第4話


同居人は戸籍上と血縁上は「父」であるが、それ以外に「父」らしさの粒をかき集めても小さじ一杯にもならず、多く見積もっても「1つまみ」程度で、私には「同居人」という言葉しか当てはまらない。一応流れで「お父さん」とは呼んでいる。しっくりこないが、「松井さん」だとか「光義さん」なんて呼ぶ気にはならないので消去法で「お父さん」に落ち着いている。



父も私も名字は「松井」である。母は離婚する際、旧姓に戻さなかった。理由を問うと、

「私が長女なのに、妹に家を継いでもらって自分はお父さんの家に嫁いだから、今更安西の名前に戻せない。これはお母さんなりの礼儀。」だと言う。理由を聞いても、そういうものなの?としっくりこなかったし、父と母のやりとりを見ていので、もう父と同じ名前を名乗りたくなどないのかと思っていたので、とても意外だった。しかし、母の肚は決まっているようだった。名字が変わらなかったので、言いさえしなければ家庭の変化を周りに心配させることもなかったし、(そもそも父がいる時期から心配されてもいたが。)余計な詮索を受けず好都合なところもあった。近所のおばさま方には、松井家のゴタゴタは絶好のお茶飲み話だったようだったから。しかし、離婚したことに気がつかれずに、父がこしらえた飲み屋のツケなために、母が呼び出されるようなことが変わらずに続いた。母も母で、言われるがままにツケを払ったり、払えない時は皿を洗ったりしていた。そんな母を不憫に思う気持ちが重なり、いたたまれなくなり、母に対しても「名字を変えてはっきりさせればいいのに」と苛立つ気持ちもあった。しかし口に出すことはなかった。離婚は家族の問題でもあるがは、苗字のことについては、「父と母の問題」であり、娘であっても口出ししてはいけないと感じていた。



父には何かしらの障害があるのではないかと幼い頃から思っていた。学力だけはあるのでその業界、(私が幼い頃は建設業界にいた)では取得が難しいと言われる資格を持ち、毎度責任者になるものの、仕事をうまく回せず逃亡してしまう。毎回年単位で逃亡する。現在までの逃亡記録は、半年で帰ってくることもあれば、丸4年消息がつかめないこともあった。そんな状態なので、父はその間居候したり住み込みでバイトしていたのか他の場所に寝泊まりしていた様子だったが、母と私が住む家にも突然ズカズカと当然のことのように入ってくるという不思議な家庭だった。



確か私が中学にあがる少し前のことだったと思う。あるとき父がふりかけご飯を食べていると、「給料も入れないで、私が買ったもの食うな!」と母が珍しく大声を出した。父が悪いとは理解しつつ、ふりかけご飯で怒鳴られる父に少し同情した。母が激昂して当然。むしろ今までよく我慢していたなあ、などと思っていたら、程なくして父と母は離婚した。離婚、は父と母にとっては大きな決心だったのかもしれないが、ずっと父が家に帰らない家庭の娘としては、生活に何の変化もなく、父にはマイナスの感情しかなかったので、むしろせいせいしたくらいだった。これで、母がのびのび暮らせれば良いと思った。



親権を持つ母と暮らし、父とは縁切れたものだと思っていたが、世間はそうさせてくれなかった。父の会社の関係者から「お父さんどこに匿ってるの?娘なのに知らないわけないでしょ?」と罵倒され、そのたび「私にもわからないんです。すみません。」と謝るしかなかった。本当にわからないのだからそうとしか応えようがない。父の関係者が怒りを私や母にぶつけるのは物心ついた3歳頃から既にあったし、記憶がないだけでもしかしたらもっと以前からあったのかもしれない。幼児が何を言っているのか理解できないと思ったら大間違い。言葉をなんとなく覚えていて、後に意味を知る年齢になると、随分酷い言葉を浴びたものだと、やれやれ、と父にも言葉をぶん投げた相手にも呆れていた。なぜ父の関係者は父の所在にこだわるのだろうと、一種の嫌がらせなのだろうかとも思っていたが、今思うと、責任者であった父が仕事を放り投げたことによる損失など、法的なものや金銭的なことが絡んでいたのかもしれない。あの頃は形式上は父の迷惑を娘が詫びるのは当然と思っていたが、自分が成人を過ぎた頃に、通学途中の子ども達が談笑するすがたを見て、ふと思った。まわりの大人は子ども時代の私になぜあんな酷いことが言えたのだろうと。自分のことなのに、親戚の小さな子を想うように「あの子がかわいそう。」と10年以上の時を超えて泣いた。



父が姿をくらましている間、何をして過ごしているのかよくわからないし興味もないが、戻ってくるときは決まって毛根の限界まで挑戦したかのような長さの髪と髭で、衣服も同じく繊維同士の繋がりを断つか断たないかギリギリのところまで伸ばして、仕上げに砂埃をふりかけたような風貌だった。私が物心ついた頃には父はずっとそんな状態なので、家族としての父の思い出はほとんどない。思い出らしいものはない中で、強烈な「記憶」が私の中に1つあり、今も胸の奥底に沈んでいる。



あれは4歳の秋の夜だった。とっくに寝ていた私は、パジャマ姿のまま父と母に両手をそれぞれ引っ張り合われていた。恐らく夫婦ゲンカでもして、やれ離婚だ、実家に帰るだとやりあっていたのだろう。私は両手を逆方向に引っ張られ、どうしてよいかわからず、ただただ引っ張られるがままに立ち尽くしていた。母があまり激しく泣くので、涙を拭ってあげようした弾みで父の手を振り払ってしまった。「あっ」と思った。その後の父の顔は見れなかった。いくら父が親として最悪だったとしても、子に手を振り払われるのは辛すぎると思った。



母に手を引かれるままに、家族で使っていた緑色の軽自動車に乗り、田舎道を走り抜けた。蛍光灯だけの点々の夜景を「蛍みたいできれい」と眺めているうちに祖母の家に到着した。そのままその日は泊めてもらい、行き届いた温かいものたちに私と母だけ包まれてしまった。 父1人を残して。この時の父への申し訳なさは、いまでも胸を締め付ける。手を振り払う前の時間に戻れたら、他にどんな選択肢があったのだろう。もうあの瞬間はやり直せない。

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