第6話


1年前の秋。その日は仕事が休みで、朝から万年床になりつつある布団の上にノートパソコンを広げ、賃貸アパートを検索していた。その当時住んでいた「コーポひまわり」は家賃が相場より安いのと仲介した不動産屋の「大家さんが人柄がよいのがイチオシです!」の一言に惹かれ住んでいたが、押入れの天井の板が若干落ちてきたり床が軋んできたりとガタがきていた。家賃が安いのだからこれくらいは仕方がないと一回は契約を更新したが、その押入れの隙間から巨大な蜘蛛が出没し、大家さんに伝えたが聞く耳を持たなかった。大家さん、人柄どうした?!と思ったが、この話を高宮さんにしたら

「人柄がオススメポイントって、その物件にさして良いところがないのと同義じゃない?松井さん、お人好しすぎ。」と笑われた。



オバケより生きている人間の方がよっぽと怖いし、事故物件も全くナシではないかなあ、、とクリックを繰り返している時、着信音にしている「My revolution」が聞こえるギリギリの音量でかすかに鳴った。脈絡もなく急に鳴り出す音が苦手で、いつも極力音量はしぼってある。画面には「父(仮)」と表示されていた。



「はっちゃん頼む!来週にはお金が入るんだ。それまで10ほど何とかならない?金が入ったら必ず返す。今家賃を払えないと、この家を出て行かなくてはならない、、」いつもように出し抜けに父が言う。10万を単位無しで10と言うあたり、借金慣れしすぎていて嫌になる。父にとって「お金を貸して」は、「最近どう?」と同じようなノリで言えることなのかもしれない。



まともに聞く気力も失くし、「うん。」「そう。」を話の内容もよく聞かずくりかえしているうちに、父が「ありがとう!本当に助かるよ。やっぱり結局は血筋だよなあ。」と感謝の言葉を連発していることに気がつく。いつの間にか適当に空返事をしているうちに、父が今の住居を出て、我が城に転がり込んでくることになってしまっていたらしい。冗談じゃないと思ったが、どうやって事態を変えようかと考えあぐねているうちに、「父との同居は私にとっても好都合なところもあるかもしれない」と思えてきた。経済的に厳しいのはは父も私も一緒。家賃を折半すれば今より広いところに越しても1人あたりの負担が減るし、父が料理を担当すると言ったのも私の背中を押した。父は資格マニアでなぜか仕事とは全く畑違いの調理師免許を持っていて、これがまた意外やなかなかの腕だった。こちらは万年金欠のくせにモノグサで自炊せず外食ばかりだったので、父が食事を作ってくれたら食費も浮くのでは、と期待し、実際それは思ったとおりになり、自分は家事を楽するために散財していたのだと後に自覚することとなる。


父との同居に際し、私は  条件を出した。

一つ、今の1DKの間取りではプライバシーが守られないので、早急に新居を探し引っ越す。

一つ、お互いの部屋には一切出入りしないこと

一つ、お互い家賃と諸生活費として毎月共通の財布に各々6万円入れること。それ以外のお金の貸し借りや贈与は一切しない。(新居の家賃によって、この金額は変動する。)

一つ、お互いのプライベートに干渉しない。

父は私が条件をあげるたびに

「ええ〜!水臭い!!はっちゃんのオムツも交換したし、3歳まではお父さんがお風呂に入れてたんだぞ。はっちゃん、俺が買ったくまの人形抱っこして寝てたの覚えてるか?」などと言う。記憶が呼び起こされることもなく、そとそもそのデータは脳にインプットされていたかさえ疑わしいと思いつつ、父とのやり取り自体が面倒で、「くまの人形という言い方に違和感がある。くまはまず人ではない。ぬいぐるみが適当だろう。」などといつも話題をスライドさせてその場をしのいでいる。以前から私は父に馴れ馴れしさを感じていたし、父にはたびたび他人行儀であると指摘された。距離感にギクシャクしたものを感じていたが、それは「記憶の差」が影響しているのだと同居して父との会話を重ねる中で分かってきた。私には唯一の「記憶」しかないのに対し、父には父娘の思い出がちゃんと存在しているのだ。これには正直驚いた。ふいに、店長が自嘲気味に話していたことを思い出す。「赤ちゃんの頃よく面倒をみていた15歳年下の弟に久しぶりに会ったら、敬語を使われてしまった。」と。思い出や記憶と距離感の相関関係は、差はあれ皆あるのだろうと思う。そしてそれは差が開くほど人間関係を複雑にする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る