第十六章 神坂美馬

 第16章

[神坂美馬]

 ねぇねが無事で、そして思ったより元気そうで良かった。ねぇねを悲しませたくなかったけれど、私はまず天使萌さんが亡くなった経緯を話した。

「あなたが萌の殺害容疑で指名手配されたことは知っている」

「ねぇねも悪魔崇拝の世界政府反逆罪で指名手配されてる。反逆罪は捕まれば死刑よ」

 まずシャワーを浴びてさっぱりし、ねぇねの白いワイシャツとスカートを貸してもらった。筑波大を出てから着替える機会が無かったからね。ねぇねはミニスカートマニアだ。

 奥にもう一つ寝室らしき部屋があるみたいだけど、リビングには必要最低限のものしかない。私とヨシムネはリビングのテーブルを挟んでテオと向かい合いソファに腰掛けた。ねぇねはキッチンでコーヒーを淹れている。


「あんたはいったい何者なんだ」

 此処に来る間、ずっとじりじりしてたヨシムネが、我慢の限界という様子でテオに訊ねる。

「聞けば後には戻れないぞ。聖約教会を敵に回す覚悟はあるか? 」 

 急に真剣な表情になったテオに、ヨシムネは一瞬気圧されたが、

「此処まで来させておいて、何も聞かずに帰るなんて選択肢もないだろ」

 私もテオと目を合わせ頷く。

「よし、じゃあ話そう。僕は聖約教会に弓弾く地下組織の一員だ。組織名はドイツ語で『ゲファレナー・エンゲル・イェーガー』、日本語で『堕天使の猟兵』。聖約教会の不正を暴き、転覆させる為の組織さ」

「……本気で教会を潰すことができるなんて、信じてるのか? 」

「可能かどうかは問題でない。僕たちはやるしかないんだ。正義の名の元に」

「悪魔崇拝の組織じゃないのか? 」

「僕たちは自らの内なる神を崇拝している。それを悪魔と呼ぶのは、聖約教会の都合だ。まあ、それを逆手にとって堕天使という言葉を使ってはいるがね」

 ねぇねがコーヒーが乗ったトレイを持ってきて、テオの隣に腰掛ける。

「ねぇねも組織の一員になったの? 」

「私は彼らに保護されて情報を提供しただけ」

「君の姉さんからは貴重な情報の裏付けとなる証拠を提供してもらった」

「何の情報の証拠なの」

「聖約教会が新生児のすり替えをしている証拠よ」

「……ねぇ、待って。それは……」

「詳しいことは僕が話そう」

 テオは身を乗り出してカップを取り、コーヒーを一口啜ってから話し出した。


「まず、世界中で聖約教会が行っているヘヴンズゲートを使った儀式、君たちはどう認識してる? 」

「母体洗礼と遺体洗礼、天国のアストラル体を胎児の魂に宿し、死後の魂をアストラル体にして天国へ還す」

「そう、それは比喩としては間違いとも言えない表現だが、真実はもっと科学的だ」

「というと? 」

「ヘヴンズゲートは科学技術の粋を極めた一種の装置だ。遺体洗礼で遺体をくぐらせたときに、DNAパターンを含む身体情報の全てをスキャン、トレースしてデジタル化、そのデータが実際に浮遊大陸、つまりヘヴンにあるコンピューターに保存される。そしてその身体情報を元に作り上げた人工人格が、面会で会うことのできるヘヴンの住人だ」

「ねぇ待っ……」

「まあ、話を最後まで聴け。母体洗礼にはアルカイック・テクノロジーが使われてる。ヘヴンに保存されたDNAパターンを元に生体物質由来の卵母細胞と精母細胞から人工受精卵を作製し、母体洗礼時に転移技術で母体に存在する元の受精卵とすり替える。転移ゲートの研究においては早い段階で直径15mm程度の大きさのものまでは任意に転移させることができるようになってた。ヘヴンズゲートのトレース機能でピンポイントで胎内の受精卵を抽出できる。つまり母体洗礼で、元々母体に宿る胎児を抹殺し、ヘヴンの住人……教会流に言えばだが……の子供を代わりに宿らせる。ちなみに人工受精卵が作製されているラボがあるのはヴァチカンだ。ヴァチカンから転移技術で世界中のヘヴンズゲートを介して受胎後七週目までの母体内にヘヴン住人の遺伝子データを元に造られた受精卵なり胎児が送り込まれてる」

「母体洗礼を受けて生まれた子供の遺伝子には、実際の親の遺伝子は全く受け継がれていない。それはヘヴンのDNAデータから作製されたものだから。私は結城翠センター長が自分で調べた遺伝子改ざんの証拠データを入手した。それをテオたちに提供した」

