第五章 【士官】《具体的戦略の詳細確認》〈五ノ壱〉①
第五章【士官】《具体的戦略の詳細確認》
〈五ノ壱〉①
『バベルⅡ』への出向命令が出たのは、僕がヴィルヘルに組み敷かれてしまった瞬間で、指令はまずヴィルヘルの電子強化された脳、所謂電子脳に、ゼロコンマ数秒遅れで僕の『ゾチカ』も同じ情報をコンタクトに表示し、読み上げた。強化監察攻兵は待機中、毎日技能訓練を行い、プログラムの最後はバディ同士の組み手をする事になっている。ドールとエンジニアの身体能力の差は歴然で、この組み手は主にエンジニア、つまり僕の戦闘能力の底上げが目的となっている。ヴィルヘルは立ち上がると、僕の手を取って躰を引き上げてくれた。
「今、どさくさに紛れて私の胸を揉んだわよね」
「不可抗力だよ」
「不可抗力! それは私の魅力には抗えないってことかしら。揉みたいって言えばいつでも揉ませてあげるわよ」
僕たちはリオデジャネイロにある国連軍の支部施設、クレータービルで出向命令を受けた。国連軍テロ対策特別部隊の強化監察攻兵は通常、各支部にローテーション式に配置され、世界中を転々としている。正式な出向命令と詳細説明をレイン大佐から受けるため、僕たちはビル上階にある司令室に向かった。
「フリード、ヴィルヘル、お前たち両名の今回の任務の危機レベルはランクEだ。『血の十字群衆』の案件になる可能性があるので、『ブリュンヒルデ』が君たちを選出した。丁度ブラジルにいるしな」
僕たちのボス、レイン大佐がモニターに映っている。彼は今ワシントンにいる。
「要はパトロールね。まあ久しぶりに宇宙から下界を眺めることができるのは嬉しいわ」
「遊びではないぞ」
僕たちの出向を決めたのは、レイン大佐ではない。『オーバーロード』と呼ばれるネット上の情報収集管理運営AI群が、ベレン沖にある軌道エレベーター『バベルⅡ』においてテロ組織、『血の十字群衆』に関連する事案が発生する可能性を検出し、そのAI群の一つ、『ブリュンヒルデ』が、僕たち二人を派遣する事を決めたのだ。『オーバーロード』の危機確率算出プログラムは、ネット上のあらゆるソースを参照して、天災人災を問わず有事を予測する。『ブリュンヒルデ』は軍事部門の対策検討AIで、予測された有事への対処法を決定し人選を行い、僕らはその命令に従うのだ。『オーバーロード』の性能はすこぶる高く、彼らの前には有線無線を問わず、ほとんどのプライバシーは存在しない。個人レベルなら購入物の履歴やネット上の発言などから、要注意人物をブラックリストに載せ、自ら心理分析までして、犯罪やテロの可能性を算出する。彼らの参照する情報量は、あのかつての悪名高き『エシュロン』や、『プリズム』、『エックスキースコア』等の収集プログラムをはるかに凌ぐものだ。
「十字群衆の案件も久しぶりだわね」
僕たち二人は、専門ではないが、『血の十字群衆』に関する事案には、度々駆り出され、それなりに蓄積された経験もある。十字群衆の活動は近頃は下火になっており、それは世界が平和に向かっていることを実感するための、一種の指標のようなものだ。
『血の十字群衆』の嚆矢はキリスト教極右の、科学技術の進歩を神への背徳として嫌悪する、一部の集団の集会だった。ニューラッダイトと呼ばれる、反科学技術運動と結び付き、テロリストに資金を提供するなど、テロ支援を主に行っていたが、その後『バーサクウイルス』を独自に開発し、それを世界中のテロ組織にばら撒いて、カタストロフィを巻き起こした。
『血の十字群衆』は少々複雑な原義を持ち、「神の意に反する、科学という罪を土台として生きる人類を、その科学で滅ぼす行為を、人類の自死と位置づけ、自死の罪によって人類を地獄に落とし、地獄での苦しみによって、すべての罪を償わせる」とする。十字群衆において最も重大な事実は、最先端の科学に精通した知識層が主導したということで、『オーバーロード』が最近になって遂に検出した十字群衆の幹部級組織名簿には、DARPAやHSARPA(米国土安全保障先端研究計画局)のプログラムマネジャー、イギリス国防研究計画局長までもが、名を連ねていた。彼らはアクセスできる科学兵器をことごとく拡散し、テロを煽り、文字通り人々を地獄送りにしたのだ。
