第二十四章 寺田ヨシムネ
第24章
[寺田ヨシムネ]
戦闘で衣服が破れたのだろう、美馬は半裸だった。『
美馬はジェインを殴り続けている。ペインは姿を消していた。
「美馬! 」
俺の言葉が耳に入らないようだ。髪を振り乱してジェインを殴る美馬のむき出しの背中に狂気を感じた。
「美馬っ! 」
ようやく振り向く。ひきつった笑顔。
「もう死んでる……」
「はっ、へへへへへっ」
美馬が笑う。完全に正気を失っている。その笑顔のまま真理さんを見た。
「ねぇねは無事ね! 」
テオがむくりと起き上がった。
「テオ、大丈夫なのか? 」
「ああ、自己治癒能力だ」
彼は独房の扉まで歩いていき、パスコードを打ち込み始めた
「ヨシムネ、端末を貸して」
「え、なんでだ? 」
「いいから! 」
美馬に携帯端末を渡す。
「ねぇねを連れて上手く脱出するのよ」
「美馬は? 」
「ママを助けに行く」
「ママって……」
美馬が消える。
「じゃあね! 」
上階への階段の手前から美馬が手を振った。そしてまた消えた。テレポート?
◇
「真理さん、美馬が何処かへ行ってしまった」
独房から出てきた真理さんを見る。彼女は俺と違って落ち着いている。
「浮遊大陸に行ったのよ」
「浮遊大陸……」
「浮遊大陸は衛星軌道上にある。人が生身で行ける所じゃないし、自動迎撃レーザーシステムもある。美馬はもう正気じゃない」
「そんな……」
俺はがっくりと膝をついた。俺は何のために……。
「美馬を愛しているのね」
そのとおりだ。俺は美馬のためにここまで来たんだ。涙が溢れる。拳を床に叩きつけた。
遠く地上で爆音が響いた。建物が微かに震えている。イヤホンを紛失してしまったようだ。『堕天使の猟兵』の作戦は成功したのだろうか。
「美馬くんを助ける方法が無いわけじゃない」
テオの言葉に顔をあげる。彼は自分の左腕の袖をまくり上げた。白いリストバンドに並んで、赤いリストバンドが装着されていて、それを外した。
「転移ゲートが次元間移動の技術だと、ミーナが言ったのを憶えてるか? 」
「ああ」
「次元間移動は時空を超越するとも言ったはずだ。『時』、『空』。時間と空間だ」
「……」
要点がよく呑み込めなかった。
「この赤いリストバンドを付けてスイッチを入れ、転移ゲートをくぐると、時間を超越できる」
「……? 」
「これは一つしかない試作品だ。万一の時のため、ミーナから譲り受けた。ただし過去に跳ぶか未来に跳ぶか分からないし、何時に跳ぶかも分からない。そしてミーナの理論によると、これを使えるのは一回こっきりだ」
「……まさか……! 」
「そうだ。ヨシムネくん、これを使えば過去に行けるかもしれない。そして君は美馬くんを助けることができるかもしれない」
テオから赤いリストバンドを受け取る。それは、もの凄い倍率の賭けだった。俺の躰に震えが走った。行き先が分からないタイムスリップ。このリストバンドを付けて転移ゲートをくぐれば……俺は俺を待ち受けている運命を想像しようとしてみたが、それは広大な海を漂流するような気分だった。どこまでも水平線が広がり、なんの手応えもない。恐ろしかった。
「この世界に意志の力が働いているという真理さんの仮説を僕も信じている。ヨシムネくん、君の意志もこの世界に影響力があるかもしれない。強く、心に念じるんだ。美馬くんの元に行きたいと。そうすれば、君の願いは叶うかもしれない」
そうだ、この海にブイはあるかもしれない。震えが止まらなかった。しかし、俺の心は決まっていた。美馬を、愛する人を、助けるんだ。
「俺はやる」
俺はやれる。やるんだ。次第に不安は薄れた。美馬の持っていた気高さに、俺も到達できるような気がした。
「……よし、君はもう一人前の戦士だ、自分を誇って良いぞ。真理さんは僕に任せろ」
俺はテオと真理さんを順繰りに見つめた。震えが止まった。テオも真理さんも俺を見て頷く。
「美馬をお願い」
真理さんの言葉に背中を押され、俺は歩き出した。
