アセッドゴーン侯爵

「ねえ、カイは幾つなの?」

「十六だよ、姉ぇ」


 エレノアはカイに自分を姉として扱うよう強要した。

 ほとんど何も望んでこなかった彼女だが、そこだけは頑として譲らない。彼女自身が十八歳だそうだから姉であっても問題無いのだが、まだ自分が何歳であるかを伝えるほどに喋れなかった頃の話なので何らかのこだわりがあるのだろう。


 『姉ぇ』という呼びかけは、カイが『エレノア』に『姉さん』という単語を繋げて呼びかけようと決めて実行していた時に、他の単語の記憶に追い回されてつい『姉さん』の単語の後半を思い出すのに詰まって「エレノア姉ぇ」と呼びかけてしまったのを拾い上げたものだ。

「それで良いわ。ううん、それが良いわ」

 そう言い出してしまって決定事項になってしまった。

 カイにしてみれば、既に彼女がこの世界の貴族の令嬢だと分かっていたので、そんな馴れ馴れしい呼び方は避けるべきだと考えたのだがもう覆らない。

「姉さん」と呼ぶと不機嫌になってしまう彼女をなだめる術を持たないカイには選択肢が無かった。


 図鑑をパラパラと捲っているカイから年齢を聞いたエレノアはひどく満足気にしていた。

 兄は居るが下の兄弟に恵まれなかった彼女は、自分の庇護を必要とする存在に飢えていたのかもしれない。庇護欲求の充足程度の事ならカイも協力はやぶさかではないので流しておく。


「父が時間が取れた時に話したいと言っているのだけど大丈夫かしら? 怖かったりしない? わたくしが同席したほうが良いわよね?」

「ううん、問題無いよ。こんなにお世話になっている侯爵様にはきちんとお礼を言っておかなきゃいけないから、都合の良い時に、いつでも呼び出すように伝えておいてください」

 そっけない反応に彼女は少し頬を膨らませる。


 だが、彼女が父相手ではそんなに強くは出られないのも事実らしい。


 エレノアは同席しても役に立てるかも怪しい自分を歯がゆく感じているようだった。


   ◇      ◇      ◇


 本当に多忙なグラウドとの面会は先延ばしになっていたが、とあるの午後実現した。

 彼は年齢の割に若々しさがあり、覇気を感じさせる眼光を備えた整った顔立ちをしている。若い頃はすごくモテただろうとカイは感じた。


「私がグラウド・アセッドゴーンだ。君がカイだな?」

 目の前の黒髪の少年は整ってはいるものの取り分けて特徴の無い容貌をしている。

 彼らの目から見るとむしろのっぺりとした印象を与えるのだが、エレノアと笑い合っていた様子をちらと目にした時には、実に愛嬌のある笑顔だったと記憶している。


「はい、カイ・ルドウと申します、侯爵様」

「ふむ、聞き慣れない響きの名だな。どこの出身かね?」

 面会前に自分が異世界人であることを話さないと決めていたカイは用意していた返事を返す。

「訳あって申せません。それで納得してはいただけませんでしょうか?」

「ほう」


 適当に誤魔化す方法も考えたのだが、異世界の知識に乏しい彼の嘘など切れ者政治家の前ではあっという間に看破されてしまうだろう。ならば秘密にしてしまえとばかりに用意した答えだ。


「そうなると私は君を間者だと判断して拘束せねばならないだろう。出来ればエレノアを泣かせたくはないのだが」

「…確かにそう考えるのが普通でしょう。でも僕はお嬢様を害したり、この国に不利益を与えたりするつもりは欠片もございません。難しいとは思いますが信じてほしいとしか言えません」


 大胆な事を言ってくるものだとグラウドは思う。ちょっとこの少年を見直した彼だが、立場上それで良しとは出来ないのも事実だ。


「信じるには材料が足りないのだ、カイ。家人に聴取して解っている。君は言葉を解さないだけではなく、異なる言葉を操っていたそうではないか?そんな事はあり得ない・・・・・のだよ」


 グラウドが言うには、世界中どこを探しても異なる言語・・・・・など存在しない。それは淘汰され統一されたという意味ではない。太古から存在しないのだ。


 それはこの世界の成り立ちの結果になる。

 人類は魔法と共に進化発展してきた。その魔法の媒体である言語は一つしかあり得ない・・・・・・・・・のだ。

 世界の理に作用し現象を発生させる魔法。その、世界に語り掛ける言語が複数ある訳がない。理論上、一つのルールでしか魔法は発現しない。


 音声では今彼らが話している言語。記述では魔法文字と呼ばれている文字。この二つでしか魔法はその作用を世界に現わす事は無い。

 音声言語の書き文字は、魔法文字を常用すれば暴発しかねないので後に発展したものでしかない。


 この情報はカイを打ちのめした。

 異なる言語でも異邦人を装えると彼の世界の常識で高を括っていたのだ。これではカイは疑わしい事この上ない。もう降参するしかなさそうだと彼は諦めた。


「これは…、信じていただけるか怪しいのですが…」

 そう切り出してカイは語る。自分はこことは異なる世界で生まれた事。何かの拍子にこの世界に迷い込んだらしい事。そこから生存するために移動中、グラウドの娘の危機に偶然行き会った事。その結果が今の自分の立場であると訴えた。


 今度驚愕させられたのはグラウドのほうだ。

 確かに本当にそうならば辻褄は合う。だが、そんな事があり得るのだろうか? 何か信じるに足る証拠が欲しい。そうグラウドは欲した。


 その要望に少年は答えてくれた。

 『倉庫』から小さな板を取り出して見せてくれる。横で少年が操作してして見せてくれると、板の表に描かれた絵はめまぐるしく変化し、音を鳴らし、風景を切り出したような画像が動く。

 そんな事はどんな魔法具にも為しえないものだ。カイはそれを彼の世界の「科学」という技術の産物だと言う。何一つ魔法など使われていないと言うのだ。

 これはもう認めざるを得ない。それを秘密にしたがったカイの事情を飲み込まざるを得ない。あまりに違い過ぎて普通では理解が出来ないだろうからだ。


「優秀であろう侯爵様であれば理解できるだろうとお見せしました。ですがこの技術はこの世界には危険だとしか僕には思えません。どうかご内密にお願いできませんでしょうか?」


 エレノアが、カイが聡明であると主張し続けていた理由が今解った。

 少年はこんな秘密をその身に宿したまま、この世界に馴染もうと必死に頑張っているのだ。それはどんなに過酷な経験だろうか? 普通なら常識の崩壊に自暴自棄になってしまいそうなものだ。


「…済まなかった。無理強いすべきではなかった。でも君がエレノアの傍に居るのが不安だったんだ」

「お気持ちお察し申し上げます。親であれば当然の事でしょう? 監視を付けたくもなるものです」

「気付いていたのか?」

「はい、でもそれで侯爵様の疑いが晴れるのなら全然構わないと思っていました」

 少年の老成した物言いに、今度こそグラウドは彼を見直し、信用しなければならないと決心する。


「私が君の後見として身分を保証する。自由にしてくれて構わない。良ければエレノアの傍にいてやってくれないか? あれが喜ぶ」

「はい、ご厚情感謝いたします。で、姉ぇ…、エレノア様には僕が異世界人である事をお話ししておきたいのですが? あの方のご恩に報いるためにも」

「ああ、そうしてやってくれ。そうだ、今日は夕食を共にしよう。その後にでも話すといい」


 こうしてカイはこの異世界での立場と自由を手に入れたのだった。

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