第十一章 ファッツ

 第11章

[ファッツ]

 ピンと機械音がして、美保子の端末から厨房内の小型ディスプレイにオーダーが入った。オムライスバーガー二つに山ぶどうスカッシュ二つ、フライドポテトラージサイズにオニオンサラダ、まずサラダとドリンクを先に所望の旨。俺は皮を剥いた玉ねぎをはじめとする、特注有機栽培の新鮮な野菜たちを冷蔵庫から取り出し、素早く洗って包丁を入れてゆく。自分で言うのもなんだが手際は芸術的だ。美保子がカウンターで山ぶどうスカッシュを作っている姿が目に入る。

 ランチタイムを過ぎて客が減ったタイミングで、ルーシーと美馬は休憩に出した。ルーシーは厨房の補助要員、美馬と美保子はウェイトレスだ。この二人のウェイトレスは土日限定のアルバイトで店に入ってもらっているが、客に人気がある。二人は高校一年生でクラスメイト。今夜はステージに上がる予定で、彼女たちを目当てにやってくる客で店は埋まるだろう。

『ファットマンズ・ダイナー』は4シーズンのうち、2クールごとにコンセプトを変えていて、去年の一〇月からは『猫耳メイド』キャンペーン中。ウェイトレスには猫耳カチューシャと尻尾付きのセクシーなメイド服を着せて、ネコ語で接客させている。美馬はこのバイトの所為で、普段でもネコ語が出るようになってしまったと文句を言っていた。猫耳メイド服は彼女によく似合っている。

 ダイナーである以上この店で一番大事なのは俺の作る料理だ。独学で学んだ俺の料理の味は、一度食って病み付きになった多くの常連客が保障してくれる。一度大手の飲食店情報サイトから、五ツ星授与とセットの取材オファーがあったが、俺は断った。厨房は俺とルーシーしかいないので、客が殺到すると捌ききれなくなる。

 屋台から始まった『ファットマンズ・ダイナー』だが、俺はこれ以上店を大きくするつもりは無い。店の細部に至るすべてを俺の管理下でおこないたいからだ。俺は箱庭の神で満足している。箱庭を支配する感覚は、個人的な創作活動に似ている。要するに俺は芸術家なのだ。腹を満たし憩いの場を提供するエンターテインメント寄りの芸術家だ。俺は自分の仕事に誇りを持っている。目的は贔屓にしてくれている客を満足させること。その対価は充分すぎるほど得ている。

 居候のスキンがカウンターでビールをちびちびやりながら、美保子をナンパしようとしている。無駄だ。スキンは美保子がレスビアンであることを知らない。


 ルーシーたちの休憩時間が終わる頃合いだった。俺が美保子に休憩を交代するよう告げかけたところで、店の奥から物凄い金切り声があがり、店内が凍りついた。俺と美保子は顔を見合わせる。今の悲鳴は美馬か? 今までに聞いたことの無い、酷くおぞましい悲鳴だった。悪魔の断末魔と言ってもいい。俺は美保子に待っていろと言って、休憩室を兼ねている食糧倉庫に向かった。

 扉を開けてまず異変を認識したのは臭いだった。俺は自分で家畜を屠殺したときのことを思い出した。吐き気を催す血と内臓の臭いだ。そして実際に血と内臓はそこにあった。SPAWN、正確には『SPAWNであったもの』の八つ裂きにされた残骸が、倉庫内にぶち撒けられていた。ただし、それは単なる血と内臓ではない。血液、油、合成樹脂、合成繊維、金属破片、明らかに人工物と認識される内容物の残骸の数々が、赤白く濡れた大量の体毛と共に、倉庫の床や壁面にへばり付いていた。可能性は疑っていたが、SPAWNはサイボーグ、もしくはロボットだったのだ。そして……


 ……そして本物の血と臓器は別のところにあった。真っ白な、それもぬめりと湿気を帯びた白い肌に、大量の返り血を浴びた全裸の大男が、こちらに背を向けて、横たわっているルーシーの躰に覆いかぶさり、蹂躙していた。ヤツは爬虫類のような躰をくねらせながら、繰り返し腰を突き上げ、同時に鋭い爪でルーシーの腹から……

「……つっ……」

 美馬が部屋の隅でへたり込んでいる。眼の焦点が合っていない。

 俺は扉を開け放ったまま黙って踵を返し、カウンターに戻った。

「なんだったの? 」美保子が訊ねるが俺は「其処にいろ」とだけ返し、防犯用の連射式ボウガンをカウンター裏の引き出しから取り出した。再び食糧倉庫に向かう。『ちくしょう、アレはなんなんだいったい? 』涙が出てきたが、おそらく恐怖のためだった。

 ヤツはまだルーシーを犯し続けていた。俺は震える手を気力で制御して、ボウガンの安全装置をなんとか外し、ヤツの後頭部に照準を合わせて引き金を引いた。あっけないくらい静かに、鋭い矢が一本、ヤツの脳天に吸い込まれていった。

「ガッ……? 」

 ヤツが振り向き、俺はヤツの眼を見た。右は灰色、左は真紅の眼、既に瞳孔が開いている。背筋が凍る思いだった。無言でボウガンの引き金を引く。

「ガァァァァァア! 」

 ブスブスとヤツの顔面に鋼鉄製の矢が刺さっていく。俺は次第に冷静になっていった。矢が底をついたとき俺は完全に正気を取り戻していた。ヤツは息絶え、じゅくじゅくと溶け始めている。耐え難い臭気が漂う倉庫内で、俺は此処にある食料はもう使えないなんてことを考えていた。


 美馬は倉庫の隅でへたり込んだまま、失禁していた。俺は美馬の名前を呼んだが反応が無い。

「美馬っ! 」

 俺は声を荒げて美馬のところまで行き頬を叩く。怯えるような表情を見せた美馬は、ひゅぅーと大きく吸い込んでから、震えながら息を吐き出し、ようやく眼の焦点が合った。

「大丈夫か? 美馬」

「あああ……、うん、大丈夫」

 まだ震えている。

「ヤツはもう死んだ、安心しろ」

「うん……」

「何故黙ってみてた」

「……そ、そいつはいつのまにか後ろにいたのよ? そいつはルーシーの内臓を引きずり出して……」

 震える美馬のむき出しの太股から、びちゃびちゃとまた液体が溢れ床に広がってゆく。俺は目を逸らした。

「分かった、もういい、下着を着替えろ。店は今日は終いだ」

「あ、ありがとう……私は……大丈夫……」

 俺はルーシーの無残な遺体にヤツが染み込んで消えていくのを見ながら、かけがえの無いものが失われてしまったことに、ようやく気付いた。

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