第十五章 寺田ヨシムネ

 第15章

[寺田ヨシムネ]

 俺はなんて無力なんだろう。そう思うと泣きそうになる。悔しい。それは俺が子供かどうかなんかに関わらず、俺のアイデンティティをボロボロにする想念だった。一人でいると、希死念慮さえ湧いてくる。ルーシーに申し訳ない。ルーシーはもっと生きたかったはずだ。

 ファッツはルーシーの死について詳しいことは何一つ教えてくれなかった。ただ、死んだ。それだけ。俺は葬式にさえ出られなかった。ルーシーを皆と一緒に弔うことができなかったことが、俺に罪悪感を植え付けている。そしてクソッ、こんな生活がいったいいつまで続くんだろう。

 学校のクラスメイトや教師が、指名手配の賞金首になった俺をどう思っているかは、はっきり言ってどうでもいい。あそこに元々俺の居場所は無かった。クラスメイトは成績優秀な俺の足を引っ張ろうと躍起だったし、教師たちは俺をませた生意気な小僧とやっかんでいた。勉学に価値を見出していたわけでもなく、俺の居場所は、はねゆりと賞金稼ぎチームの二つで充分だった。

 誘ってくれたスキンには感謝してる。俺が少しでもまともな気分になれるのは賞金稼ぎチームの皆といるときだけだった。スキン、ファッツ、美馬、ノブナガ、そしてルーシー。彼らを尊敬している。彼らに認められることが、俺の存在意義になってたんだ。そして今、俺は彼らの足を引っ張っている。怖ろしい考えが纏わりつく。ルーシーが死んだのも、もしかすると俺の所為かも知れない。


 ファッツが用意してくれた俺の隠れ家の1LDKは『ファットマンズ・ダイナー』と同じ区域にあり、歩いて十五分の距離だ。場所を同区域にすると、チームの誰かが隠れ家に来るとき、公共交通機関を使用する必要がないので、その記録から足がつかない。彼らが中目黒駅で電車を降りれば目的地は『ファットマンズ・ダイナー』だと思われるだろう。

 俺は部屋に籠りっきりだ。食糧は宅配サービスを使い、ノブナガが造ってくれた偽造IDカードで精算している。携帯端末も偽造ID名義のものをノブナガが手配してくれたが、ファッツに言われてなるべく使わないようにしている。硬いソファに座って据え置きのテレビを見るだけの毎日。このアパートに入ってからは、美馬とファッツが一度ずつ来たきり。通信手段は追跡の恐れがあるので、チームとの繋がりはその二回だけ。現状打開を人任せにしてただ待つだけの生活が、その無力感が、俺の心を蝕んでいる。もう限界だ。


「『クラウドプレイス』を占拠しているテロリストたちからは、何の声明も発表されていません。彼らの正体も明確なことは分かっていません。アストラルフィールドに侵入する為には、自らアストラル体になる必要がありますが、それは神の理力による奇跡によって成されるものです。はたして神がテロリストの侵入を許可したのでしょうか。それとも悪魔の力によるものでしょうか。市民は混乱し、各地の教会に殺到しています。聖約教会は数時間後に公式見解を発表する予定で……」

 テレビはどの局も、同じニュースを繰り返している。みんなそれだけ天国が大事ってことだ。

「ヘヴンの住人たちと会えなくなる」

「テロリストは『クラウドプレイス』を足掛かりに、ヘヴンを攻めるつもりだ」

「悪魔崇拝者がヘルズゲートを使ってアストラル体になったんだ」

「悪魔がヘルズゲートをくぐって顕現する」

 いろんな憶測が飛び交っている。世界が騒然としている。無理もない、聖約教会が実際に攻撃を受けるなんて初めてのことだからだ。でも予兆はあった。最近の聖約教会は胡散臭かった。ほころびが見え始めてたんだ。そして神の存在が明らかになり、天国が顕在化して三十年経っても、世界は良くならなかったんだ。大勢の人が失望したはずだ。

「街に出てみようか」俺は突然の衝動に駆られた。このままでは気持ちが壊れてしまう。皆が混乱してる今なら大丈夫かもしれない。ソファから立ち上がった瞬間、インターホンが鳴った。続いて不規則に暗号化されたノックの音。美馬が来てくれたみたいだ。

 声を確認して玄関のドアを開けると美馬と、もう一人、見覚えのある男がいた。黒いスーツに黒いサングラス。

「あっ」

 おれは思わず声をあげてしまった。アイツだ。氷河鉄道に乗ってたグラサンスーツの男の片割れ、ミーナキャンベラ・プレザンス、クウェール・ガヴローシェと一緒に消えた奴だ。

