第八章 寺田ヨシムネ

 第8章

[寺田ヨシムネ]

 列車がスピードを落とし、そして停止した。美馬に何かが起こったことは明白だった。スキンが美馬の名前を繰り返し呼んでいるが返事がない。俺は気が気じゃなかった。

「スキン、美馬はどうなったんだ」

「下に落ちた、さっき通過したラントヴァッサー橋だ。応答がない。あの高さでは助からないだろう」

 事故が起きたので一時停止しますというアナウンスが流れた。乗客たちは多少ざわついてはいるが落ち着いている。

 プレザンスはティザーガンで仕留めた。気絶しているヤツを手錠で拘束した俺は前方車両に注意を払っていた。グラサンの片割れが何かアクションを起こしてくる可能性があったからだ。プレザンスに対する所業から発生しそうな面倒事を避けるため、赤い腕章を左腕に着けた。傍らの乗客は腕章を見て『了解した』という意味の頷きを俺に返す。くそっ……

 スキンは美馬の名を呼び続け、客室乗務員が後方車両に駈けてゆき、俺はただ美馬のことだけを考えていた。



            ◇



 大晦日の夜、俺たちは『ファットマンズ・ダイナー』に顔を揃えていた。

「概算だが、破損した車両の修理費が六〇万クレジット、乱れたダイヤの補償に二〇万クレジット。両方こちらに請求されている」

 ファッツの報告にスキンが舌打ちをする。

「それに地元のレスキューに依頼した美馬の捜索費用が二五万、あとはサンモリッツまでの往復の交通費と装備準備費用、これらを賞金から差し引いて、結局この一件の利益はおよそ五五万で、一人当たりの取り分は約一一万クレジット。列車内で騒ぎを起こしたことで、良民ポイントも相殺。この調子が続くようなら俺も今後投資を続けるか否か検討する必要があるな」

「だから俺は待てと言ったんだ」

 スキンの表情はゴーグルに隠れて読み取りづらいが、きっと苦虫を噛み潰したような感じだろう。失敗続きだから無理もない。でも俺にとっちゃそんなことはどうでもよかった。

「例のグラサン二人組の正体は不明」

 美馬が仕留めたグラサンサイボーグの片割れは意識不明のまま、プレザンスとともに地元警察に引き渡され、収監された。

「にゃーん。ヤツら、最初から怪しい雰囲気丸出しだったし、戦闘も素人だったわ」

「そのシロウトにやられたのは誰だ? 」

 美馬はスキンに向かって申し訳なさそうに肩をすくめる。


 徐行運転でサンモリッツに向かう列車の中で、俺は美馬の安否のことしか頭になかった。

 彼女が生きていたのは奇跡だった。事後速やかな救助要請を受けたレスキュー隊のヘリは、程なくしてラントヴァッサー架橋基部で、半裸のまま凍えて手を振っている美馬を発見した。「気が付いたら氷の上に横たわっていた」と話す美馬は低体温症で少し危ない状態だったが、最終的にはあばらを一本折っただけで事なきを得た。

 高性能マイクのピアスはグラサンとの戦闘で破損していた。イヤホンは機能していて、俺たちの声は美馬に届いていたらしい。俺は少し恥ずかしかった。美馬が見つかるまで俺はずっと取り乱し、半泣きで呼びかけ続けていたからだ。

「ありがとね」

 病院で美馬がこっそり言った言葉に俺は救われた。本当に無事で良かった。彼女は今ビリヤード台の定位置に腰掛けて、両足をぷらぷらさせている。


「グラサンのもう一方の片割れは車内から姿を消した。おそらく緊急停車してた間に逃げたんだろう。そして一番の問題はこれだ」

 ファッツが続ける。ステージモニターに女のバストアップ写真が映し出される。

「あの母子連れだわ」

 俺たちと同車両にいた子連れの女。

「そうだ。その母子連れも緊急停車中に消えた。おそらくグラサンと一緒にだ。そしてこの女はプレザンスの妹だ」

 店内がしばし沈黙に包まれた。

「ミーナキャンベラ・プレザンス。彼女も兄に遅れて共犯者としてギルドの賞金首リストにアップされた。お前たちがスイスにいた時だ」

「俺たちには二兎を得るチャンスがあったのか」

 スキンは悔しそうに呟く。

「ミーナも悪魔崇拝者とされているが、俺とノブナガはおかしいと思ってプレザンス兄妹を詳しく調べた」

「そう言えば俺とヨシムネが調達してきたロザリオは、聖約教会の司祭が持ってるものだ」

「うむ、イェールサマエル・プレザンスは八王子にある聖約教会の司祭だった。ミーナキャンベラはアルカイック・テクノロジーの研究者で、ロサンゼルスに住んでた。転移ゲートの仕組みを研究している施設がロスにある。これらの情報は全部裏が取れてる。つまり二人とも聖約教会の人間だ。悪魔崇拝とは何の関係もない」