「センター長は今、どうしてるの」

「捕まって反逆罪で先日公開処刑された」

「それは……」

「教会は何のために受精卵を入れ替えるんだ」

「おそらく民族浄化だろう。ヘヴンにあるDNAデータは全て良民ポイントを満了した人間のものだ」

「ねぇ待って、もう一回聞きたいんだけど、私たちが会ってるヘヴンの住人は? 」

「人工人格だ。面会時はカプセルベッドに眠剤を散布し、枕をインターフェイスに完全没入型仮想現実を脳に展開する。ヘヴンの住人を制御しているのは人工知能だよ」

 私は絶句してねぇねを見ていた。なんなのそれって……

「じゃあ、ママは……ヘヴンのママは……」

「本物じゃない。美馬、あなたが会っていたママは、仮想現実内のAIに過ぎない」

「違うわ、ママの人格が残っているならそれはママよ。そしてその人格は確かにヘヴン、浮遊大陸に存在する……」

「美馬、浮遊大陸にあるのは……」

「いるのよ! 」

「美馬……」

 ねぇねは悲しそうに私を見ている。ママはいるんだ。チョコレートが好きな、自己犠牲を厭わない、優しくて温かい……嘘は絶対つかない……

「じゃあ、今『クラウドプレイス』を占拠しているのは……」

 ヨシムネの疑問にテオが答える。

「我々の仮想現実システムへのハッキングの結果だ。教会があくまでも占拠という表現を使うなら、占拠しているのは俺たちの送り込んだコンピューターウイルスだな」

 私とヨシムネはショックで微動だにできなかった。しばらく沈黙が場を支配した。テオの言うこと、ねぇねが嘘をついていないことは判っている。彼らが自ら信じていることを話していることは『気』を読めば判る。でも、私は自分の目で証拠を見るまでは、それを信じることができなかった。

「あんたたちは、『堕天使の猟兵』は、具体的に何をしようとしている? 聖約教会に、世界政府に、本気で勝てると思っているのか」

「僕たちがしたいのは取り引き、つまり話し合いだ。『クラウドプレイス』襲撃はその試金石に過ぎない。教会の態度次第では強攻策も準備しているが、あくまでも平和的な交渉を望んでいる」

「では平和的な話し合いとやらを始めましょうか」

「えっ? 」

 突然私は何者かに両腕を後ろ手に掴まれ、テーブル上に躰を抑え込まれた。慌てて頭を左右に巡らし状況を理解しようとする。テオが腰のホルスターから鞭を素早く抜いて閃かせるのと、ねぇねが捕縛銃のワイヤーに絡めとられるのが同時だった。

「ヨシムネくん、こっちへ! 」

 私の目の前に銃が落ちてきた。見覚えのある銃だ。確かねぇねの部屋で見た……

 テオが躰を翻し、ヨシムネを抱えて素早く奥の寝室に消えた。目の前の銃を女の手が拾う。男がテオたちを追って寝室へ走る。あの後ろ姿は……スキン? 

「ペイン、その女を抑えておけ、間違っても犯したり分解したりするなよ」

 そう言って螺旋監察官、ジェインが私の顔を覗き込んだ。

「美馬さん。ご無沙汰しています。スタンナイフ、痛かったわよ」

 ジェインも寝室に消えた。そして何よりも恐ろしい『気』と臭気が私の真後ろから漂ってくる。金木犀の腐った臭い。はぁはぁと私の耳元に臭い息を吹きかけてくるこいつは……ペインというのか。


 ジェインとスキンがリビングへ戻ってきた。

「ふぅん、驚きの組み合わせね」

 テーブルに押し付けられ苦しかったし、状況はかんばしくないけど、わざと余裕があるように振る舞った。ささやかな私のプライド。

「ふん」

 スキンは鼻を鳴らす。折れた左腕は回復してるようね。ゴーグルも新調している。前のよりシャープなデザインで頬のそばかすがよく見える。ジェインは大学で見た軍服姿で、白衣はもう羽織っていない。

「寮では一芝居打ったのね。この臭いヤツと敵対して見せて、私にあなたを信用させて、ねぇねからアクションがあるまで監視するつもりだった」

「そうよ。こう見えてもペインは簡単な命令ならこなすことができるのです。あなたがペインを倒す際、テレポーテーション能力を披露したので、計画を変更しました。つまりあなたを確保し、人質にとって真理さんをおびき出す。まさかスタンナイフで焼かれるとは思いませんでしたよ」

 ペインが体重をかけて私にのしかかっている。ヤツの涎が首筋にかかって不快だし、臭いわよこの野郎。

「スキン、あんたは完全に私の敵にまわったわけね」

「さあな」

 毒々しい、憎しみの『気』がスキンから漂ってくる。ノブナガの能力でこの場所を割り出したのね。

「ジェイン、あなたは話し合いを始めようと言ったけれど、本当に教会にそのつもりはある? 」

 ねぇねがギリギリと締め付ける捕縛ワイヤーネットの中から、苦しそうに言う。

「ふむ、ええ、少なくとも私たちには話し合いの余地はありますよ? 真理さん」

 ジェインが肩をすくめる。私は右拳を何とかペインの躰に接触できないか試みる。

「ジェイン、聖約教会のやっていることは道義にも自然にも反している」

「道義に反し、自然に反する? お笑いですね。そもそも道義の定義とはなんです? 自然とは? 」

「聖約教会は教義を理由に遺伝子工学を民間に禁止しながら、自らは研究を独占してその教義を侵している」

「必要悪ですよ。聖約教会は全人類の為に自ら汚れ役を買って出たのです。ロシア文学の偉大な作家の作品の『大審問官』のくだりをご存知でしょう? 最少不幸社会の実現、それですよ。大審問官にイエスが口付けしたように、最後に神は私たちを許すでしょう」

