迫り来るもの

 実はエレノアが二十二の歳の頃にはクラインの妃になる事が内定していた。

 それは後に吟遊詩人が歌うように、自分への恋慕で魔闘拳士に幾度も挑むひたむきさに彼女が心惹かれた訳ではなく、王家から正式の申し入れをアセッドゴーン侯爵家が受け入れた結果に過ぎない。

 今や完全に国王の右腕に納まったグラウドを鑑み、両家の関係深化のための婚姻となる。

 無論、そこにクラインの希望が多少は含まれているのも嘘ではないのだが、グラウドの下に居る魔闘拳士の存在も関係を強固にする一因になったと言える。


 聖騎士ルーンドバックを下し、名実ともにホルツレイン最強となった魔闘拳士の存在を、ホルツレイン宮廷も無視出来なくなっていたのだ。

 何にせよ、その後は王宮内で楽しげに談笑するクラインとエレノアの姿が多々見かけられるようになり、その傍らに黒髪の少年の姿も欠ける事のないピースのように寄り添っていたのも噂に上っている。

 その噂に宮廷雀達は、未来に渡ってホルツレインは最強の戦士によって守られていると語り、自分達に訪れるであろう平和と幸運を喜んでいたのだった。


「改めて訊くのもなんだが…」

 口の重さを感じながらもクラインはエレノアに訊ねる。

「貴女は私に嫁ぐ事に不満はないのだね?」

「はい、殿下は変わり者と噂されるわたくしにもこんなに優しくしてくださります。殿下はわたくしを幸せにしてくださると確信しておりますわ」

 そうまで言われたらクラインも悪い気はしない。湧き上がる喜びを感じながらも王子は懸念を口にする。

「いや、その…。貴女はカイに懸想しているのではと思っていた時期もあったのだ」

「あら、嫌ですわ。カイは弟です。なんで想い人に出来ましょうか?」

「カイがアセッドゴーン侯爵家に来た経緯も少しは漏れ聞いている。自らを省みず守護する騎士に姫君は想いを寄せるものではないかな?」

「この子はいつも街門の外をほっつき歩いて、あまりわたくしの言う事も聞いてくれないのですのよ。殿下のほうがよほど頼りになりますわ」

 それは多分にお世辞も含まれている言葉だろうが、一面事実も含まれている。


 カイは身体が空けばホルムト近郊の森林帯に出向く事が多かった。

 それには理由が有ったのだが、エレノアにはそれを窺い知れない。ただ、一度、かなりの大きさの金剛石原石をグラウドに持ち込んだ事があり、それで得た資金で市井に出回る、最高金属素材と言われるオリハルコンを買い集め、ガントレットの強化に努めていたようだ。


 どうやらカイには武装マニア的な一面もあるのではとエレノアは考えていた。


   ◇      ◇      ◇


 カイがこの世界に来て六輪六年、クラインの立太子式典が行われる事になった。

 その席で公式にエレノアとの婚約と一輪一年後の婚儀も発表され、ホルムトの人々は盛り上がる。エレノアに腕を取られ、誇らしげに民衆に手を振るクライン。


「あのお二方の御子はどれほどの美貌を持つに至るのか」

 これでホルツレインの将来は安泰だと喜ぶ民に混じって、そう論じる声も方々に聞かれた。

 それほどに民衆は浮かれ、ホルムトは好景気に沸き立ち、まるで悠久の栄華を誇る都市のように彩られる。


 アセッドゴーン侯爵家もこの公式発表に盛り上がり、家人達もウキウキとした雰囲気を隠せないでいる。

 そんな中、領地運営の勉強の為にアセッドゴーン侯爵領の領主館に赴任していたエレノアの兄アガートが屋敷に帰ってくる。今後はグラウドの下で政務官としての勉強をする予定だ。