「グーテンアーベント、ヨシムネ・テラダ君だね。僕はテオドール・アルペンハイム。テオと呼んでくれたまえ。僕は君の問題を解決できる」

「さっきそこで会ったのよ」

 美馬が何でも無いように言う。あっけにとられてる俺の横を通って二人は部屋の中に入っていった。


「さっきあんた出ていくつもりだったでしょ? 馬鹿ね」

 なんで分かったんだろう? 食事用のテーブル席に二人と向かい合って座る。テオドールと名乗った男はサングラスを外し胸のポケットに入れた。かなりの美形だ。氷河鉄道のもう一人の片割れは大男でがっしりしたタイプだったが、こちらは長身で細身だ。名前も見た目も生粋のドイツ人らしい。

 美馬に目をやって俺はぎょっとした。聖マリア渋谷女子高校の制服、即ち戦闘服と美馬が呼んでいるが、それがどす黒く染まっている。

「血か? 」

「ねぇ待って、それは問題じゃない」

「でも……」

「黙ってテオの話を聴いて」

 取り付く島もない。俺は美馬のことを心配してるだけなのに。

「ヨシムネ君、まず言っておきたいことは、僕は君の敵ではないということだ。スイスでは図らずもああいう成り行きになったがね」

 流暢な日本語。姿勢よく真っ直ぐ背を伸ばして椅子に座っている。映画俳優のような佇まいだ。美馬は彼の隣でくつろいだ様子だが、俺はまだ心を許していないぞ。

「俺はあんたらの所為で大変な思いをしてる」

「僕たちの所為というのは間違いだなヨシムネ君。僕たちは君に害意は無い。今回のことは僕たちにとっては不可抗力だ。僕は君の手配書がねつ造されたものだということを知っているし、君の捜しているミーナとクウェールのいる場所も知っている。本当は隣にいる美馬くんの為にやって来たんだが、君の問題をどうにかする手助けを僕ができそうなことも事実だ。そしてそのことに僕はやぶさかでない」

 鼻につく言い方だ。気に入らない。

「私はテオと一緒に行くわ。今すぐあんたも、決断して」

「どういうことかさっぱり分からない。美馬、説明してくれ」

「私だってまだ何も聴いてないのよ。彼は付いて来れば話すと言ってるの」

「なんだそれ、気は確かか? 何故こいつが信用できる」

 テオドールは少し不愉快そうな表情になった。

「『気』よ。そして私はねぇねに会いに行く。それだけ」

「真理さんがどうかしたの」

「あんたと同じよ。ねぇねと私は賞金首になった」

「それって……」

「ヨシムネ君、僕を信用してくれ。少なくとも現状より悪いことにはならない」

「ファッツたちは行き詰まっているわ、このまま隠れ続けてもらちが明かないわよ」

 ……それはそうだ。テオドールは信用できないが、このままここに居ても事は解決しそうにない。

「少し考えさせてほしい」

「だめよ、今すぐに決めて、9、8、7……」

「……分かった分かった、行くよ、美馬一人じゃ心配だし」

 でも奴を信用したわけじゃない。奴の相棒は美馬を殺そうとしたんだ。

「では準備をしてくれ、君が偽のIDカードを持ってるのは都合がいい。本物は置いていくんだ。美馬君のIDカードは行く途中で渡す。それまで美馬君は本物を使ってくれて問題ない。それから携帯端末はGPS機能をオールオフにしてくれ」

「俺たちは何処に行くんだ? 」

「ついて来れば判る。サングラスを貸してやろう」

 くそっ、やっぱり鼻につく野郎だ。



            ◇



 夜の東京湾、『メガフロート東京ベイ』。巨大な浮体ブロックを繋ぎ合わせた海上浮遊構造物。年末以来訪れなかった海上エアポートと転移ゲートステーションカテドラルの光溢れる外観は、相変わらず化け物じみた威圧感を放っていた。

 俺たちはスイスに行ったときと同じ旧羽田空港跡遊園地経由のモノレールを使って、ここまでやって来た。中目黒からは最短距離のルートだ。ステーション内は、前回と比べるとかなり人が少なく、セキュリティチェックもスムーズにパスした。

 テオドールは係員に鞭のような武器を提示していた。それは伸び縮みするタイプのもので、腰のホルスターに納められていた。俺と美馬は手ぶらだ。所持品は服のポケットに入れたIDカードだけ。美馬の制服に付いた血糊は血糊と認識されなかったようだ。

 大天蓋、頭上の天使ガブリエルに監視されているようで、落ち着かなかった。テオドールと俺と美馬は出国ゲートをくぐり、東廻りの転移ゲートラインに入った。出国ゲートをくぐると所持しているIDカードの記録が残る。

