【士官】《具体的戦略の詳細確認》〈五ノ弐〉②

〈五ノ弐〉②

 猫目猫耳の案内係から連絡が来た。通信の背後に銃声と叫び声が聞こえる。

「今コントロールルームが襲撃を受けて応戦中ですが、もう持ちません! 『バーサクウイルス』が・・・ああっ・・・・・・ん・・・」

 通信が切れた。続いて『ゾチカ』。

『コントロールルームのシステムに接続していた無線ジャックが破壊されました。ウイルスは投入済みですが、システム奪還作業の進捗状況は、ジャック破壊の時点で四十二%でした。現状ではシステムを奪還できても、刷新したシステムを立ち上げるには、コントロールルームから直接アクセスする必要があります。また、時限プログラムが仕掛けられたのは、ブラジル時間で九月二十八日の零時二十五分三十三秒、今から二十一日前でした。当時のコントロールルームの監視映像は削除されているようです』

 続いてレイン大佐と繋いだ。僕は自分の躰に異変を感じていた。両足の痛みが全身に広がりつつある。

「会議室から報告は受けている、全滅だ。人質になっているのはドミートリィ・アレクサンドロヴィチ、ロシア銀行のプライベート・バンカーだ」

「会議の内容は」

「ロシア銀行に存在し、凍結されていた十字群衆のテロ資金を国連が没収し、テロ対策費に充てることを検討する会議だ。十字群衆はプライベート・バンカーを、交渉の駒にするか直接資金を引き出させるか、するつもりだろう」

「なぜこれだけの案件がランクEだったの」

 ヴィルヘルが意識を取り戻した。

「『バベルⅡ』は元々警備が厳重だし、入場時のチェック態勢も万全だ。今回のSPたちも国連軍の特殊部隊から選りすぐられている。監察攻兵はあくまでも保険に過ぎない。それに誰も『バベルⅡ』の自動迎撃システムをかいくぐって、外から特攻してくるとは思わんよ」

「『オーバーロード』もまだまだ改良の余地があるわね」

「ソランジュは恐らくそちらに戻ってくるはずだ」

「迎え撃つわよ」

 ヴィルヘルは僕を四つ足ロボットの残骸の傍まで運んだ。

「ここから援護してね」

「気分はどうだい」

「全てがスローに感じるわ」

「高速思考の効果だろう、より正確な動きができるようになる」

「ソランジュはこれに加速機関まで付いているのよね」

「僕たちならヤツに勝てる」

「神に祈りたい気分だわ」

 僕の全身を耐え難い痛みが襲う。まるで炎に包まれているかのようだ。ヴィルヘルも異変を感じているらしい。

「痛いわね」

 ヴィルヘルの電子脳は痛覚を知覚だけ残してマスキングできる。僕は全身の痛みに震え、悶絶し、躰をかきむしった。コレハ、イッタイ、ナンダ? 毒物か、ウイルス感染か、兵器か。『ゾチカ』に症状を訴え原因を検索させる。

『全身が痛いだけでは情報が少なすぎます。状況をふまえ検索しますが、原因特定にはおそらく時間がかかります』

 痛みはますます激しさを増していく。


 ソランジュは宇宙港方向の通路からやってきた。僕たちを確認すると、担いでいたプライベート・バンカーを、床に乱暴に放り出した。彼は気を失っているようだ。ソランジュは蒼い燐光を放つ大剣を構える。

「ヴィルヘル・ディアボロス・インクリナタス。さっき確かに、電子脳を焼き切ったはずだけど」

 少女の、澄んだ、ガラスを弾くような音色を奏でる声。

「私は不死身なのよ。久しぶりね、ソランジュ。決着をつけるときが来たわ」

 僕は痛みに震えながら、ライフルを構え、ソランジュに発砲した。ヴィルヘルがヘルウィップを薙ぐ。ソランジュが消えたと思った瞬間、彼女は既にヴィルヘルの懐に飛び込んでいた。スタンナイフで対処しようとしたヴィルヘルの鳩尾に、膝蹴りを入れる。あばらが折れただろうか、後ろに跳び退って間を開いたヴィルヘルが、今度は空気に溶け込むように消えた。新しく投入したナノマシンが彼女の躰を覆い、光を屈折させて、光学迷彩を施したのだ。

「あなたは痛覚をマスキングしているんだったよね。面白くない、一気に殺してやるわよ」

 ソランジュは迷う事無く、ヴィルヘルを視界に捉えているかのごとく大剣を振り下ろす。恐らく僕たちと同じ、拡張現実による光学迷彩に対処する索敵機能を有しているのだろう。