 アガートが政務大臣の位まで継げるかは本人の才覚次第になる。事務方の有力貴族は数多くいる。政務卿の名を欲するライバルは枚挙に暇が無いのだ。

 それでもアガートには矜持がある。父を超える政治家になるべく努力を惜しまないつもりだった。


 帰宅後にささやかながらアガートの帰還を家族で祝う。

 大病を患った後に身体が弱くなってしまい保養地から戻れなくなった母フランシアの不在は残念ではあるが、領地で気を張り詰め続けていたアガートにはありがたい気遣いだった。


 ただ、その席には見慣れぬ少年も加わっている。

 父に促されて短い帰還の挨拶をして席に着いた後、少年に問い掛ける。

「お前が例の魔闘拳士か?」

「はい、侯爵様には大変お世話になっております。アガート様に於かれましてもどうか宜しくお願いします」

 エレノアに、礼儀にうるさい兄だと聞いていたカイはかしこまった挨拶をする。

「あら、ダメよ、カイ。もっと兄弟仲良くしなくては」

「そう思っているのは姉ぇだけだから、他の人に押し付けちゃいけないんじゃないかな?」

「ダメなの! ねえ、お父様だって父と呼ばれたいでしょう?」

「ああ、そうまで思ってくれれば嬉しいがな」

「そんなに僕を甘やかしたらつけあがってしまいますよ」


 自分を除いても家族っぽい家族達にアガートは少しの戸惑いを感じる。しばらく居ないうちに屋敷内の雰囲気が変わってしまっているのに改めて気付いた。


「彼の言う通り分別は着けるべきではありませんか、父上。食客なのでしょう?」

「そう言ってもな、アガート。陛下は口には出さないまでもカイを欲されているようであるし、軍務卿も寄越せ寄越せとうるさいし、アッペンチット導師に至っては懇願せんばかりの有様だ。皆が欲しがるものは手放したくなくなるのも道理であろう」

「そういう訳には参らないのでしょう? 陛下の御意に従うのが臣下の勤め。そうまでおっしゃるなら伺候させるべきではないですか?」

 グラウドは冗談めかして言うが、アガートはあくまで真面目である。

「アガート、事情があってカイは陛下の許しを得て臣下でも民でもなく、ただ一人の人としてここに在るのだ」

「何の義務も果たさぬ者にどうしてそんな資格がありましょう。私は納得できません」

「そうでもないぞ。実は新型記述刻印の権利を幾つかカイから預かっている。その収入は馬鹿にならん。お前に送った領地の開発費用の一部もそれで賄っていたのだが…」

 それは新規開拓に振り分けるべく、アガートがグラウドに無心したものだった。

「……。済まなかった、カイ。私は努力せぬものが嫌いだ。武勇に胡坐をかいているような者には敬意を払えないと思っていた。許してくれ」

「構いませんよ、アガート様。居候は居候です」

「ね、カイはよく出来た弟でしょう?」


(((まだそこなのか!?)))


 変なとこで気の合う侯爵家のひと時だった。


   ◇      ◇      ◇


 そのは王宮にて王家一家とアセッドゴーン侯爵家一家の会食が催されていた。


 婚儀の打合せの後に設けられた席で和やかな談笑に花を咲かせていた。

 この組み合わせで、なぜ自分がここに居るんだろうとカイは思っていたが、クラインもエレノアも遠慮は許してくれず、ほぼ強制参加だった。


 国王はカイに最近の冒険者ギルドや街門外の様子を聞きたがる。臣から上がる情報だけでは生々しい現場の様が感じられないらしい。あらゆる機会から治世に役立つ情報を欲しがる国王には好感しか抱けない。


 内々の会食であり、給仕以外は下げられていたその場に、慌ただしい声が響き渡った。

「陛下! 陛下はこちらに在らせられますか?」

「騒々しいぞ、何事か?」

「ご公務外に申し訳ございません。ご報告申し上げます。ホルムトの東、8ルッツ9.6kmの距離。トレバ皇国のものと思われる軍勢を確認しました。その数、およそ二万!」


 食堂に急報が響き渡った。

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