科学を神の意に反するとする十字群衆が、最先端の科学技術を用いて殺戮を繰り返すことによって、人々が行き過ぎた科学の恐怖を認識する結果となり、その一部がまた十字群衆にコミットするという悪循環が生まれた。その点で、十字群衆の原義はよくできており、いわば、科学を用いた殺戮によって、彼らは科学が毒であることを証明しているのだった。
いまだ全ての案件が首謀者不明(十字群衆という説もある)の上海、北京、ニューヨーク、リオデジャネイロ、シンガポールの五度の核テロで、人々は充分に科学と人類の過ちを認識し恐怖した。十字群衆の原義は宗教的な性格の強いものだったが、この事件で生まれた科学に否定的な世論を土台に、『バーサクウイルス』を初めとする強大な攻撃力のもと、反科学技術主義者、環境保護団体の地球解放戦線、無政府主義組織、世界各都市周辺のメガスラムにいる欲求不満の若者から、果てはイスラム過激派(!)までも巻き込んで、多言語ネットワークを築き、情報のグローバル化の波に乗って、全世界的テロ組織に発展した。組員は創始メンバーから自称まで、正確に把握することは不可能、まさに群衆という名が相応しく、実体が無くイデオロギーが一人歩きして、あらゆる反科学主義を取り込んで、世界に粛清の血の雨を降らせた。
人工ウイルス、通称『バーサクウイルス』は、正式名を『ゴルディロックス・パイロネクスト』、これは開発者の名に由来すると言われていて、かつてアメリカのある研究機関で研究されていたものらしい。感染したものは殺戮衝動を抑えきれなくなり、無差別に他人を殺害し始める。感染経路は呼吸器感染、体液及び媒介物で、潜伏期間はあったが、一度目の突然変異後に無くなり、感染後はものの一分も経たず発症、即座に手近なものに襲い掛かり、致命傷を負わせない限り、他人を殺し続けるという恐ろしいものだ。『ゾンビウイルス』と呼ぶものもいたが、発症前の知能と運動能力を維持したまま、あらゆる手段で、狂人のように襲い掛かってくるため、『バーサクウイルス』という名が定着した。
風邪に罹るように人を殺したくなるこのウイルスは、十字群衆が拡散させた結果、様々な人間によって世界中で散布された。人々は発狂し、死神が死神を生んでキスの雨を降らせるように、死は連鎖蔓延し、世界を覆いつくした。ワクチンの開発に時間がかかったのも、被害を拡大させた要因の一つで、最初の散布から安全宣言が発表されるまでの、十八ヶ月のあいだに、全世界人口の十五%が感染者に殺され、さらに七%が感染者として殺処分された。感染者同士で殺しあった例もある。人類は実際に初めて、滅亡の危機を味わい、それを乗り越えたのだ。
現在は十字群衆を初めとするテロ活動も、終息に向かっている。『オーバーロード』の出現による取り締まりの強化も大きな要因だが、その最も直接的な理由は、各国の国防とあまり関係がなく、生物工学の研究をおこなっているアメリカの企業、『バイオテック社』が、自ら開発した工学産生物の特許権を事実上放棄解放し、生体工学産農作物や、炭化水素分子を作るバイオ技術を、世界のどこででも(日光があれば)超安価で生産できる状態にしたためで、食料、貧困問題と、エネルギーの問題が解決に向かった今、現状に不満を持ったものが減り、同時にその恩恵をもたらした科学技術を、否定する人間が激減したのだ。決断した『バイオテック社』のCEOはノーベル平和賞を受賞した。世界は復興に向かい、そのシンボルとして、軌道エレベーター『バベルⅡ』が建設された。
環境問題についても、ナノテクノロジーの分野から突破口が開きつつある。しかし僕たちの前途は洋々としているわけではなく、特に『レミング病』に関しては・・・