「取り敢えずブラジルの転移ゲートステーションまで行く。そこからは魔法だ」

 東廻り、一つ目の転移ゲートをくぐる。其処はもうシドニーの転移ゲートステーションだ。ロマネスク様式の内装、大天蓋に描かれているのは大天使ミカエル。そのまま直進して、また転移ゲートをくぐる。ホノルルの転移ゲートステーションだ。天蓋にはゴルゴダの一幕。そしてアンカレッジ、バンクーバー、ロサンゼルス、メキシコシティ、リマ、ワシントンDC、ニューヨークとゲートをくぐってゆき、その次がブラジル、リオデジャネイロだった。


「此処からは魔法を使う」

 テオドールは悪戯っぽく微笑んだ。左腕のスーツの袖をまくりあげると白いリストバンドが現れる。

「美馬君、僕と手をつないでくれ。ヨシムネ君は美馬君と手を繋いで」

 俺たちは三人、数珠つなぎになった。テオドールは空いている右手で美馬とつながっている左腕のリストバンドのスイッチを押した。目の前に次の転移ゲート、グリーンランドステーションの内部が広がっている。

「このまま転移ゲートをくぐる」

 視界が急に変化した。グリーンランド行きの転移ゲートをくぐった瞬間、俺はグリーンランドのステーションでなく、暗く狭い部屋に立っていた。そこは何処かの住居の内部らしく、窓が無く、光源は小さな木製のテーブルの上に置かれた、ランタンだけだった。

「どういうこと? 」

「魔法だ」

「ふざけるなよ」

「……アルカイック・テクノロジーだよヨシムネ君。僕たちは転移ゲートの仕組みをほぼ解明したんだ。今のはそれの所謂、応用だよ」

 振り向くと転移ゲートによく似た、底幅2m、高さ3mほどの黒い枠があった。枠内の先にはこの部屋の木製の壁が見える。俺たちがいまくぐったのは、ブラジルの転移ゲートだったはずだ。テオドールの言葉を咀嚼し、飲み込むまで時間がかかった。

「神の所業を理解したの? 」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」

「あんたは教会の人間なのか? 」

「違う、逆だ。言うなれば……悪魔崇拝者と言ったところかな」

 背筋がゾッとした。俺は踏み越えてはいけないラインを越えてしまったのかもしれない。


 テオドールの言う『応用』で、俺たちが跳んできたのは、サンパウロだった。日本とは時差十二時間。そこから俺たちは空路でアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスに向かった。転移してきたサンパウロの隠れ家には、美馬のための偽造IDカードが用意されていて、美馬は其処に本物のIDカードを置いてきた。

 飛行機の中で俺はあることに気が付いた。これは、プレザンスの一件と同じだ。日本の出国ゲートで途絶えたIDカードの記録。そこから少し行方をくらまし、その先は偽造IDでの交通機関の使用、俺たちのリオデジャネイロはおそらくプレザンスのパリ、サンパウロはプレザンスのジュネーヴで、ブエノスアイレスは氷河鉄道終点のサンモリッツだ。転移ゲートステーションから『応用』で跳んで、そこで新しいIDカードをもらい、そこからまた公共交通機関を使う。俺たちが賞金首になってることまで、今回のシチュエーションは、プレザンスの逃亡劇とあからさまに似通っている。テオドールたちはきっと、もっと沢山の人間に同じことをしてきたに違いない。美馬もそのことに気付いているようだ。


 旅の目的地はラ・プラタ川沿いにある郊外の小さなアパートで、其処に美馬の姉さん、神坂真理が待っていた。二人は抱き合って互いの無事を確かめ合った。俺が真理さんを見るのは随分久しぶりだった。黒いサマーニットにデニムミニスカート、濡れた黒い瞳、ぷっくりした下唇。ロングストレートの黒い髪が、洗練された美しい所作に揺れている。相変わらず神がかりに綺麗で美馬とそっくりだ。

「真理さん、こんにちは。ヨシムネです」

「ヨシムネ君、久しぶり。随分逞しくなった。『雰囲気』に迷いが無くなってきている」

 真理さんは昔から『雰囲気』という言葉をよく使う。美馬のよく使う『気』との違いが俺はよく判らない。彼女の前に立つと緊張する。彼女は話し方もそうだけれど、人と関わる際に、少し距離を置いて壁を作ってる。

「ありがとうございます。会えて嬉しいです」

 形式的な会話になってしまうのは、俺の所為だけじゃないはずだ。それでも俺と真理さんの間には、互いへの理解のようなものが存在した。お互いの人格を認め合っているような。

 俺は真理さんを尊敬しているし、なにより美馬の姉さんだ。緊張もするけれど、それでも俺は真理さんに会えて本当に嬉しかった。そしてその気持ちは確実に真理さんに伝わっているはずだ。

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