第二十三章 神坂美馬

 第23章

[神坂美馬]

 感覚は全能感に近かった。世界と直結し、私は世界そのものになっていた。

 東京の転移ゲートステーションは混乱し、人で埋め尽くされていた。押し寄せた人々がヴァチカンを目指し、うねりを起こしてゲートに殺到している。私は人々を眼下に空中をテレポートして、転移ゲートを西に九つ一気にくぐり抜け、嵐のヴァチカンに躍り出た。外はどしゃ降りで、目を開けているのもやっとの状況だ。雷鳴がひっきりなしに轟いている。そして死の『雰囲気』が充満している。

 転移ゲートステーションから吐き出された人々は、概ね南のサンピエトロ広場を目指しているが、ねぇねの『気』は西のヴァチカン中央部から流れてくる。ヨシムネも其処にいる? 私は上空に跳んで、ねぇねがいるらしき建物を見つけた。ねぇね、あんなところに。


 一気に突入した科学教皇アカデミーのホール内は血と肉に彩られて、禍々しい『気』と清廉な『気』がせめぎ合っていた。死体の山。その中に三体、それぞれ黒焦げになって溶け始めているペインの亡骸があった。そして生きているペインは……いったい何匹いるんだ? 

 清廉な『気』が発せられているポイントから、雷撃が横に走り、死体を喰っていた一匹のペインを直撃した。その瞬間、雷撃が放たれた空間に七匹のペインが同時に現れ、空間をそれぞれ鋭い爪で闇雲に薙ぎ払って瞬時に散開した。ペインが七体。清廉な『気』は健在で素早くこちらに移動してくる。

「神坂美馬さんですね」

 耳元で女の声が囁く。ペインどもが私を見る。ヤバい。

「私はイ・ハと言います。ペインシリーズ殲滅の援護をあなたにお願いしたい」

 私は姿の見えないイ・ハを突き飛ばした。同時に私の懐に転移してきた一匹のペインのこめかみをスタンナイフで貫く。ペインは悶絶して倒れ、遅れてその躰をイ・ハの雷撃が焼いた。あと六匹。

「了解したわ、あなたを援護する」

 たった一人で十一匹以上のペインと戦っていたのか。私は『気』の流れを読む。イ・ハの清廉な『気』は素早く静かに移動している。ペイン六体は私を危険人物と見なしたようで、警戒し、こちらを見ている。相変わらず白くて、全裸で、禍々しい『気』と臭気を放っている。うふふ。思わず笑みがこぼれた。余裕の笑みか、それとも恐怖か。

 ダッフルコートを翻し、一番近くにいたペインの右側に転移してスタンナイフを閃かせる。渾身の右ストレートを彼奴はかいくぐった。私は私の心臓めがけて突き出された彼奴の右腕を左手でいなし、そのまま肘を滑らせて懐に入り肘鉄を彼奴の鳩尾に沈めた。『裡門頂肘りもんちょうちゅう』。彼奴は悶絶する。

「キャハハ」

 ノってきた。背後に一匹転移する気配がした。私は前のめりに床に両手を付き、逆さゴマのように回転しながら前後のペインに同時に蹴りを入れる。『スピニングバードキック』、二匹を吹っ飛ばした。空中に浮いた二匹をそれぞれイ・ハの雷撃が轟音を響かせ焼く。上手い。イ・ハは放電能力を持ったエスパーだ。その能力を鑑みるにおそらく『堕天使の猟兵』の切り札なのだろう。虎の子の光学迷彩スーツを着せたわけね。光学迷彩の技術は研究段階で、軍にも一般市場にもまだ流通していないと聞いた。

 そのイ・ハが捕まった。ペインが今の雷撃から見当をつけて彼女の腕を掴んで組み倒したようだ。押し倒されたショックで光学迷彩がショートし、ペインが彼女のスーツを剥ぐ。美しい金色の髪を振り乱してイ・ハは抵抗を試みる。悲鳴。ペインの爪がイ・ハに迫る。

 意識を集中して転移した。イ・ハに覆いかぶさっているペインに跳び膝蹴りをお見舞いする。『ライジング・ニー』を顔面にまともに喰らったペインは、闇雲に爪を振り回しながら後退する。おそらく一瞬、視界を奪ったはずだ。私が振り向くと、起き上がろうとするイ・ハに、残りのペインが殺到していた。

「イ・ハ! 」

 私が叫んだ瞬間、イ・ハの躰から閃光が放たれ、耳をつんざく雷鳴が0コンマ001秒で耳に届く。彼女に群がっていた三匹のペインが黒ずみと化した。

「凄……」

 パリパリと床や天井に電気が走り、私の髪が逆毛立つ。一瞬空白があった。イ・ハがくずおれる。彼女の胸部に切り裂かれた傷がある。

「あっ」

 衝撃があった。イ・ハに気を取られている隙に、残り一匹のペインが襲い掛かってきていた。

『しまった! 』

 簡単に組み敷かれてしまった。やられる……。

 しかしペインは私を即座に殺さずに嬲ろうとした。衣服を切り裂き、勃起した陰茎を……。

『そうよね、あんたたちは……犯したいのよね。苦しいんでしょう? 我慢できないのよね。痛いんでしょう? 』

 興奮したペインの左眼が紅く染まる。そこにあるのは苦しみと痛み。

『でもね……』

 私はペインの腕を取って関節の逆方向にひしげ、そこから彼奴の躰に両足を巻き付け、右腕、股関節、腰と順繰りに極めて関節を砕いた。『蝶絡み、弓身固め、海老折り』の一連の関節技。『合気柔術』の奥義。そしてとどめのスタンナイフ。

 私は倒れているイ・ハに駆け寄った。胸の傷は浅い。

「ありがとう……美馬さん、私は今からラボに入って中継をし、ヘヴンシステムの正体を世界に公開する……」

 よろよろと立ち上がり、どこかから取り出した眼鏡を掛けた。物凄い美人だ。

「真理さんを助けに来たんでしょう? 彼女は地下にいるわ、こちらには援軍が来るから大丈夫、ペインシリーズもあらかた片付いたようだし……本当に……ありがとう」

 私はイ・ハをホールに残し地下へ向かった。


 気分は高揚していた。そして私が高揚しているということは、世界中が高揚していることと同義だった。この世界全体を覆い尽くす、巨大なうねりはもう止められない。行きつくところまで行くしかない。私はテレポートを繰り返し、ねぇねの元へ向かった。最下層地下六階、前方に揉み合う複数の人影を捉えた。

「ヨシムネ! 」

 私は叫んだ。ヨシムネに覆いかぶさるようにして、剣を突き立てている女が振り向いた。

 ジェイン・チョーカー。

 私をスキンに売り飛ばした女。

『許さない』

 ペインの姿もあったような気がしたが、ほとんど目に入らなかった。ジェインの懐に転移する。ふぅっと息を吸い込んで止める。

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