【斥候】《偵察》②

 ②

 月日が流れた。僕は自分の信仰に揺らぎを感じながら、牧師になる勉強を続けていた。姉さんは帰らなかった。今でも僕が神に祈ることは姉さんに祈ることと同義だ。三年が過ぎ、僕たちの教会に、首都プレトリアにあるプロテスタント監督教会から、イマヌエル主教が視察に訪れた。主教はドイツ生まれということだった。かなりの高齢だが、引き込まれるような青い、子どもの純粋さを連想させる瞳の持ち主で、僕は自分の迷いを見抜かれているような気がした。教会内を一通り案内してから、祭壇の前で僕は主教に訊ねた。

「神様は本当に全ての人の罪をお赦しになるのでしょうか、神とはどんな存在なのでしょう、そもそも神様は本当に存在するものなのでしょうか」

 主教は一瞬怪訝そうな顔をしてから、少し佇まいを正し、ゆっくり言った。

「神を疑うなら、科学史を学びなさい、そうすれば神は、自然に目の前に現れてくるだろうから」

 意外な言葉に戸惑っていると、主教は笑顔でこう付け加えた。

「経験外の神秘こそ真の神秘だよ」


 科学は神秘を排除する方向に進んでいるようだ。僕はイマヌエル主教の言葉を信じて、牧師修行のかたわら、インターネットや図書館で、科学がいかに神秘を駆逐していったか、科学史を通して学んでいった。僕たちの科学史のなかで、コペルニクス、ガリレオ、ブルーノ、ニュートン等を代表とする、偉大な研究者たちの、研究の流れをまず見てみるといい。彼らが神秘を排除したのは、この宇宙からだ。彼らが明らかにした地球は、特別な意味を持つ、神秘的な、宇宙の中心に固定された平地ではなく、太陽の周囲を廻る球状のありふれた星の一つであり、太陽さえも銀河にある多数の恒星の一つに過ぎず、僕たちの銀河もまた、ありふれた他の銀河の中の一つに過ぎない。そしてそれを支配するのは、神のみ業ではなく、ニュートンが示した、地球上でも宇宙全体でも適用できる、物理法則という非人格的な冷たい代物だ。

 神にとって最も不都合な研究者は、ダーウィンやウォーレスだと思う。彼らは生命から神秘を取り除いた。彼らの研究結果を見れば、僕たち生物の多様な種々の能力は、神がかりな賜りものではなく、自然淘汰の結果であり、人間もまた特別な存在ではなく、猿から進化し自然淘汰に勝ち残った、獣の一種に過ぎないことが解る。

 僕はネット情報や書物によって、科学史を自己流に学び続け、現在まで積み上げられてきた科学(それは世界を支配しようとしているようだ)の中に、神の痕跡を探した。時には、生物の設計図である遺伝子の構造そのものに、時には、宇宙の成分の95%をも占めるといわれているにもかかわらず、正体が分からない(銀河がバラバラにならずまとまっている理由を、説明するのに必要な力の源である)ダークマターや(宇宙の加速膨張の原動力とされる)ダークエネルギーのなかに。僕はそれらに神の痕跡を無理矢理関連づけようとした。学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、世界に神の存在する余地は無くなっていく。

 ただ、科学で分析すればするほど、見えてくる事実の一つは、『出来すぎている』ということだった。僕たちが今あるような状態を実現するような、都合のいい条件に、この世界は最初からデザインされすぎている。仕立て上げられた素粒子群は、生命が生まれる条件を満たすように、宇宙を上手く形成していき、進化のシステムは僕たち生物に死にもの狂いの戦いを強要する。時間は一方向にしか流れず僕たちは老い、エントロピーの法則はあらゆるものに滅亡を運命付ける。僕たちを陥れるこのからくりを作ったものは、神としか言いようが無いほど、全てが完璧に調律されている。この世界はよく出来すぎているのだ。そもそもの始まりにおいて。

 インフレーション、ビッグバンで、世界が始まってからは、全てが物理法則の因果律によって進行しているとしても、僕たちを陥れるその出来すぎた因果律を、最初にデザインしたのは、神に違いない。このような考えは、グランドデザイン、インテリジェントデザインと呼ばれるらしい。それは一種の理神論ともいえるものだ。

 僕をさいなむのは、世界が神の罠だという認識だった。神は最初に全ての因果律を創造し、罠を仕掛け終えたあとは、居間のソファにでも座って、僕たちが呪いを生み、呪いに殺されるのを、ワインを片手に、テレビでも見るように見物しているのだ。そして世界各地で噂される奇跡や啓示が、もし本当に存在するとすれば、もしかすると神は、新しい因果律を導入し、僕たちにちょっかいを出しては、遊んでいるのだ。だから僕たちは神の獲物か玩具に過ぎない。

