第二十章 ファッツ
第20章
[ファッツ]
「あっけないもんだな」
「何がだ? 」
カウンター席に座るノブナガの言葉に、俺はブラックコーヒーを差し出しながら訊ねた。『ファットマンズ・ダイナー』午前五時三〇分。最後の一夜を明かした美保子を送り出したあとに残ったのは、俺とノブナガの二人だった。美保子とはもう会うことは無いだろう。
「俺たちのことさ」
ノブナガはコーヒーを啜る。奴は直線的なデザインのゴーグルを滅多に外さない。
「はねゆりにいた頃のこと、覚えてるか」
「忘れるものか」
俺は答えた。あのとき俺たちの絆は絶対だった。
「どうしてこうなってしまったのかな」
ノブナガは感傷的になっている。ふん、奴らしくない。
「あの頃、俺たちは弱くて、助け合わなければ生きて行けなかった。今は大概の場合、自分の身は自分で守れる。それだけのことさ」
俺は独り言のように呟いた。俺たちはいつから足並みが揃わなくなったんだろう。昔は皆同じ方向を向いていた。無力だったが純粋で、お互いを信頼していた。ノブナガの感傷が俺にも伝播したようだ。その気分を打ち消すように俺は自分のコーヒーを入れる作業にわざと没頭する。ミルクと砂糖はたっぷりだ。
「はねゆりは……」
ノブナガの言葉の途中で俺の携帯端末に着信があった。ハーディからだった。
「もしもし」
「起きてたか、ファッツ、待ってたんだと思うが早速報告する。頼まれてた一件は片が付いた。お前によろしくって言ってたよ」
徹夜明けなのだろう、ハーディは少し高ぶっていた。
「そうか、ありがとう」
「それからお前のところの若造が昨夜、新宿のクラブハウスでリンチを受けて殺されたそうだ。赤毛の奴だ。犯人は現行犯で五人全員逮捕。どうやら麻薬密売組織の内ゲバらしいんだが、何か知ってるか」
「知らんな、その赤毛とは最近縁を切った」
「そうか」
少し沈黙があった、何かを推し量る感じだ。
「まさかとは思うが……」
「ハーディ、うちでは麻薬は取り扱ってないよ」
「そうか、お前がそう言うなら信じるよ。店をたたむらしいな。これからどうするんだ」
「わからん、どうにか生きてくさ。今までありがとう」
「ああ、達者でな」
「また会いに行くさ」
「そうか、じゃあまたな」
「ああ、またな」
通信は切れた。
「警察の友だちか? 」
ノブナガが訊ねる。
「スキンが死んだらしい」
「……残念だな」
ノブナガはスキンと一番付き合いが長い。親友と言ってもよい。
「あいつは死んで当然だ」
俺はスキンを切って捨てた。ノブナガは俺の態度に少々不満を持ったようだ。
「……スキンの父親は酒に溺れ日常的に奴を虐待してたんだ。ある日母親がスキンを救うため父親を殺してしまった。母親は獄中で自殺した。奴は酷く傷ついてたはずだ」
「だからどうした」
俺は忌々しく吐き捨てた。育ちがどうだからって、あいつのやったことが許されるわけでもない。特に俺は奴を憎む権利がある。
ノブナガは何かに気付いたように俺を見た。
「……まさか、あんたが……」
「それは無い」
ノブナガの憶測を否定する。
「あいつは死んで当然だ」
俺は自分に言い聞かせるように繰り返した。
店のステージディスプレイの電源がいきなりONになり、ノイズが走った。外部のインターネット上から操作されたようだ。緊急時には情報通知のため、そういう手段が取られるようになっているが、今回は勝手が違った。同時に俺の携帯端末もアクティブになる。ノブナガのゴーグルも作動したようだ。そしてノイズが消え、赤い辮髪の男がバストアップで画面に映し出された。見たことが無い男だ。背景は白い。男の瞳がギラリと光る。
「ゼーア・エアフロイト。私は『ゲファレナー・エンゲル・イェーガー』のリーダー、カーマイン。君たちに真実を提供する。このネットジャックは強制的に端末の電源をオンにする。電源を切ることは出来ない。チャンネルを変えることも出来ない。放送は全世界で同時になされ、我々が目的を達するまで流れ続ける。私は『堕天使の猟兵』のリーダー、カーマイン。君たちに真実を……」
「なんだこれは」
ノブナガが拡張現実ゴーグルのコントロールグリッドを素早く操作している。彼はゴーグルを外して言った。
「このネットジャックのシステム干渉は、生物学的なものだ、俺には解る。これは技術的な問題じゃない」
「いったいどういうことだ」
「超能力、コンピューターとのシンクロニシティだ」
「なんだそれは」
ノブナガが肩をすくめる。
「……なんなんだ」
俺は白痴のように繰り返した。
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