第十章 SPAWN
第10章
[SPAWN]
優しい温もりに抱かれながら、俺は渇いている。じりじりするような欲望と焦燥。生物として存在するもの全てが持っている行動原理、本能とでもいうべきものが、俺を落ち着かなくさせる。自分をコントロールしている気になってるヤツは、錯覚しているんだ。この世界に真の主体性なんて無い。俺たちは物理法則とDNAに書かれた筋書き通りに操られている。人形劇を演じているんだ。
俺は今美馬を犯したい。めちゃめちゃにして自分のものにしたい。なんなら殺してみたっていい。美馬も恐らくそれを望んでいるだろうから。
ルーシーがレイプされる前から、この世界がクソだってことははっきりしてた。教会がいくら頑張って人々を救済し、街を浄化し、天国行きをちらつかせても、最初の夜のサンタクロースたちのように、クズみたいな人間が、次から次へと湧いてくる。とんでもなくどうしようもない奴らが。
そいつらと俺はいったい何が違うって言えるんだろう。俺は一匹の獣だが、心の中にもう一匹獣を飼っている。獰猛で並大抵には制御できないその獣は、もうすぐ俺自身を内から喰い破って殺し、異臭をまき散らしながら新たなどす黒さを世界にもたらすんだ。
美馬の膝の上で俺は欲望を持て余していた。美馬の行動は飲食店の従業員としては失格だ。彼女は今、胸元と太股を大きく露出したメイド服を着て、黒ニーハイの絶対領域に俺を載せてブラッシングしてくれている。バッテリーで自動する猫耳カチューシャをツインテールの頭の上で揺らせながら。
「私、髪とか動物の毛とか、触るの好きにゃんだよね」
ランチの時間帯を過ぎたファッツの店の食糧倉庫には今、俺と美馬、ルーシーの、お馴染みの二人と一匹がくつろいでいる。俺は衝動と戦いながら平静を装っていた。
「次の日曜日、お兄ちゃんの友達の獣医さんが来るよ。スキャニングの機械も持ってきてくれるんだって」
「これで何か解ると良いわね」
俺が此処に来て既に一ヶ月を過ぎたが、いまだ俺は自分が何者か解らない。解るのは俺が矛盾した二匹の獣だってことと、何かから逃げなきゃいけないってこと。そして俺が美馬を愛しているってことだけだ。
美馬のことを思うと俺は居ても立ってもいられなくなる。彼女の姿を見ると嬉しくなる。そして寂しくなる。今のように欲望が頭を
俺は彼女を救いたいと思っている。それが殺すことなのか、生かすことなのかは、今は分からない。そしてそれは俺自身のエゴに過ぎないかもしれない。美馬は俺が何かしなくても、良民ポイントが+15000を上回ったら、さっさと自分で死んでしまうかもしれない。そんなことをされるくらいなら俺は美馬を自分の手で殺したい。そしてそのあと俺も……
正直な話、俺は自分の記憶なんてどうでもよくなってきている。美馬だ。俺の存在意義は彼女一人にすべてが掛かっている。俺は確かに生きていて此処にいる。それは俺を見つめる優しい美馬の、黒目勝ちの瞳が証明してくれる。
ファッツが教えてくれたのだが、俺はどうやら殺人容疑で賞金首になっているらしい。それも破格の。ルーシーを助けるために闘ったヤツらの一人には重傷を負わせたが、殺してはいない。俺に殺されたのは『アキハバラ・テックスラム』の住人ってことになってる。ファッツが言うには、俺の失われた記憶とこの殺人事件が、関係があるかも知れないということだ。さらに詳しい情報を調べてくれてる。ファッツは人格者で、尊敬に値する。
「だから、ヘヴンにいたアストラル体時の記憶を持ってる人間は、母体洗礼を受けた子供の中にはいないんだろう? 」
今、俺たちは聖約教会について議論している。ルーシーはかなり熱心な信者だ。
「ヘヴンが本当にあるかどうか実際のところ証拠はほとんどないんじゃないのか? 」
俺は聖約教会を信じない。美馬も教会の信者だが、今は冷静に俺の話を聞いている。
「だって、浮遊大陸は私見たことあるし、ヘヴンにいる人たちとは会えるんだよ。神様も実際にいたよ。聖遺骸はヴァチカンに安置されてて、復活のための研究も教会はしてる。聖遺骸は学校の教科書にも載ってるよ」
「それはただの画像だろう。実際に神の遺骸を見た人間はどれだけいるんだ? 」
「にゃん。聖遺骸は私子供の頃、一般公開されたときにパパと見に行ったことあるわよ。凄く神聖で大きくて美しかった。一緒に発見された転移ゲートは人智を超えた奇跡的なものだし、奇跡とはすなわち神の行為だわ」
「神は自らの似姿に私たち人間をデザインされたのよ。聖遺骸のお姿は聖書に書かれている神のお姿と一致するわ」
「ヤハウェが復活して、自分を神と名乗ったとしても、俺は信じないね」
「あなたはきっと記憶を失う前からアンチなのね」
そういう美馬も今は少し聖約教会に疑念を感じているはずだ。プレザンスの一件、ヨシムネの罪状のねつ造。教会の裏には何かある。
「ヘヴンの住人、私のママに会ったら、あなたもきっと聖約教会を信じるようになるわ」
美馬が俺の背中に顔を埋める。言葉を返そうとしながら、美馬を見上げたとき、俺は信じられないものを見た。躰中の毛が恐怖に逆立つ。美馬の肩越しに男の顔が浮かんでいた。白い髪、白い顔、灰色の瞳。色素が欠乏したオオサンショウウオのようなヌメリとした肌の質感。
「タァゲト……コォロス……オンナァウゥマイ……コロォシテ……オカァスゥ」
ヤツがそう言って、其処だけは血のように赤い、大きな口をパクリと開いた瞬間、俺は本能の命ずるまま、咆哮をあげて、飛び掛かっていった。そうだったんだ。それは突然だった。あらゆるものがフラッシュバック。
今、全てを思い出した。俺は……俺は!
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