「手配書の情報はねつ造ってこと? 」

「おそらく。この事件は最初から教会直属の司法監察局の管轄だった。局以外の人間は死体さえ見ていない。教会の人間が、教会のコントロール下で処理されたんだ。俺たちはいわば教会の駒になった可能性があるわけだ。それからミーナには子供がいない」

「じゃああの子供はなんなの? 」

「わからん。だが調べるつもりもない。ヤバい匂いがするからだ」

「この一件は最初からきな臭かったんだ。美馬、命拾いしただけでも有り難いと思えよ。次からはターゲットを慎重に選ぶことだな」

「にゃーん」

「今回はこれでも運が良かったと思うしかないな。特に美馬はそうだ。謎は多いがこれ以上首を突っ込まないほうが無難だろう。よし、プレザンスの件は終わりだ。次はノブナガから報告がある」

 ファッツが両手をパンと合わせた。ノブナガが前に出てステージモニター脇の椅子に腰掛ける。相変わらず直線的なデザインのゴーグルをしている。


「前回の首をバラバラにした白いヤツの情報だ。一二月二〇日未明にプレトリアの転移ゲートステーションで事故があった。ニュースにもなってるが、その事故の被害者が例のアルビノだ」

 ノブナガは基本的に無駄口を叩かない。淡々と簡潔に報告を続ける。モニターにニュース記事が映し出された。

「ステーション内にバイクが乱入して人身事故に。男性が一人意識不明の重体、バイクの男はそのまま逃走、フルフェイスヘルメットを被っていた。現在監視カメラの映像を元に警察が捜査中。ざっとこんな感じだ」

「アルビノは被害者なのね」

「そうなんだ。そしておかしいのは、彼は二〇日から今朝まで身元不明、意識不明のまま現地の病院に入院していたんだ。俺たちが見たのは二六日だから矛盾している」

「人違いじゃないのか」

 スキンの言葉にノブナガはかぶりを振った。ステージモニターに例のアルビノがプレトリアの転移ゲートステーションから、担架で救急車両に運び込まれる映像が映し出される。野次馬が撮影したものらしい。

「この映像は、人づてに入手した個人所有のオフネットデータだが、見た目は間違いなくヤツだ。そしてこの映像を元に画像検索をかけたが、何もヒットしないんだ。ヤツと認識できる画像が映っているものはネット上には全くない。事故のニュースにもヤツの写真は無い」

「そんなことって有り得るの? 」

「すべての関連画像をネット上から一括に削除するのは物理的には可能だ。権力とかなり高度な技術が必要だが。とにかくこの事故のこの映像しか、俺たちが見たアルビノと関連付けるものは無い」

「でも100%じゃ無いわね」

「まあ……そうだ」

「今朝退院したのか? 」

「警察がやってきて、事情聴取の為という理由で、意識不明のままのヤツを別の病院に移した。司法監察局管轄の警察病院だ。同時にこの事故自体も司法監察局の取り扱いになってる」

「にゃーん、不思議な話ね」

「俺のスキルではここまでが限界だ。この件もこれ以上調べる必要性を感じないが、スキン、どうする? 」

「ああ、もういい。この件もヤバい匂いがする」

 もやもやすることばかりだが、俺たちはただの賞金稼ぎ、行動原理は金と良民ポイントだけだ。ややこしい事件にあえて首を突っ込む必要は無い。触らぬ神に祟りなし、スキンやファッツの判断は正しい。

 しかし俺は既に自分が地雷を踏んでいることに気付いていなかった。足を離したところでドカン。でも俺がどうやって、この時点で差し迫る脅威を予知できたと思う? 俺はいつも後になって、結果が出てから後悔するんだ。そういうふうに出来てる。神様がそんな風に俺を作ったからだ。



            ◇



「だからコペンハーゲン解釈では、観測された電子以外にありえた状態の可能性は何処に消えたのかという問いに答えられないんだ。これにはアインシュタインのような、決定論的完璧主義者でなくとも納得できない。そこで多世界解釈というのが持ち上がってくる。単純に言えば多世界解釈では観測した時点で世界が、位置Aに電子を観測する世界と、位置Bに観測する世界に分岐するんだ。並行世界だ。これは人間でさえ複数の状態が共存しているということを意味する。さっき説明したシュレーディンガーのネコを、標準的なコペンハーゲン解釈と多世界解釈に照らし合わせると、原子核の崩壊で出た放射線が検出器と反応した時点で、ネコが生きてる世界と死んでる世界に分岐する。つまりネコが生きてる世界と死んでる世界が共存するんだ」


