英雄の帰還(2)

 オーリー・バーデンは平々凡々な人生でもそれを愛していた。

 少々の危険はあるとはいえ家族と一緒に旅暮らし。金持ちではないがそれなりに豊かで、妻にも娘にも余裕のある生活を提供出来ている。そんな自分に割と満足していた。


 ところがどうだ。今、自分に降りかかっている現実はなんだろう?

 オーリー達を先導しているのは清楚だが上質な衣装を纏ったメイド。横を歩いているのは伝説の英雄様にして貴族。近衛騎士の警護を受けている。

 極めつけは自分の足が踏んでいるのは王宮の廊下ときている。どこをどう間違えるとこんな結果になるというのだろう。軽く出そうになる涙をグッと堪えるのが精一杯。ともあれ巻き込まれたのが喜劇なのか悲劇なのか流されていくしかないのが辛かった。


 対してアリサは案外落ち着いている自分に少し驚いていた。

 手を繋いだタニアはキョロキョロと見回して興奮を隠せず目をキラキラと輝かせている。弱小貴族のしかも妾腹のアリサも王宮など無縁に育ったが、そこも貴族の理屈で構成されている空間で多少なりとも自分が知っているルールに支配されているのが解る。

 隣で明らかに落ち着かない風を見せている愛する連れ合いに、腕を組んで頷いて見せ落ち着きを取り戻すように促すくらいの事は出来る。


 ずっとアリサとタニアに与え続けてくれた一家の柱に少しはお返しが出来るのが嬉しかった。


   ◇      ◇      ◇

 

 廊下をかなりの距離歩いて行き着いた先には豪奢な扉が待っていた。

 精緻な彫刻が施されている芸術品のような扉を見て、つい幾らなんだろうと考えてしまった自分をオーリーは恥じる。扉の両側に立哨する衛兵はハインツが促すと横にずれる。メイドがノックをすると微かに応えが聞こえ、メイドは扉を引いて客達を室内へ誘う。


「んと、ここは?」

 腰の引けるバーデン一家より先に部屋に入ったカイは自分がふわりと抱きしめられたのに気付いた。そして包まれた香りが懐かしいよく知っているものだと分かってフッと笑う。

「姉ぇ、ただいま」

「ばか…」

「ごめんなさい」

「ばか…。なんで消えちゃったりしたんです。行くにしても挨拶くらいしていくべきでしょう?私はあなたをそんな礼儀知らずに育てたつもりはありません」

「うん。でも姉ぇの優しさに包まれたままだと踏ん切りが付かないような気がして」

 カイは目の前のとても美しい女性の涙を指で拭い取り、ちょっとだけ言い訳した。


 もう少しぐずっている女性を促して奥に入り、全員が室内に入って扉が閉じられたところでチャムは口を開いた。

「紹介してもらえる?」

「うん、彼女はエレノア姉さん。今は…、そう。王太子妃?」

「合ってるわ。偉い偉い」

 カイを子供扱いしているこの女性があの『魔闘拳士のサーガ』の美姫だと皆が気付いた。

「彼女が僕の相棒のチャム。魔法剣士でいいかな。強いんだよ」

「そうなの。それは心強いわね。弟の事、よろしくお願いします」


(何を言っているんだ。天下の英雄を捕まえて)

 一部の人間は口には出せずに心の中で突っ込む。

 どうやらこの美しい王太子妃殿下は天然だと知れた瞬間だった。


「それからホルムトまでお世話になった隊商のオーナーのバーデン一家の人達」

 続いて一人ずつ紹介していくカイの様子を見ていると、どうも彼女の天然は彼の中で既定事項らしい。

「あら、タニアちゃんは五歳なの。じゃあうちのセイナと同い年ね」

「セイナです、お兄様、初めまして。色々な方に何度も何度もお話を伺っていました。お会いできて光栄です」

 エレノアの斜め後ろでしゃちほこばって控えていた少女がスカートの両端を摘み上げてペコンと挨拶する。

「チャム様、バーデン家の皆様方もどうかよろしくお願いします」

 緊張しきっている様子が微笑ましくて大人たちの顔がほころぶ。だがカイはそんな様が可哀想に見えて近寄って前に両膝を突いた。

「そんなにかしこまらないで。どんな風に聞いたか解らないけど僕にとって君のお母さんは大切な人で、その子供である君も大切な人になるんだ」

「でも、お兄様は救国の英雄で素晴らしい方だとお爺様…、陛下もおっしゃっていらして」

「そんな大した人間じゃないんだよ。僕は普通に君のお兄ちゃんになりたいんだ。家族のつもりで仲良くしてくれないかな?」


 そしてスッと抱き寄せて「ね、セイナ」と呼びかける。感激したセイナはカイに抱きついて「はい、嬉しいです、カイ兄様」と答えた。ちょっと涙が滲んでいるところを見ると緊張の糸が切れたようだ。カイはそのまま抱き上げて安心させてやる。


「良かったわね、セイナ」

「はい、お母様!カイ兄様はお母様がおっしゃった通り優しい方でした」

 カイがセイナをそんな風に扱うだろう事はエレノアには分かり切っていたのだ。


 そんな様子をエレノアの後ろにぴったりと張り付いて眺めていた男の子がいる。セイナが嬉し気に抱き上げられているのを見て警戒を解いたのか、トコトコと駆け寄ってきて右足の裾をツンツンと引っ張る。


「ねえ、本当に魔闘拳士さま?」

「そうだね。そう呼ばれることも有るね」

 カイはしゃがんで目線を下げる。

「その子はゼインよ。三歳。ゼインは『魔闘拳士のサーガ』が大好きだものね」

「うん! でも兄様、あまり強そうじゃないよ?」

「失礼を言ってはダメよ、ゼイン。あれだけ聞いたじゃないの」

 数言交わしただけでカイに心酔してしまったセイナが目くじらを立てる。

「んー、わかんない」

「いいんだよ、ゼイン。仲良くしてくれる?」

「うん、いいよ!」

 元気よく答えたゼインだったが、タタタとチャムに駆け寄る。

「でも、こっちのお姉ちゃんのほうが強そう」

「ゼイン!」

「あら、お目が高いわね。じゃあゼインは私が守ってあげるわね。ブラックメダルのこの私が」

 チャムに抱き上げられたゼインははにかんだように笑った。


 この状況を茶化したチャムによって場の空気は緩んだようだった。


   ◇      ◇      ◇


 そのあと一同はソファーセットに移って談笑する。

 エレノアはホルムトまでの道程のカイの様子を聞きたがり、オーリーが恐縮しつつ慣れない敬語に苦労しながら語っている。

 ゼインはチャムの膝の上に陣取ってお菓子に手を伸ばす。セイナはカイの隣に座り、その隣にいるタニアと何かを小さく言い合いながらクスクスと笑っている。

 セイナにとって同年代の子供が話し相手になってくれるのは貴重な事で、しかもそれが身分に頓着するような育ちでなければ遠慮なく話してくれるので、とても嬉しいのだった。

 アリサは意外と洗練された語り口でエレノアを楽しませ、オーリーの言葉に時折チャムやカイが茶々を入れて笑い合う。


 しかし、場の空気がすっかり和み切ったころに嵐が扉を開けて飛び込んでくるのだった。

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