彷徨
当面の急務は水の確保だ。これが無いと活動限界はすぐにやってくる。
普通に考えれば清水の流れる川を見つければいい。だが櫂はこの案に疑問符が付く。現代人に生水は天敵かもしれない。お腹を壊せば水分の確保が出来ても活動限界は近くなる。
まず、最高の結果が出る方法を試してみる。魔法による水の確保だ。
とりあえず拾ってきておいた木の枝を変形させて器を作る。木椀が出来たらその上で軽く手を握って(水出ろ水出ろ)と念じてみる。悲しいかな数滴の水が小指から椀に垂れてきただけ。とても飲用を賄えるものではない。
ここではたと気が付いた。
土を変形させた魔法でも、この木の椀にしても原料は必要とされた。
それは水だって無から生み出せないのも道理なのではないか。じゃあ水はどこにある? そこら中にある。水蒸気として空気中に混ざっている。
ならばどうするべきだ? 魔法の力を大きく広げて水を掻き集めるようにイメージする。手からはチョロチョロと水が流れ落ちてすぐに椀を満たした。
満足してそれを口にすると、やはり無味無臭で予想通り純水に近いものだ。
となれば食料も必然、無から生み出すのは無理な芸当になる。
この辺の魔法の便利さと不便さに折り合いを付けるのが課題になりそうだ。
◇ ◇ ◇
さて、櫂も知っている物語の異世界には人も存在していた。
それは勇者として召喚されるような種類の物語だったので、異世界に行ったとたんに案内人が存在する。
ところが櫂の場合には何もないところへポンと放り出されてしまった。
最悪、この世界には人類なんて存在せず文明など望むべくもないかもしれない。そのケースだと狩猟採集生活に突入な訳だが、たぶんその前に狂ってしまうだろう。
人間というのはどこまでも群れの動物なのだ。個人ではおそらく精神の平衡を保つ事が出来ない。最悪の結果が避けられるのを祈りつつ自分の運を信じてみようと櫂は思った。
まず先ほどから脳裏に浮かんでいるものに意味を求めてみよう。
イメージ的にはレーダー画面みたいに感じる。幾つかの反応があるが、それは主に見える範囲にある森の中辺りに該当する様だ。
森以外の反応に注目して目を凝らしてみると小動物の影らしきものが見て取れた。
どうもこれは生命反応レーダーのようなものらしい。ここで微生物等生命の定義について熟考している余裕はないので頭から追い出しておく。
もしこのレーダー魔法が現代社会で見られたレーダーと同じ仕組みで稼働しているなら試せる事が有る。より遠くにレーダー波を届かせられればそれだけ遠くのものが察知出来るようになるはず。
地面に手を当ててレーダー画面を広げるイメージをしてみるが思ったようには広がってくれなかった。
(さすがにそこまで甘えさせてはくれないよね)
まあ物の試しにと思ってガントレットを地面に突き込んで同じ操作をしてみる。すると範囲がガツンと広がって、情報量にちょっと頭がくらくらした。
(僕、日本でそんなに行いが良かったとも思えないんだけど)
あまりの幸運に笑いさえ湧き上がってきた。当座はこれを頼りに進んでみようと思った。
◇ ◇ ◇
広域サーチをした時におびただしい数の反応が有ったほうへ進む。
一度だけ離れた位置から野犬のようなのが一頭駆け寄ってきて襲い掛かられたが、サッと躱して全力で殴りつけたら一撃で絶命してしまった。
最初から感じていたが、相当身体能力が向上している。これもおそらく魔法の一種だろうと自分を納得させる。
少し進んだところでそれは起こった。
空気を裂いて悲鳴が聞こえてきたのだ。人間の、それも女性の悲鳴だ。待ち望んだ人の気配だ。何物を差し置いてもこの女性の安全の確保を図らなければならない。
それが自分の命の確保にも繋がるだろうからだ。
あらん限りの力を振り絞って悲鳴が聞こえたほうへ疾走する。とてつもない速度を叩き出している実感が有るが後回しだ。
森を回り込んで視界が開けると一台の馬車らしいものがまず目に入った。
その傍には三名の女性。女性達を守るように五名の男が剣を抜いている。そしてその周りを取り囲んで二十頭あまりの、例の炎を食むオオカミが吠え声をあげて威嚇している。
息を詰めたまま一気に接近し、間際で足を踏ん張ってブレーキを掛けて構えると地面ギリギリにガントレット繰り出して振り抜く。
拳が肉体を打つ感触と鈍い音がして、オオカミは数十mは吹っ飛び、跳ね転がって動かなくなった。
新たな敵の出現にオオカミ達は目標を切り替えて、無謀にも単独で挑んできた人間から片付けようとする。が、その頃には櫂は空気をいっぱいに吸い込んで万全の態勢を整えていた。
次々に襲い掛かるオオカミを、時には手刀で時には拳で叩き潰していく。
大きく咢を開いて食い付いてきた一頭の下顎を掴み、そのままのスピードで地面に叩きつける。そのピクピクしている身体を振り回して他のオオカミを叩き落とす。飛びついて来ようとする一頭の喉横へ抜き手の爪を突き込んでやる。縦横無尽の攻撃にオオカミはみるみる数を減らし、じきに動いているものは居なくなった。
詰めていた息を長く細く吐き、額の汗を拭おうとしたがガントレットが血みどろだったので、まず水を出して洗い流した。
よく見ると身体も返り血だらけだ。これは明らかな失敗だと櫂は思う。これじゃ女性達を怖がらせるだけになる。この後の助力を請おうとすれば、この格好は最悪だ。
それでもこうして繋がった細い糸をみすみす手放す訳にもいかず、出来るだけの笑顔で話し掛ける。
「すみません、迷っているので助けていただけませんか?」
「*****、***********!」
「**********、***。******!?」
「*******、*******」
口々に何かを言っているが全く理解できない。
櫂のこの日一番の失敗。言葉が通じなかった…。
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