魔闘拳士の誕生

その地に立つ

 櫂は気付くと樹にもたれ掛かっていた。そんな事をした記憶が無い。


 心配事は晴れたのだがそれに自分が何の助けにもなれなかったのがショックで、嬉しいような悲しいような、感情がごちゃ混ぜになった状態のまま家に帰るのが嫌で、冷静になろうと公園のベンチに腰掛けたのは覚えている。

 その時、酩酊感を催したような気もする。何か薬でも嗅がされたのだろうか? しかし周囲に人の気配はなかったはず。身体を探ると無くなっている物はなく、怪我もない。

 どうにも現状が把握できない。ここはどこだ?


 今は森の中だが、目をやると数十m向こうには日差しに照らされる草原が広がっている。

 問題なのはその草原が遥か彼方まで続いている事だ。自分が住んでいた場所は緑が多くはあったが、ここまでの大自然を有していた訳ではない。やはり攫われでもしたのだろうか?


 日本にこんな風景の場所があっただろうか?

 あるとすれば北海道くらいしか思いつかない。が、自分が住んでいたのは北海道ではなかったはずだ。なんか自分に自信が持てなくなってきた。

 もしかして薬の所為で幻覚でも見ているのか? しかし、次の瞬間、疑問など放り捨てなければならない事態が到来する。


 唸り声を上げつつ近寄ってきているのは犬には見えない。TVで見たオオカミに似ている。

 日本にはオオカミはいないが外国ならいる。ただ、そのオオカミも口から炎をたゆたわせていたりはしないと思う。


(誰も僕にこんな手の込み過ぎたドッキリなんて仕掛けないよねぇ。あれって火傷しないのかなぁ?)


 既に動揺は限度を超えて逆に冷静になりつつある。しかし回転を再開してくれた彼の頭脳もその存在に答えを生み出してなどくれない。

 ただ、自分の命が危機に晒されているのは十分に実感できた。格闘技を嗜んでいようが野生のオオカミに勝てるほどの技量はない。と言うかそもそも人間が素手で勝てるような相手には見えない。


(もしかして終わってる?)


 背中が汗びっしょりだ。獣の餌になる人生など誰が予測し得たであろうか?そんな事が出来るのは予知能力者くらい。櫂はそんな器用には出来ていない。この理不尽にちょっと怒りさえ湧いてきた。名案など思い付かないままオオカミはじわりじわりと近付いてきている。


 唸り声はボルテージをひと際上げてオオカミが地を蹴る。

 櫂は「わあっ!」と声を上げ、すぐさま立ち上がれるように地に突いていた両手を前に翳す。すると「ドン!」と何かが手にぶつかる感触がした。

 噛み付かれたような感触とは違う。恐る恐る目を開けると自分が土色の板を手に持っているのに気が付いた。そんな物を持っていた記憶は無い。

 これはどこから出てきた?


(そもそもこれは何の冗談なの?)


 その板は、カイが小さい頃に好きで観ていたロボットアニメの主人公ロボットが手にしていた盾だ。

 茶色一色で彩色は異なるが間違いない。夢なのか現実なのか区別がつかなくなってきている。それを助長しているのが、自分が結構なサイズの盾を持っているのに、その重さをほとんど感じていない所為もある。


 それでもとりあえず身を守る道具が手に入った。

 オオカミも警戒して距離を取り直している。残念ながら諦めてくれる気配はないが。再びじりじりと距離を詰めてきたオオカミが姿勢を低くして飛び掛かってきた。


 そこからは必死だった。オオカミの攻撃を盾で受けると、今度はこちらから踏み込んで盾で殴る。

 オオカミが「ギャン!」と悲鳴を上げるが、そんな事お構いなしに殴りつける。何度も何度も殴りつける。次第に苦鳴もほとんど上げなくなってきた。

 動かなくなったオオカミに、櫂は息の整わないままに近付き、死んだと確認した。もうここに至っては夢などとは思っていなかった。肉を殴る感触と血の匂いがそれを裏切っていたからだ。


(これは現実だ。間違いない。それも、これはいわゆる異世界ってやつらしい)


 アニメなどの創作物に造詣の深い級友が口にしていた単語が頭に浮かんだ。櫂でもそういうマンガに目を通した事くらいはある。そう想定しないと目の前の事実の説明が付かない。


 検証が必要だ。現状把握をしっかりしておかないと、ここでは生き延びるのは無理な気がする。

 盾を手にした過程を思い出す。その場所に戻って手を突いていた位置を見ると窪みが確認できた。

 どうやらここの地面を材料にして盾を形成したらしい。手にした盾をコンコンと叩いてみるが、そうとう硬い感触がする。土くれみたいにボロボロと崩れる様子はない。

 これが「魔法」とか「魔術」の類だとしても、形だけでなく硬さもコントロール出来そうだ。

 試しにもう一度地面に手を突いて引っ張るようなイメージで持ち上げてみる。すると土が円柱状に持ち上がって、その周囲が抉れていく。硬さもなんとなく感覚的な制御が理解できた。


 それなら盾とは別の自衛手段を求めたい。

 取り扱いに通じているとはお世辞にも言えないそれを手にしているよりは、手慣れたもののほうが断然良い筈だ。と言っても櫂は竹刀などの武器を扱うのではなく、徒手格闘技を専門にやってきた。

 ならばグローブ状の物のほうが向いているはず。それも素材にもこだわれば耐久性も増すと思われる。でも、グローブには可動部分が有って、それは硬い素材で作れるとは思えない。

 そこでふと気付く。目の前にオオカミの死体がある。それは「皮」に包まれている。名案に思えた。


 その場で作業を始めるにはあまりに無防備なので、オオカミの死体を引き摺って日向の草原に向かう。

 皮の部分に手を当てて引っ張ってみるが、付いて剝がれてきてくれない。この魔法というやつは、そこまで親切設計にはなっていないらしい。

 仕方ないので土から小型のナイフを形成する。切れるくらいに鋭くするのにずいぶんと集中を必要とした。

 しかしイメージ次第では分子レベルまで配置の制御が出来そうな感触がする。そういう意味ではとてつもなく便利な能力だ。


 慣れない皮剥ぎ作業に苦心したが、結構な量の皮を入手できた。

 皮に水分が抜けるようなイメージを送りつつ形状を変化させる。程なくして両手分の皮手袋が完成する。柔らかさも申し分ない。


 次は表に取り付ける硬度の高い部品が要る。

 周囲で石を拾ってきてこねくり回してみる。触れた時に流れ込んでくる情報で、見た目や色によって硬い石とそれほどでもないのが有ると分かる。

 硬い種類の石を揃えて集め、工作作業に入る。腕を覆う部分、手の甲に当る部分、指の表側、そして攻撃力を増すために指先は爪にして作り上げた。

 皮手袋に融着させて鎧小手のようなものが完成した。


(そう言えば西洋鎧にこんな部品があったよね? 何て言ったっけ? そう、ガントレットだ)

 昔、何かで読んで得た知識を引っ張り出して一人で納得した。ちょっと寂しい。


 自衛手段を手に入れた櫂は移動する決断をする。

 次は何らかの生活手段を模索しなければならない。持ってきていた盾を手に立ち上がる。

 だが(ちょっと邪魔だな)と思う。すると盾はフッと消えてしまった。

 消えてなくなった訳じゃなく、どこかに置いていて自由に取り出せるように感じられる。一度確認して盾は納めておく事にする。


 あまりに便利過ぎるこの異世界の魔法というものに、ちょっと呆れ気味の櫂だった。

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