「じゃあ、行ってくる」
いつの間にか傷の痛みも忘れるほど高揚していた。出血は止まっている、大した傷じゃない。俺は地上へ続く階段へ走り出した。
◇
科学教皇アカデミー前には、殲滅したバイク部隊のバイクが転がっていた。動きそうだ。俺はヘルメットを被り、バイクを立て直し、エンジンを吹かした。嵐は治まりつつあり、雨が小降りになっている。ゴロゴロと不気味に空が鳴った。
バイクで転移ゲートステーションに向け疾走する。途中沢山の人々とすれ違った。どれだけの一般人がヴァチカンに入ってきてるんだ? 『堕天使の猟兵』の作戦は成功したようだ。彼らは世界中の人々の心を掴んだ。聖約教会はもう終わりだ。
システィーナ礼拝堂はまだ燃えていた。サンピエトロ寺院のあるあたりからも煙が出ている。俺はバイクを、人を吐き出し続けている転移ゲートステーションに乗り入れた。
人々の流れに逆行してバイクを操るのは骨が折れた。クラクションを鳴らす俺の前を、モーセの十戒の一シーンのように人の波が割れる。赤いリストバンドのスイッチを入れた。東廻りの転移ゲートラインに乗る。人でごった返しているプレトリアの転移ゲートステーションがゲート内に見える。行くぞ。俺がアクセルを入れ直した瞬間、ドンと背中に衝撃と痛みが走った。振り向いた俺の目の前にペインの白い顔があった。くそっ! 奴の爪が後ろから俺の首筋を切り裂いた。胸に生温かい感触。俺はペインの頭部を掴んでバイクから引きずり落とそうとした。ハンドル操作を誤った。転移ゲートの黒い枠が迫る。
ガンッ
ヴァチカンに鈍い音を残して俺の乗ったバイクは、ペインもろともプレトリアの転移ゲートステーションに転がり込んだ。俺は慌ててバイクを起こし、後ろを振り返った。ペインが放り出されていて、奴は動かなかった。奴の頭部は転移ゲートの枠に直撃したはずだ。死んだか? 慌てて周囲を見回す。あれだけたくさんいた人々が、まばらになっている。俺たちがやって来たヴァチカンのステーションも静かだ。今までの状況とは明らかに異世界だった。過去に跳べたのか? それとも……左腕の袖をまくると赤いリストバンドがすうっと消滅するところだ。時間転移の仕組みはよく解らないがもう戻れない。此処は本当に過去か?
頸動脈と、後ろから肺をやられたようだ。ヤバすぎる。横たわっているペインがピクリと動いた。本当にヤバい。俺はバイクに跨り、アクセルを入れた、逃げねば!
◇
ゼイゼイと自分の呼吸の音が頭に響く。苦しい。意識が朦朧とする中、必死でバイクのハンドルを握りしめた。痛みというより寒気が勝っていた。力が抜けていく、躰が震える。流れた血で手がべとべとしている。メガフロート東京ベイから、北に向かう海上高速道路に乗ったことは辛うじて理解していた。荒れる海の音と匂いを感じる。アクセルは全開だ。パトカーのサイレンが後方から追いかけてくる。その音がだんだん近づいてくる。最後に見た美馬のひきつった笑顔が記憶に焼き付いている。
とにかく逃げることだ。そして怪我を治療し、美馬を捜す。やることは単純だ……。
目の前にガードレールが迫り、俺の躰がふわっと浮き上がる感触がした。海の匂いがする。美馬に……そのまま俺は堕ちてゆくように意識を失った。
◇
俺はカビた臭いがする殺風景な暗い部屋のベッドの上で目覚めた。何処かから、ぴちゃ、ぴちゃと水滴が滴る音が聞こえていた。
俺はうつ伏せに拘束されていた。右前足、左前足、右後ろ足、左後ろ足。ベッドの端四方向にのびる拘束ベルトを引きちぎって俺は逃げ出した。部屋に鍵は掛かっていなかった。ここから逃げなければ死んでしまう。冷え切った外気が怖気づいた俺を奮い立たせた。
何か目的があったような気がするが思い出せない。判っていることは唯一つ、自分の中にある根源的な何かが、ただ逃げろと言っている。
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