第五部 死闘。

第二十一章 寺田ヨシムネ

 第21章

[寺田ヨシムネ]

 ヴァチカン市国は東京ディズニーランドとほぼ同じ広さの世界最小国家で、世界を支配する聖約教会の本拠地だ。新暦三三年二月二〇日金曜日、現地時刻午後一〇時〇三分、『堕天使の猟兵』のヴァチカン侵攻作戦は開始された。

 俺たちは完全に聖約教会の不意を突いた。教会は想像力が足りなかった。『堕天使の猟兵』がどれだけの規模の組織で、何を計画し、実際に何を為す能力があるのか、彼らは知らなかった。想像力を働かせれば、俺たちに駒が揃っていることに気付けたはずだ。俺たちは素早く準備し、先制攻撃を仕掛けた。ヴァチカンは最初、混乱した。俺がテオと一緒に大広間後方の転移ゲートをくぐったとき、ヴァチカンの転移ゲートステーションは、既に『堕天使の猟兵』によって制圧されていた。この転移ゲートステーションはローマに繋がる東端のサンタ・アンナ門と一体になっている。

 転移ゲートに占拠部隊を残し、警備員の死体を跨いでサンタ・アンナ門を出た俺とテオは、第三本隊と共に西に直進し、ヴァチカン市国のほぼ中央にある、科学教皇アカデミーを目指した。其処には人工受精卵の製造ラボ及びミクロン転移制御装置と、ペインシリーズの培養ラボ、そして真理さんの捕らわれている人体実験施設がある。

 霧雨が降っていて辺りはどす黒かった。南、ライトアップされたサンピエトロ大聖堂が、化け物のように静かに佇んでいた。俺たちが数十メートル西に進んだとき、大聖堂の手前、システィーナ礼拝堂で轟音が起こり炎が上がった。作戦の全容は俺たち一人ひとりの頭にしっかり入っている。千里眼の老婆、ハイネラの作成したヴァチカンの地図、目標施設の見取り図及び警備状況も端末に入っている。

 俺たちの目標は、①ヨハネ・パウロ二世が居て、地下に聖遺骸がある、サンピエトロ寺院、②旧バイオテックCEOのゲストハウスがある、南端ペルジーノ門前居住区域、③ラボのある科学教皇アカデミー、④その北東に位置する無人広告飛行船制御統合センター、⑤行政機関の入る政庁舎、の五箇所だ。その中でも俺の目指す科学教皇アカデミーは最も守りが固い。

「コード1、任務完了、第一本隊と合流する」

 イヤホンから陽動先遣隊のリーダー、リュンケウスの声が響く。

 燃えるシスティーナ礼拝堂を左に見ながら石畳の道をさらに数十メートル直進した。急に雨足が強くなり、雷が雲間に轟いた。その光の下、前方にヴァチカンを警備している戦術無人航空機、ドローンが編隊を組んでこちらにやってくるのが見えた。空と地上の間で銃撃戦が始まり俺は横道、建物の角にテオと共に身を隠した。頭上に飛んできたドローンの一匹をテオの電磁鞭が捉える。俺は角から狙いをつけてショットガンをぶっ放す。一発目は外れたが、二発目で一匹落した。手が震えている。戦争の空気感が俺の勇気を蝕んでゆく。俺は恐怖を振り払い、自分を無理やり奮い立たせた。

 味方が数人やられ、ドローンの数が尋常でなくなってきた。ひと際巨大なドローンが二体出現し、その二体から発せられたレーザーが、地上の部隊を薙いだ。直ちに肉の焼ける臭いが充満した。次々と肉体が切断され、血とともに四散する。第三本隊リーダーのバルログの怒声が響くが、何を言っているのか聞き取れない。隊員が次々とやられていく。

 チリチリと逆毛が立つのを感じた。空気が瑞々しくクリアになった感じがして、一瞬時間が止まった。その直後、眩い閃光が走り、バリバリと耳をつんざく轟音が響き、雷が落ちた。稲妻が走り電磁嵐の中、全てのドローンが墜落した。うおぉと歓声があがる。

