに声を掛けた貴公子が王太子その人で、美しい女性がその婚約者だと気付いたハインツは開いた口がふさがらなくなった。
「こ、ここは…」
「謁見の間。お話があります、陛下!」
呼びかけると大卓の前に陣取っていた軍務卿が手招いてきた。
「聞こう。何があった」
進み出てきた威厳のある人物が国王とあってはハインツはもう何をどうして良いものか解らない。ただ連れられてカイの斜め後ろで控えた。
「南街門の外に迂回部隊が伏せてありましたので、撃破してきました」
「南街門の外だと?」
カイが大卓の地図を指差し、トレバ軍が辿ったであろうルートとそこから分離して南街門に至るルートを示して見せた。
「おそらく東の軍勢は初期段階では陽動です。そちらに目を向けさせておいて南街門から少数精鋭でなだれ込み、ホルムト市街地を十分に混乱させてから東街門を内から開けて軍勢を招き入れる作戦だったと思います」
「そんな事が…。気付いていたならなぜ言わなんだ。それなら兵を向かわせたものを」
「確信が無かったんです。それに…、地形情報が敵に漏れているという事は大きな動きも知られてしまう可能性が」
後半は声を潜ませて言う。
「うむ、そなたの言う通りだな。軍務卿、誰かに五百を率いさせて南街門外の調査をさせろ!」
「御意、すぐに」
にわかに慌ただしさを取り返した謁見の間は指示が飛び交い始める。
「しかし、南街門も警備は十分だったはずだ」
「内より襲撃が有りました。それで彼に助勢を頼んだんです。報告をお願いします、ハインツさん」
王太子クラインの質問に答えていたカイが、急に自分に振ってきたので驚いてすぐに跪く。
「申し上げます。こちらのカイなる者に助力要請を受けまして、南街門に向かいました。すぐに襲撃を受け、これを撃破しましたが、息が有った者も全て取り押さえる事叶わず、自害させてしまいました。申し訳ございません!」
「いや、よくカイを助けてくれた。感謝する」
「クライン様、ハインツさんとその部下の方たちに手厚い褒美をお願いします」
「無論だ。事が済んだら論功行賞の対象になるのは確実だしな」
未だ混乱と緊張の中にいるハインツの耳には、その言葉は入って来なかった。
しかもそれ以上の驚きが彼の意識に滑り込んでくる。
「僕一人では街門の内外両方は手に余りましたので助かりました」
「魔闘拳士にそこまで言わせるとは騎士の誉れだな。ハインツ」
「え…、まとうけんし?」
何を言われたのか分からないで、貴人を前に訊き返す。
「知らなかったか。これが例の魔闘拳士だ」
「か、カイ、お前…」
「そんな風に呼ばれる事もあるってだけです。僕がそんな違って見えますか?」
「…いや、それは。確かにおそろしく強いとは思ったが…」
ハインツの手を取って立ち上がらせたカイはそのまま握手する。
「あなたこそ良い腕をしていました。良ければ仲良くしてくださいね?」
「あ、ああ」
まだ呆けた風のハインツを余所に事態は進行している。
南街門外では千近い兵が半死状態、或いは戦死状態で確保された報告が上がってくる。引き続いて部隊の編成も完成しつつあり、東の軍勢に対抗する策が進められている。
「じゃあ、あとはガラテアさんの出番ですよ?」
「おう、任せておくさね。このホルツレインを攻めようなんて思いあがった連中に、あたしの本気を見せてやる」
ガラテアは獣のように笑うのだった。
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