「説明が長すぎるわよ」
ヴィルヘルの言葉で我に返った。
「ほとんどおまえが喋っていたのではないか」
レイン大佐とのやり取りらしい。僕は考え出すと止まらなくなり、ヴィルヘルは話し出すと止まらなくなる癖がある。
『ブリュンヒルデ』によってリストアップされた装備品目録をチェックする。僕にはアサルトライフル、ハンドガン、弾丸はフランジブル弾使用。ヴィルヘルには、アサルトライフルに、常時標準装備のヘルウィップとスタンナイフ・・・・・・ヴィルヘル用の救急キットのリストの中に、新型の自己複製型ナノマシンがあることが気がかりだった。最先端技術の結晶であるサイボーグ戦士、通称ドールには、実験体という側面もある。最新兵器の実戦テストにいわばモルモットとして使われるのだ。ちなみに新兵器の実戦データ収集は、僕たちエンジニアの役目である。ナノテクノロジーの分野は今、過渡期で、恐ろしいスピードで進化しているが、自己複製型は特に危険な面も多く、救急キットとはいえ慎重に取り扱う必要がある。
軌道エレベーター『バベルⅡ』のカーボンナノチューブでできたケーブルを移動する、クルーザーカプセルは磁力で動いており、地上から周回軌道ステーションまでおよそ二十時間を要する。今僕とヴィルヘルは、巨大なカプセル内の快適なゲストルームに設置されたソファに、シートベルトを締め、向かい合って座っていた。カプセルは最高速度に達し、間も無く無重力空間に入る予定だった。
ヴィルヘルは眠っているようだ。彼女の軍服はケブラー合成樹脂と、シリカ・ナノ微粒子を散りばめたポリエチレン・グリコールを用いた、タイトでしなやかな薄紫色の軍服で、躰のラインが強調され、彼女の美しさと若々しさを一層引き立てる。この軍服は圧力を受けると、瞬時に突き通せないほど密集し、防護服となる。ヴィルヘルの最も特筆すべき外見上の特徴は、燃えるように赤くて長く、軟らかい癖毛の頭髪の間から後方に伸びる、二本の大きな曲がった黒い角だ。現代では世界中でファッションとして、性別改造も含め、人体改造が浸透しており、ヴィルヘルの角は、刺青、ピアス、牙などの延長線上にあるもので、彼女曰く、流行を先取りしたものらしい。彼女はその戦闘能力を知るものたちから、『屈曲角の悪魔』と呼ばれ、恐れられている。僕はいつも見ているが、彼女がヘルウィップを薙いで戦う姿は、本当にまるで地獄の悪魔のようで、背徳感と神聖さを同時に喚起させ、圧倒させられるものだ。
ヴィルヘルの戦闘における基本スペックは、右手首にヘルウィップ、左手甲に仕込まれたスタンナイフ、サイボーグ化による基礎体力・運動能力強化、情報戦に特化した電子脳、電子脳の拡張現実機能による索敵(光学迷彩も無効化する)+ロック機能と連動した行動制御(行動制御は半分機械の身体組織と直結した電子脳ならではの機構で、ヴィルヘルの場合、射撃モードと女王様モードがある)などが主なものだ。対して僕は、サイボーグ化、電子脳化手術も受けておらず、ほとんど生身の状態だ。エンジニアの仕事は実戦中の作戦立案、メンテナンスも含むドールのサポート、情報収集、情報戦、救急処置などだ。情報収集や情報戦に僕は『ゾチカ』を使用する。『ゾチカ』とは主にコンタクトと内耳に埋め込まれたチップからなる音声認識型軍用拡張現実ツールの愛称で、基本音声で操作するが、アイコンタクトや腕に装着する携帯端末からの打ち込みでも操作は可能だ。『ゾチカ』は普段の生活から戦闘時まで、あらゆる分野で僕をサポートしてくれる、もう一人の相棒のようなものだ。エンジニアの戦闘力はドールよりも劣るケースが多いが、僕は射撃の腕前で、なんとかカバーしているつもりだ。ヴィルヘルとのツーマンセルは四年目に突入したところで、僕たちの成績はすこぶる良い。
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