「前進しろ! 」

 バルログが叫んだ。生き残った第三本隊員は約四十五名、半数以上がドローンにやられてしまった。

「前進だ! 」

「行こう」

 テオが声をかける。真理さんを助けるんだ。俺は武者震いして、第三本隊と共に再び歩みだした。


 雨はどしゃ降りになり、俺は寒さに震えた。ショットガンを握る手がかじかんでいる。はっはと吐く白い息が、あちこちに落ちる稲妻に照らされる。ヴァチカンは戦闘と嵐により、地獄絵図の様相を呈していた。

「第四本隊、広告飛行船制御統合センターを占拠した。これよりコード3を開始する。援軍が必要な隊は申し出ろ! こちらはまだ人員を割ける余裕がある」

「第一本隊、サンピエトロ寺院前で交戦中! 守りが固く劣勢だ、援軍を頼む! リュンケウスも早く来てくれ! 」

「リュンケウスだ、サンピエトロ広場に展開している戦略多脚ロボット部隊に進軍を阻まれている、第二本隊から数人、大聖堂に回してくれ! 」

「第二本隊、エイデン・ガオだ、援軍は回せない、こちらは劣勢だ、一旦後退する! 」

 第四本隊以外の状況は芳しくない。教会側はなんとか戦局を立て直した。俺たち第三本隊は科学教皇アカデミーの建物入口で、教会の守備隊と銃撃戦を始めた。バルログが戦況報告をしている。

「第三本隊、アカデミー前で交戦中、これより強行突破する! 」

 そのときバイクの駆動音が響き、教会側の援軍が後ろからやって来た。後方にいたマスコミ部隊が全員、バイク部隊のレーザーガンに焼き殺された。奴らは俺たちを包囲するように展開する。前方バリケードに五十人、後方にバイクを盾にした二十人、俺たちは挟み撃ちにされた。

「カメラだ、カメラを回収しろ! カメラを失えば作戦は失敗する! イ・ハ、早くやれ! 」

 バルログの怒声が響く。後方にいた俺とテオはバイク部隊のレーザー攻撃に晒された。耳元をレーザーが幾つもかすめ、隣にいた男が立ちはだかって俺の身代わりになった。

「うおおおおお!」

 俺とテオは怒りにまかせてお互いショットガンを連射し、奴らをそれぞれ四人血祭りにあげた。爆弾を抱えた三人が雄叫びをあげて飛び出し、バイク部隊に特攻を仕掛ける。閃光と爆音が夜のヴァチカンに響き渡る。

 続いてその閃光と爆音をはるかに凌ぐ衝撃が発生した。ガラガラと空が唸りをあげ、この世の終わりのような絶望をまき散らす、天変地異の如き稲妻が走り大地が震えた。アカデミー守備隊バリケードのど真ん中に落ちた雷はバリケード周辺の全てを焼き尽し、パリパリと地表付近で軽く放電し、後に黒ずみの屍を残した。

「イ・ハ、よくやった。強行突破だ! 」

 第三本隊の残り人数はおよそ三十名。俺たちは入口扉を爆破し、科学教皇アカデミー内に踏み込んだ。


「リュンケウスだ、生存している陽動先遣隊は三人だけだ、広場に展開していた多脚ロボットは殲滅できなかった。転移ゲートまで退却する」

「第二本隊、全滅です! ガオ隊長もやられました。これより特攻自爆作戦を遂行する! 」

「大聖堂に援軍を要請する、此処を落とさねば我々の勝利は無いぞ! 」

 戦局はめまぐるしく変化している。ラボに直結する入口ホールに踏み込んだ瞬間、先頭にいた兵士の躰が船のスクリューに巻き込まれたかのように、歪み、バラバラになった。続いて数人が同じようにあっという間に肉片と化した。

「ペインシリーズだ! 散開しろ! 」

 その叫びを最後にバルログの躰も四散した。白い物体があちこちに現れては消え、現れては消え、後にバラバラ死体を残す。

「イ・ハです、バルログ隊長が死亡、これより第三本隊の指揮を引き継ぎます。科学教皇アカデミー内でペインシリーズ五体の攻撃を受けています! みんな、左右の壁際に散開して時間を稼いで。私が攻撃する! 」