 旧西暦二〇三一年、新暦三二年がまもなく終わろうとしている。俺たちはまだ『ファットマンズ・ダイナー』にいて、このまま新年を迎えるつもりだ。

 美馬がステージ上で音楽に合わせて歌い、踊っていて、ルーシーと例の新入り、喋るオオカミのSPAWNがそれを最前で二人並んで見守っている。

 スキンとファッツはドリンクを賭けたナインボールで一戦交えた。負けたスキンがカウンターで自腹で買ったビールを飲んでいる。ビリヤードでファッツに勝ったヤツを俺は見た事が無い。ファッツは今奥にいる。

 俺は最近ノブナガに頼んで量子論の講義をつけてもらっているのだけど、正直ちんぷんかんぷんだ。要点を簡潔に述べるだけのノブナガが悪いのか、俺の頭が悪いのか。

「その、並行世界ってのは分かる。SFによくあるパラレルワールドみたいなもんだろ? それが実在するとして、並行してる世界が再び結合されるってことは有り得るのかな? 」

 ゴーグルに視線が隠れていてもノブナガがきょとんとして俺を見ているのが判る。俺、なんか間抜けなこと言ったのかな。俺はきまり悪く、グラスに残っているコーラを一気に飲み干した。

「そんなことは考えたことが無いな、でも面白い。量子論的な多世界解釈は無限に世界が分岐していくんだが、それが集束していくっていうSFでも書いたらどうだ? 」

「はは、それにはよっぽど勉強しなくちゃ。でも生きてるネコと死んでるネコの世界が集束して、ゾンビネコが生まれるSFなんかどうかな」

「笑えるね」


 スキンがゴーグルを外して、カウンター席からステージ上で踊る美馬を寂しそうに見ていた。美馬は今、K・サクライが手掛けたアイドルミュージックの名曲を完コピで踊っている。並行世界が実際にあるとしたら、俺たちがこうやって一緒に年越しを迎えられている世界は、どれだけあるのだろう。

 無事だった美馬の元気に踊っている姿を見て、俺は感傷的になっていた……本当に助かって良かった……俺たちのこの大切な一瞬だけは別の世界でも変わらないような気がした。

 曲は最終節に入りやがて新年を迎える。美馬とルーシーは声を合わせて、カウントダウンをする。

「5・4・3・2・1・0!明けまして、おめでと~! 」



            ◇



 ファッツが奥から出てきて、俺に「ちょっと来い」と言う。表情が硬い。ファッツと一緒に食糧倉庫に入った。

「今、俺のネタ元の警察官の一人からタレコミがあった。お前、厄介なことになってるぞ」

「厄介ってどういうことだよ」

「幼児略取誘拐容疑で逮捕状が請求されてる。お前のアパートは既に警官が張っていて、こちらにも今やってきてる。当然心当たりは無いよな」

「……何を言ってるのか、よく解らない……」

「逮捕状が下りた時点でお前は拘束される。既に賞金稼ぎギルドに回す手配書のためのデータも作成されてて、逮捕を免れてもお前は賞金首になる。これがそのデータだ」

 ファッツは自分の端末を俺に見せる。

『寺田ヨシムネ、№10024467、幼児誘拐容疑、捕縛限定の二〇〇万クレジット、良民ポイント+230。被害者クウェール・ガヴローシェ、№10037020、生存前提の保護二三〇万クレジット、良民ポイント+250。本件に関する有用な情報提供に五万クレジット、良民ポイント+3』

 俺と俺に誘拐されたとする幼児の顔写真も添付されている。

「これは……あのミーナキャ……」

「そうだ、一緒にいた子供だ。それからミーナの手配書も更新される。お前の共犯容疑が追加されて、賞金が跳ね上がってる」

 ファッツが画面をスライドさせて、ミーナキャンベラ・プレザンスの新しい手配書データが表示される。俺たちと合わせて、その賞金と良民ポイントは超破格だ。

「そんな……どうして……」

「此処から早く逃げろ。身を隠すんだ。隠れ家と偽造IDカードは俺とノブナガで何とかしてやる」

「いや、警察に出頭して無実を訴える」

「止めておけ、この件も司法監察局が統括してる。プレザンス兄妹の件では警察組織は信用できない。信用できるのは俺のネタ元だけだ。そいつが逃げろと言ってるんだぞ」

 わけが解らない。何で俺が。

「とにかく逃げろ、隠れ家とIDカードが手配できたら、落ち合う場所をアサヒのニュースペーパーに暗号で広告に出してやる。キーワードは、そうだな……SPAWNだ。ミーナと子供は俺たちが何とか捕まえて、お前が無実だってことを証明してやる。じゃあ行け」

 俺はファッツに礼を言って、『ファットマンズ・ダイナー』を後にした。出て行くときステージ上でまだ歌っていた美馬と目が合った。美馬は俺に手を振る。美馬に手を振り返して外に出ると雪がちらついていた。

「ハッピーニューイヤー! 」

 誰かが何処かでそう叫んだ。

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