 ジェインは瞳をギラギラさせて語りだした。


「確かに遺伝子の正当な継承が自然のお題目ですね。しかしこの遺伝子というものをよく考えてみなければならないと思いませんか。ヒトの身体組織は生殖適齢期にピークを迎えるようにそもそもできています。例えば生命維持に不可欠な免疫機能を持つ、Tリンパ球を作る器官である胸腺は、思春期以降退化するし、脳細胞は受胎適齢期をピークに減少していきます。なぜでしょうか? 遺伝子にそう書きこまれているからです。

 要するに私たちは遺伝子を次世代に引き継ぎさえすれば用なしとなり、遺伝子は私たちを使い捨てにするのですよ。そもそも老化と死などというものがなぜ存在するのです? これが自然のお題目が求める結果というものです。一方私たちはもっと生きたいと願う。つまり遺伝子の振る舞いは我々の精神性と肉体との間の齟齬を生み出しているのです。巷に溢れている延命技術はその齟齬を埋めようとする行為です。まあそれはそれほど重要なことではありません。問題なのは遺伝子が本来利己的なことです。ドーキンスは読んでいますよね? 

 遺伝子は個の継承生存を最優先し、他を犠牲にすることを厭わない。同族間でさえ争いは絶えません。遺伝子がただ自分を未来に繋いでいく過程で生み出した自己強化システム、つまり自然淘汰による生物進化の歴史は、戦いの歴史であり、いわば私たちは遺伝子に戦いを強要されている。そして戦い続け、進化し続けた私たちは、今やこの世界を破壊し尽すことも可能なほどの力を手に入れました。それは核兵器やナノマシン、伝播力の強大な殺人ウイルスなどだけではなく、あなた方エスパーの存在もそうです。最も危険なのはこの状態でさえ私たちが戦うことを遺伝子によって宿命づけられているということです。強大な力を用いた戦いは近い将来世界を焼き尽くすでしょう。利己的な遺伝子の進化の歴史は既に『臨界点』を迎えているのです。

 真理さん、あなたの論文草案は読ませてもらいましたよ。確かに自然界には集合的無意識のようなものがあって、それが世界の行く末を導いているのかもしれない。個々の意志が自然現象界に還元され、それが新たな個の資質に目的意識として干渉し、新種が生まれるのかもしれない。しかしその目的意識とはなんです? 目的は突き詰めれば結局生存の継承ですよ。遺伝子のね! あなたの言う自然界の、世界の意志とやらは結局、利己的な遺伝子の意志なのですよ。あなたも解っているんでしょう? このままでは危険なことが。臨界という言葉はあなたも論文で使っていたじゃないですか。『臨界点』を超えた利己的な遺伝子の意志による進化は、破滅の崖っぷちへと加速疾走する暴れ馬のようなものです。聖約教会のシステムはその馬、利己的な遺伝子に軛をつけ、コントロールしようとする行いなのです。

 これは善人と悪人の選別なのです。秘密裏に、そしてゆるやかに行われる黙示録、審判なのです。穏便に事は進められこの地上はいずれ天国になる。善人だけが存在する理想郷のために、聖約教会のシステムは存在するのです。しかもその方法はできるだけ自然な方法で行われている(無論、自然の定義次第ですよ)。それはあなたの目指すところとどう違うのですかね? 『人為的かつ自然な形での進化のコントロール』ですよ? 私たちのやり方より自然で理にかなった遺伝子コントロールのシステムをあなたが創りだせるのですかね」

「あなたたちがやっていることは、人殺しとなんら変わりは無い。子を授かった敬虔な母親や父親の純粋な喜びや愛を、あなたたちは裏切っている。私はそんなやり方はしない」

「ミームコントロールですか? そんな雲をつかむような計画に実効性を担保できるのでしょうかね。あなたの言う『雰囲気』はいわば、危険な『遺伝子の延長された表現型』と同義なのですよ? 私たちは確立された遺伝子コントロールによって既に人類を導いている、対するあなたはまだ理論さえ確立していない、間接的な『雰囲気』コントロール、どちらに実効性があるかは火を見るようなものではないですか」

「私たちはそれをコントロールできればDNAを超越しうる、新たな自己複製子を認識する時代に来ている。それがミーム。ミームコントロールでは誰も傷つかない。もう一度言う、あなたたちのやっていることは、人殺しと同じ」

「ふん……」

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