 空気がクリアになりチリチリと逆毛が立つ。ホール右前方に地下への階段がある。俺とテオはそこに向けて全力で駆け抜けた。

「このまま真理さんのところへ行くぞ! 」

 テオが叫ぶ。俺たちが階段を数段駆け下りたとき、ホールでバリバリと轟音が響いた。


 ホールから地下人体実験施設まで走った。リサーチどおり防備はラボに集中していて、階下は手薄になっていた。俺たちは誰にも出くわさず、真理さんの捕らわれている突き当りの独房に到達した。上では戦闘が続いているようだ。建物全体がビリビリと震えている。

 強化ガラス張りの独房内、真理さんは捕縛されたときの服装のままベッドに腰掛けて目を閉じ、瞑想するように佇んでいた。俺たちの気配を察したのか、立ち上がってガラス越しに何か叫んだ。テオがレーザーナイフで強化ガラスを破り始める。

「扉の暗証コードは『A2QRB70K』」

 真理さんはなぜか扉の開閉コードを知っていて、テオのあけた小さな穴からそれを伝えた。俺は扉に走りコードを打ち込み始める。

 銃声がした。テオがもんどりうって倒れた。銃声の方向、すなわち俺たちがやって来た方向に目を向ける。

「動くな」

 紺の軍服に黒いトーガを纏ったブルネットの女が銃を向けて立っていた。テオは倒れたまま微動だにしない。

「武器を捨てて手を挙げなさい」

 言うとおりにする。女は不敵な笑みを浮かべた。女の声には聞き覚えがある。ブエノスアイレス、真理さんの隠れ家で聞いた声と同じだ。

「待っていましたよ寺田ヨシムネくん。あなたがプレトリアに現れた時点で、此処が襲撃されることを予想するべきでした」

「なんの話だ」

 ふふと女が笑う。

「あなたはなぜ自分が賞金首になったのか、考えたことは無いのですか? 」

 馬鹿にしたような口調だ。気に入らない。

「ミーナキャンベラ・プレザンスを見つけるためだろう?彼女とセットで俺を賞金首にすれば俺がミーナを捜すと思ったからだ。兄を見つけ出した俺たちならミーナにも辿り着けると踏んだんだ」

「それも確かにありますね。しかし私たちの目標はあくまであなた自身なのですよ」

「……俺に何の価値があるんだ」

 ふふとまた女が笑った。

「初めまして、寺田ヨシムネくん。私は螺旋監察官、ジェイン・チョーカー。あなたを丁重にお迎えします。あなたを生かすも殺すも私の一存次第です」

 ジェインがおどけるように軽く頭を下げた。瞬間、それまで全く動かなかったテオの電磁鞭がうなりをあげ、銃を構えたジェインの右手首に絡みつく。銃声とジェインの悲鳴が同時だった。鞭から流れる電流にジェインは堪らず銃を落としたが、彼女の最後の銃撃はまたしてもテオに命中した。

「ぐおっ」

 テオが呻く。

「このっ」

 ジェインは腰から細身の剣を抜き、電磁鞭を荒々しく切断する。その隙に俺は躰を投げ出して足元のショットガンを拾い、ジェインに向けてぶっ放した。しかし俺の銃撃はジェインがとっさに翻したトーガに防がれ、激しく跳弾する。防弾仕様か? もう一発! 

 ジェインの背後に白い影がちらついたと思った瞬間、既に彼女は俺の隣にいた。左脇腹に焼けるような激痛が走る。ジェインの細身の剣が俺の腹を貫いていた。

「うぐっ」

 俺は仰向けに倒れ後頭部を床に打ち付けた。意識が遠のく。

「ひひひひひひ! 」

 ジェインが気が触れたように笑う。俺を見据える瞳に狂気が宿っている。彼女の背後に白いヤツ、ペインシリーズの一匹が立って涎を垂らしていた。

「取り残されし者、寺田ヨシムネ。『堕天使の猟兵』にはしてやられたが、今此処であなたを殺せばヴァチカンでの戦局がリセットされる可能性がある」

 意味が分からないが考える余裕はない。

「死ね! 」

 腹に突き刺さったジェインの剣に力が籠る。ダメだ……


 そのとき、俺は、誰かが、俺の名を、呼ぶのを、聞いた。それは、懐かしく、この世で最も、愛おしい、女性の、声だった。

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