第二十五章 神坂美馬

 第25章

[神坂美馬]

 スキンにやられた胸の傷が、また開いた感触がある。科学教皇アカデミーの建物を出て直ぐ、ヴァチカン上空に跳んだ。眼下、サンピエトロ広場に群れている人々が、燃え上がる炎に照らされ、ゆらめいて見える。うじゃうじゃとまるで蟻のよう。サンピエトロ宮殿は天蓋が崩れ、内部を雨に晒してる。丁度その宮殿で再び爆発が起こり、一階の床も崩れ落ちた。爆煙の中、地下の強化ガラスドーム内に安置されていた、見覚えのある巨大な物体が露わになる。聖遺骸ね。人の骨格を基本に、屈曲した角、四枚の翼、そして鉤型の尻尾も。人々が殺到するのが見えた。爆発のショックで破れた強化ガラスの合間から、誰かがハンマーで聖遺骸を砕く。その誰かは自分が砕いた聖遺骸のかけらを掲げて叫んだ。

「石膏だ! 」

 まるでドラマチックな映画のように、彼は炎をバックに拳を振り上げて吠えた。

「神はまやかしだ! 」

 ああ、そうか。あれが私たちの信じていたヤハウェの正体。張りぼての神。お笑いだわ、へへへ。

 空中でヨシムネから奪い取った携帯端末を展開した。浮遊大陸の現在の座標を確認する。緯度52。N、経度2。W、イギリス、バーミンガム上空。此処から近いわ。私は北西に意識を集中する。


 雲の切れ間を抜けて上空4500mまで転移上昇し、ベルニーナ山を右手に見ながら、夜のアルプス山脈を越えた。あとは一瞬だ。サン・ゴッタルド峠の悪魔の橋を渡る巡礼の光の列、パリの街とライトアップされた凱旋門の光、続いてドーバー海峡を渡る船舶の光が目に焼き付いた。そして前方、遥か上空、衛星軌道上に月光に反射する光の点が見えた。浮遊大陸、ヘヴン。ママが閉じ込められているところ。

 遥か下の世界、『雰囲気』はまだ混沌としていたが、私は穏やかな気持ちになっていた。パパが私を守ってくれているから大丈夫。遺伝子も神も、もうどうでもいい。聖約教会が倒れた世界がどうなってもいい。パパとママと、ねぇねと一緒に暮らせれば。私が私であること、それだけがはっきりと証明されていれば、それで良い。私は神坂美馬、優しいパパと、気高いママの子供で、美しいねぇねの妹……私には愛する家族がいる。それで充分。

 一気に衛星軌道まで転移した。瞬間息ができなくなり、躰の表面の水分が蒸発し始めた。窒息し、皮膚が凍りつき、躰中に痛みが走る。肺が膨張し、私は悲鳴を上げた。その悲鳴も音にならず、一瞬で凍りつく。

『ママを……』

 薄れる意識の中、浮遊大陸を近距離で目視した。広大でメタリックな銀色の大地に、六芒星型の砲門がこちらに狙いを定めているのが見えた。私はなぜか先ほど見た、悪魔の橋を渡る巡礼の光を思い出していた。その光を捉えようと眼下に目をやる。にゃん。深い藍色の地球。東から日が昇ってくる。なんて綺麗……この世界は美しさに満ちている……。

 砲門がキラリと光を放った。

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