 なんとか剣をかわしたヴィルヘルは再びヘルウィップを薙いだが、ソランジュはムチの軌道をかいくぐって、間を詰め、ヴィルヘルの右腕を掴んで背中側に捻りあげ、うつ伏せに倒して片手で押さえ込んだ。僕はソランジュを銃撃したが、弾丸はことごとく大剣に弾かれる。たちまちライフルの全弾を撃ちつくしてしまった。

「人類の叡智の結晶である科学の恩恵を、それだけ享受した躰を持ちながら、なぜ人類を滅ぼそうとするものに加担するの?」

「それこそが私たち『血の十字群衆』の理念だからよ。人間は自らの手で自らの歴史に幕を下ろし、神の手に世界を委ねる。今や自死による神への忠誠こそが、この世で最も尊いものなの。私たちは自ら生んだ科学由来の自死によって地獄に落ち、苦しみによって現世の罪を贖う。全ての人間がよ。それこそが神の意志なの。あなたたちは自分たちが造ったAIに神の名を付けているんでしょう? それこそが神に対する冒涜よ。神を造る? 私たちは永遠に神のしもべ。あなたたちの思い上がりを、真の神は許さない」

「神の意志を掲げて戦うこと自体が、自分を正当化するために神を利用しているに過ぎないことに、どうして気付かないのかしら。あなたの言う地獄とやらに行ってから、よく考えてみることね!」

 バキバキと音がして火花が散る。ヴィルヘルの躰を覆っていたナノマシンが、一気に放電したのだ。百万ボルトの超高電圧に、ソランジュはたまらずヴィルヘルから離れる。同時にヘルウィップが襲い掛かる。これはヴィルヘルの最後の渾身の一撃だった。ナノマシンの放電には、ヴィルヘル自身もただでは済まない。しかし、女王様モードでロックしているはずの、ヘルウィップの一閃は空を切った。ソランジュの加速機関が、ヘルウィップの攻撃スピードをうわまっているのだ。

 ヴィルヘルは僕と目を合わせ、うつ伏せに倒れたまま、動かなくなった。彼女は泣いているようにも見えた。ソランジュはゆっくりとヴィルヘルに近づき、足で彼女の躰をひっくり返すと、吸血鬼に杭を打つように、深々と心臓に剣を突き立てた。

 僕はヴィルヘルが止めを刺されているあいだ、ヴィルヘル用救急ナノマシンの、静脈注射を自分に施した。今この痛みを止めるには僕も電子脳化するしかない。この痛みは本来、持ち主にその躰が危機に晒されていることを、知らせるためのシステムなのだが、痛みそのもののために躰が自由にならず、逆に危険に晒されるこの事態はナンセンスだ。このような醜態に陥るのはひとえに、人間の躰が不完全で欠陥だらけであることの、一つの証明といえる。痛みはいまや僕を発狂せしめんと、支配し躰中を蹂躙している。


 ソランジュが近づいてきた。華奢で可愛らしい少女の姿をしているが、たった今証明したように、世界最恐の戦士だ。彼女の踝ごしに、ヴィルヘルの遺体が見える。

「痛いでしょ? 大昔の兵器だよ。『苦痛光線』、私の躰からマイクロウェーブが放射されているの」

 ハンドガンを抜いた瞬間、鉈のような大剣に右手を持っていかれた。『ゾチカ』がソランジュの言葉に反応する。

『『苦痛光線』、暴徒鎮圧の目的で作られた兵器です。マイクロウェーブの照射によって、皮膚の表面から六十四番目の層の水分を沸騰させ、耐え難い激痛を引き起こします。電子レンジと同じ原理で、火だるまの苦しみですが、実際に躰が焼けるわけではなく、光線をストップさせると、たちどころに痛みは消えます。有効射程距離はおそらく八百メートル、金属の遮蔽物で反射できます』

