ファーストコンタクト

 外国に行って言葉が通じなくてもボディランゲージで何とかなるものだとよく聞く。あれは嘘だ。

 櫂は思い知っている最中だ。いくら身振り手振りをしようとも単語の幾つかでも拾えなければ本当に何も解らない。もう進退窮まっている。


 オオカミは居なくなったのに、今度は男達の剣は自分に向けられている。弁解の術もない。

 武装を放棄して恭順の意を示せばいいと思うかもしれないが、それで酷い目に合わされたり斬り殺されたりしたのでは目も当てられない。

 とりあえずこの場を去って状況をリセットして別の機会を窺ったほうが確実かもしれないと思い始めた頃、変化が有った。


「***、*******?」

「*******!!」

「**、******、*******!」


 女性の内の一人が近寄ってきたのだ。

 他の人間はそれを制止するような動きを見せていたが、先ほどの櫂の戦いぶりを見て怖気づいたのか近寄れないでいる。


 そのとても美しい女性は布を取り出すと櫂の顔を拭っていく。血を拭き去ってくれているのだろう。

「ありがとうございます」

 通じないと分かってもその女性の勇気に言わずにいられなかった。


 一拍置いて女性が考える素振りを見せてから胸に手を当てて話し掛けてくる。

「エ・レ・ノ・ア」

 それは櫂にも理解できる。コミュニケーションの第一手段として名前を告げてきてくれたのだ。

「カイ」

 櫂は出来るだけ解り易く口を動かして伝える努力をする。

 すると女性はニッコリ笑って振り返り、「**、*******」と他の人に何かを伝えたようだ。


「*****、*******」

「**、*******!」


 明らかに腰が引けた様子で男達が近付いてきて櫂の腕を取ろうとすると、エレノアと名乗った女性が鋭く言葉を発した。


(これは取り押さえしようとしたのを止めてくれたんだな)

 素直に感謝すると共に女性の勇気に感服する。自分だったらこの得体のしれない異邦人っぽい相手に誠実な対応が出来るか自信がない。


「************。*****?」

「「「**、****」」」


 エレノアの言葉に他の者は逆らえないようだ。

 どうやらこの中で一番偉いのが彼女らしい。よく観察してみると確かに彼女の服が最も複雑で色合い豊かに仕上げられている。身分と言うものが有る社会形成をしているのならエレノアが彼らの主人なのだろうと容易に想像がつく。


「*****? ***************?」


 ただエレノアが冷静に状況認識出来ているかと言えばそうでもない。伝わらないと分かっている言葉なのにしきりに話し掛けてくる。半ば諦めているのかもしれないが。


 どうしようもないのでちょっと考えて櫂は一番解り易いであろう意思を伝えてみる事にする。お腹に手を当てて空腹を表す、力ないジェスチャーをしてみたのだ。

 すると女性はクスクスと笑って後ろの者達に何かを伝える。他の女性が馬車から持ち出してきたバスケットようの物を受け取り、櫂に向けて開いて見せた。


 ここで櫂はわずかに逡巡する。それがこの世界の食べ物であろう事は明白だ。しかし、その食べ物は異世界人である櫂にとって無害なものだろうか?

 この世界の人には普通の食べ物であっても、身体の構造の違いによって毒物になってしまうのではないか? だが、ここでエレノアの善意を遠慮してしまえば全てが終わってしまうような気がする。


(ええい、ままよ!ここは度胸!)

 差し出された食べ物を勢いよく口にする。

「美味しい!」

 良かった。

 毒っぽい苦い味もしないし、すぐさま身体に変調を来す感じもしない。

(僕は賭けに勝った!)


 櫂は感激して思わず女性の手を取る。するとエレノアはもっと食べろと言わんばかりにグイグイとバスケットを押し付けてきた。二人の間には小さな誤解がありそうだが、今は脇に置いておいていいだろう。


 遠慮なくバスケットの中身を平らげさせていただくとひと心地付いた。

 喉が渇いたので木椀を取り出して水を作りだす。

「エレノア*****! **********! ***************!」

 途端に後ろの女性が叫び出してエレノアに訴えかける。エレノアはそれを手で制して再び語り掛けてきた。

「カイ、***、********?」


(ああ、これは僕が魔法を使えるのか訊いてきているんだろうな)

 そう認識した櫂はコクコクと頷いて見せた。さすがにこのくらい接していたらお互いの言いたい事がなんとなく解ってくるもののようだ。

(警戒させてしまうかな?)

 そう思いはしたが、ここで手の内を隠しても得るものは無さそうだと判断して、地面から円柱を形成させたり消して見せたり、木椀を出したり消したりして見せる。

 エレノアはちょっと驚いたようだが、すぐに笑顔を取り戻す。そしてなぜか頭を撫でられた。

(これは子供扱いされてるな)


 そう思ったが、そのままにしたほうがおそらく警戒させないで済むだろうと成すが儘にしておいた。


   ◇      ◇      ◇


 束の間を置いて櫂は馬車に揺られていた。

 櫂を馬車に乗せようとした過程で一波乱もふた波乱もあった様子だったが、結局エレノアが押し切った。


 車中の人になった櫂は対面に座ってニコニコするエレノアによって隅々まで観察されている。

 ちょっといたたまれない気分になるのと、何よりすごく揺れてお尻がダメージを受けているのを何とかならないものかと思う。まあ、自動車のようなサスペンションを求めるのは無理ってものだろう。


 しばらくすると高い壁が円弧を描いているのが見えてきた。

 それはあのオオカミみたいなのが外に多数存在するのなら、こうでもしないと人は暮らしていけないと解る。

 門扉には槍や剣を帯びた人間が人の出入りを管理している様子が見れた。ただし、この馬車は完全にフリーパスだった。

 乗り込む前に見落としていたが、何かそうさせる模様とか言葉とかが外面に描かれていたかもしれない。


 壁の中はとても賑やかだ。

(もしかして石畳の道とかが伸びている?)

 櫂の予想は裏切られて、色だけは土の色だがきっちり平らに固く舗装されている。この世界にはあんな魔法が有るのだからこのくらいの芸当は出来るだろうと思い直し、異世界を馬鹿にしたのを反省した。


 道の両側には整然と平屋もしくは二階建ての家々が立ち並び、商店らしきものも見受けられる。

 それらの外壁も魔法で固められたもののようであり、この世界にはかなり魔法が浸透しているのが解る。それならさっき櫂の魔法が見咎められたのが解せないのだが、そんな複雑な事を伝えるのは難行を極めるので諦めた。


 馬車は大通りと思われる広い通りを進み、行く先に大きな城が見える位置まで達した。

(やっぱりお城あるのか。かなり高いぞ、あれは)

 これだけ魔法の産物を立て続けに見せられていれば高層建造物の存在にも驚かないで済む。

 もちろんかなりの労力は払われているのだろうが、技術的にそんなに困難だとは思えない。逆に言うと、これだけ便利な魔法が身近にあれば、科学技術の発展は望むべくも無いんだろうなと思う。

 もしここで暮らすのならば、その自分の世界とのギャップに苦しめられそうだ。


 馬車は粛々と進み、再び高い壁の円弧が見えてきたところで、はたと櫂は考える。

(これはあのお城を守るために作られている壁だよね? もしかして「エレノア」はこの国のお姫様? そんな物語みたいな事ある?)

 今度は重厚な鎧に身を包んだ兵士に守られた門をフリーパスで通過したところで嫌な汗が出てきた。

(嘘ぉ!?)


 これからの展開に不安を隠せない櫂だった。

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