 このとき僕は世界の始まりに神を見出したと、世界の罠を統べる大いなる意志のしっぽを掴んだと、思っていた。しかしそれは間違いだった。僕に神の関与より、科学的帰結を信じたほうが妥当だと思わせたのは、マルチバースと無境界条件の概念だ。

 マルチバースは、無の状態から量子ゆらぎによって、無数の小さな宇宙が創造されるという概念で、生まれた宇宙のうちいくつかは、臨界に達しインフレーションを起こし、成長する。そのうちの一つが僕たちの宇宙だ。異なるいくつもの宇宙が存在するということは、M理論という理論によって補強されるけれど、僕たちの宇宙が、異なる法則を持つ、無数の宇宙の一つに過ぎないという考えは、コペルニクスからニュートンの、宇宙における神秘排除の流れの延長とも言え、僕たちの宇宙が出来すぎている、特別な宇宙だという認識をほとんど無力化する。あらゆる可能性の中の、たまたまこのような法則を持っている一つというだけのことだ。この考えは、神というあまりにも都合のいい、科学的にはあり得ない概念で、僕たちの世界の特別性を説明するよりも、論理的で確率論的にも妥当なものに思える。

 無境界条件は大雑把に言えば、時間と空間を時空として統合する一般相対性理論に、量子論が適用され、宇宙がその法則に支配されるほど小さい初期の時代には、時間が一つの空間次元としてふるまっており、時間次元は存在しない、つまり初期の宇宙に時間は存在しなかったという概念であり、宇宙の始まりに時間が無いのなら、その前に何が起こったのかという質問は意味をなさなくなる。

 僕たちの宇宙は、無から量子ゆらぎによりひとりでに生まれる、無数の異なる宇宙のうちの一つであり、世界の始まりにまで遡れば、時間という概念は失われ、最初という言葉自体がナンセンスになる。では神の存在する余地はどこにあるのか・・・僕は学び、考え続けた。結果、神を見失った。そしてそれでも僕は牧師になった。


 僕が聖職任命の儀式である按手礼を受け、ケレ牧師の教会の副牧師になったのは、父が死んだ事件から、丁度四年目のクリスマスイヴで、僕は意識的にこの日を選んだ。南アフリカでは、クリスマスの時期は丁度真夏で雨季にあたり、季節風の影響で激しい雨が降る。

 副牧師になってまもなく、教会に一本の電話があった。プレトリアの公立病院から、当院に白人女性が入院しており、素性を訊ねるとそちらの教会の関係者らしいので、確認に来てほしいということだった。姉さんだった。僕とケレ牧師は急いで車でプレトリアに向かった。

 病院は酷い状態だった。南アフリカの公立病院は、財政難が原因で荒廃の極みにある。僕たちが駆けつけたとき、姉さんはろくな検査も手当てもおこなわれず、病室外の廊下のシーツ一枚のベッドの上で、ほとんど死にかけていた。僕たちは姉さんを、私立病院に移し、精密検査をしてもらった。高額の医療費を前金で支払う必要があったが、背に腹はかえられない。姉さんは旧黒人居住区アトリジビル西方の、不法居住地区、いわゆるスコッターキャンプで、輪姦、半殺しにされ、路上に全裸でのたれ死にかけているところを、救急車で公立病院に搬送されたのだった。

「死んでもいいと思ってたけど、最後にあんたの顔を一目見たくなっちゃった。いざ死ぬとなるとさみしくてさみしくて・・・へへっ」

 それが医者に教会の名を告げた理由だった。目を覆いたくなるような無残な姿で、狼に喰いちぎられたぼろきれのようにしわくちゃに痩せ細り、皮疹も酷く、神がかりだった美しさは跡形も無かった。そしてエイズを発症していることは誰の目にも明らかだった。

「これは私の不信心と差別に対する神様の罰ね、甘んじて受けるわ」

「姉さん、神様なんていないんだよ」

「ベネディクト・・・神は、無限の世界、そのものなのよ」

 神を呪っていた姉さんが、今は神に祈っている。僕は血が出るほど拳を握り締めた。

 検査では子宮頸がんからがん細胞が全身に転移していることが確認され、余命は一ヶ月も無かった。ものもろくに食べられず、排泄も自分の力ではできなかった。このまま入院させて、緩和治療を施してあげたかったが、そんな金銭的余裕はなく、姉さんの希望もあり、教会で最期のときを待つことになった。