 ソランジュは自分の陰部を激しく弄っている。ピチャピチャと溢れる官能的な音がする。

「んっ・・・素晴らしい・・・痛みこそ真実。罪人であることの証よ。まさに地獄の苦しみよね、うふふっ」

 ソランジュは自慰をしながら僕の股間を踵で踏みつけ、唯一残った左手にもじわじわと剣を沈めていく。しかし僕はもう痛みを感じなかった。

 僕の脳内に達したナノマシン群は、電子脳を構築する作業と平行して、体性感覚野局部の神経回路を編集し、痛覚及び温度感覚を、それらに対する知覚のみを残したまま遮断した。これによって僕は、苦痛光線に焼かれている、股間を踏みつけられている、左手に剣がめり込んでいる、などの知覚を保持したまま、痛みや熱さの感覚は感じなくて済むようになるのだ。僕の魂までも奪おうとするかのような数々の痛みが完全に消えるのと、電子脳化によりサイバーネットと意識が直結し、現実がさらに拡張される瞬間が同時にやってきた。高速思考により、頭脳がめまぐるしく回転し、周囲の現象がスローになる。世界が一変するのには、ものの数秒もかからなかった。

 人本来の肉体の制限から一部解放されただけで、僕はその素晴らしさに直に触れ、そして吹っ切れた。今まで何を迷っていたのか、人は行けるところまで行けば良いのだ。ヴィルヘルが示唆したように、身体に帰属するすべての欲望も、身体を超越したいと願う精神の欲望も、それが人間の生命由来のものである限りは、自然の原理の範疇として讃えるべきものであるのだ。改変された身体もまた、欲望に基づくものである限り、不自然なものではない。たとえアンドロイド、果ては精神に内包される身体という究極の姿になろうとも、それはごく自然なことである。暴走による破滅? 大丈夫、僕たちは自分を律することができる。数々の有用な学問、自立する芸術、隣人愛、僕たちを導くものは僕たち自身が既に手にしているものばかりだ。これらのツールによって僕たちの良心や善意は猛進する我欲に組み込まれ、行き先を制御する役割を果す。宗教よりも自然で融通が利き、直接魂に訴えかけてくるこれらのツールを羅針盤として、僕たちの航海はこれからも続いていくだろう。

「んっ・・・・・・あっ?」

 オルガスムスを迎えようとしているソランジュの動きが一瞬止まる。電撃をお見舞いした際ヴィルヘルが送り込んだ、侵蝕型ナノマシンとソランジュの抗体が、彼女の躰内で今、戦っているはずだ。この瞬間を逃すことはできなかった。

 僕は自分の電子脳を、サイバーネットを通じてヴィルヘルの電子脳と同期させながら、サーモグラフィーモードでソランジュの躰の一番熱量の高い部位を探した。あれだけの運動能力を発揮するには、それなりのエネルギー供給システムがあるはずだ。しかしそれらしき部位は見つからない。運を天に任せてソランジュの左胸部を女王様モードでロックし、ヴィルヘルの行動制御を使ってヘルウィップを薙がせた。

 僕の左手が完全に切断されるのと、ヘルウィップがソランジュの左胸を後方から貫くのが同時だった。ソランジュは股間から愛液を滴らせながら崩れ落ちる。猫目猫耳の案内係の姿が見えた。彼女はプライベート・バンカーを引き摺り、SSTOの突入口のハッチを開けた。ソランジュが「きゃはは」と笑う。

「私たちの勝ちね。目的は果したわ」

「逃げおおせると思うのか」

「あなたたちの敗因は私たちを甘く見たことよ。彼女は優秀なスパイなの、ふふっ」

 ソランジュは僕の躰に抱き付いてきた。彼女の躰内からモーターの回転するような音が聞こえる。自爆するつもりらしい。僕は『ゾチカ』が記録している今回の任務の全データを、本部のホストコンピューターに転送した。僕たちは敗れたが、この経験は意志を継ぐものたちの糧となる。戦いは永遠に続くのだ。

「いいこと教えたげようか、たった今あなたたちのAIがネットにアップした情報よ。『巨大ブラックホール』で検索してみなさいな」

 電子脳を走らせるより速く『ゾチカ』が反応する。

『たった今、『オーバーロード』により公式に発表された情報です。銀河の中心部、射手座方向に、指数関数的に増大するブラックホールが存在していたことが、確認されました。ブラックホールは急速に膨張を続け、このまま行くと約三十年後に地球を呑み込みます』

 信じがたい情報だった。

「きゃははっ、神が設定した特異点、『シンギュラリティ』の時限爆弾、タイムリミットってわけよね。どのみち私たちは滅びる運命にあるらしいわね」

 ソランジュは濡れた陰部を僕の躰に押し付けてくる。

「一緒に逝きましょう。地獄で終わりのない痛みが待っているわよ」

 ソランジュは僕の首筋に死の口づけをした。モーターの回転音が激しさを増し、僕たちは光に包まれる・・・・・・

「来い!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る