 ときおり雷鳴が轟くなか、自室で考え事をしていた。教会の窓という窓に、狂犬の如く雨が叩きつけて、心穏やかではなかった。稲光に照らされ、時々ハッとする瞬間がある。神とはいったい何かと考えていた。

 僕たちの信じるキリスト教の神だけではなく、同じ起源をもつイスラム教、それらの源流であるユダヤ教、ヒンドゥー教やその他の民族宗教、古代エジプトの多神教、ギリシャ神話、ケルト神話、古代アニミズムが生んだ神等、どの神についてもある程度の一貫性があるように思われる。人は神とどう付き合ってきて、神は人に何をもたらすか、神とはいったいなにか。ただ、仏教や儒教は、神ではなく、宗教というより、倫理体系や人生哲学的な位置付けになると思われる。

 キリスト教に限らず世界各地の宗教をひも解けば、一神教にしろ多神教にしろ、人々は神という人格を用いて、理解できない現象、無限な自然世界が象徴する、不条理なものに、無理矢理意味づけをして納得したり、結束するために利用したりしてきた。具体的には、キリスト教、イスラム教などの経典に書かれるような、世界宗教の個人的な救済や、流浪の流動民族の団結を保つために生まれたユダヤ教をはじめとする、民族宗教の文化の継承などだ。これら人間の宗教的営みは、神という概念を作り出して、それを拠り所として利用しているだけのことではないだろうか。神と人間の関係は結局それだけのもので、神は人間の自己中心的な幻想に過ぎないのではないか。だとすれば、僕たちが神に祈ることは単なる自己満足に過ぎないのではないか。

 考えているうちに、僕は少し眠ってしまった。そして雷鳴が、姉さんの悲鳴に聞こえたような気がして、ハッと目を覚ました。夢を見ていたような気がする。内容は思い出せないが、何か、世界の真理の琴線に触れるような夢だった。夢を思い出そうとして少し考える。そして、僕は突然、世界と神の本質を理解した。姉さんの言ったことは正しい。神は、世界、そのものなのだ。

 僕は悟った。昔から人と神の関係がそうだったように、すべては自分次第なのだと。そして今や、僕の心が肯定さえすれば、神は世界のあらゆるところに存在するのだと。結局神とは人格を持ち、自然を支配するようなものでなく、僕たちが感じる無限の世界そのもので、そこには神の本性の必然のままに、無限のものが無限の属性をともない存在しているのだ。そして、無限の世界は無限であるゆえに意味が無い。その事実は実際存在している僕たちに対して、どんな意味を持つのか。意味の無い世界は、その中で生きる僕たちにとって、どんな意味を持つのか。なぜ僕たちは延々と、希少な喜びや多大な耐え難い苦しみを繰り返し、存在し続けるのか? そこに意味が無いとしたら、この世界、無限の神の本質とは、真意とは、それは・・・・・・

「くるしいよう、くるしいよう・・・」

 雨音と雷音に交じって、姉さんの部屋から声が聞こえた。僕は急いでドアを開け、ベッドの隣に跪き、姉さんの手を握る。かえす手に力は無く、姉さんの命は風前の灯だった。

「姉さん・・・僕はずっとそばにいるよ、大丈夫だよ・・・姉さん、愛してるよ・・・僕が祈るのは姉さんのためだけなんだ・・・姉さんは僕にとっては神と同じなんだ・・・本当に愛してるんだよ・・・僕のすべては姉さんのものだ・・・僕は姉さんのためだけに生きているんだ・・・心の底から愛しているよ」

 陳腐な言葉しか出てこないのに、涙はあとからあとからこぼれ出た。ギシギシと痛む心臓をつかみ出して僕の姉さんへの愛を、神の前で証明してやりたかった。

「くるしい・・・」

 姉さんは最期にそう言ってこときれた。僕は教会の外に飛び出し、叩きつける粘度の高い墨汁のような雨にむかい、胸をかきむしって、声帯が焼切れるほど、躰の底から声を絞りあげ、叫んだ。

「悪意だ!」

 閃光が瞬き、足元から脳天まで衝撃がはしる。イマヌエル主教は、僕がどんな答えに辿り着くと思って、科学史を学ぶことを勧めたんだろう。きっと彼と僕が見ている世界、神は、全く別のものなんだろう。僕はくずおれながら、自分が雷に打たれたことを理解した。僕は神に殺された。だけどこれで姉さんとともに逝ける。意識を失う寸前、僕は声を聞いた。姉さんの声のような、優しく心地良い、でもしっかりと意志を持った声。その声はこう言ったんだ。

「来い!」

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