第六章 SPAWN
第6章
[SPAWN]
自分自身の、意味をなさない叫び声とともに、俺は目覚めた……叫び声というより咆哮という表現が正しいか、俺は獣なんだから……酷く恐ろしい夢を見ていた。その夢の中でも俺は逃げ続けていた。
俺は群れからはぐれた一匹の青魚、捕食者にとっては絶好のカモだ。俺のエラには新しい酸素を取り込む開閉機構が存在せず、常に泳ぎ続けていなければ窒息する。そして動きが止まったら捕食者にぱくりだ。だから俺は、どこかで俺を狙ってる捕食者の影に怯えながら、猛スピードで泳いでいた。
体力の限界だった。俺は一息つこうと、海底近くのトンネルに飛び込んで少し速度を落とした。安心したのも束の間、俺の背後からトンネルに飛び込んできた何者かの姿を視界にとらえ、震え上がる。怖ろしい! 俺は全力で逃げ出した。
乳白色の艶めかしい躰、ギロリと光る真っ白な眼球、飢えた大きな口。色素が欠乏したオオサンショウウオのような姿の追跡者は、猛スピードで俺を追ってくる。
トンネルに入ったのは失敗だった。前方にしか逃げ場がなく、フェイントをかけてやり過ごすことが出来ない。そしてヤツは間違いなく俺より速い!
絶望した瞬間、俺の視界は真っ暗になった。
ぱくり。
俺をひと飲みだ。ヤツの胃液に分解され始めた俺は、断末魔の咆哮をあげる……
「大丈夫? 」
ルーシーが心配そうに俺の顔をのぞき込んでいる。十八歳にしては幼い、そしてあどけない表情だ。かがみこんだ彼女の長く美しい金色の髪が、俺の濡れた鼻先をそっとくすぐる。その優しい感触に俺は安心感を取り戻した。此処は安全なファッツの店の食糧倉庫だ。大きく息を吐く。
「夢を見たんだ」
「怖い夢? 」
「ああ、でももう大丈夫」
「へへ、良かった、はい、朝ごはんよ」
彼女は微笑みながら俺の前に大きな肉の塊が載ったトレーをトンと置いた。
「はい、これは牛乳」
「ありがとう」
俺はまずミルクを一口すすり、続いて肉の塊にかぶりついた。肉汁が口の中に広がる。美味い。俺は思わず唸り声を上げた。
「羊肉だよ。あぶり加減も丁度良いでしょ? お兄ちゃんがバーナーであぶったのよ。お兄ちゃんは今は会議中。みんなで集まって仕事の相談してる」
「賞金稼ぎのほうか」
「そう、私は仲間はずれ。役に立たないし危険だから関わるなって。失礼しちゃうわよね。私だって……」
ファッツは妹を猫可愛がりしている。箱入りの大事な大事な妹だ。
「君のことが好きなんだ。唯一の家族だから」
「ふむ、チームのみんなも家族みたいなもんだよ。みんな『はねゆり』で育ったしね。あっこれってまだ言ってなかったっけ。教会の児童養護施設。私、両親に捨てられたんだ。私がこんなだったからママもパパも私を嫌いになって、『はねゆり』の玄関に私を置いて遠くへ行っちゃった。お兄ちゃんは私を追いかけてきて一緒に『はねゆり』で暮らすことになったの」
まもなく気付いたことだが、ルーシーは軽い発達障害を抱えている。幼いころの症状はもっと顕著だったようだ。そんな妹だからこそファッツも余計に気を使っているのだろう。
「『はねゆり』の子はみんな助け合って生きてきたんだよ。大事な仲間なの」
「聖約教会は慈善活動もしてるのか」
何だろうか。聖約教会に俺は良いイメージを持っていないようだ。何かを思い出せそうで思い出せない。
「お兄ちゃんが屋台を始めるときも、お金貸してくれたみたい。このお店、屋台から始まったんだよ」
ルーシーは白いブラウスの豊かな胸元から聖約十字のネックレスをつまみあげて弄りだした。
「それは凄いな。頑張ったんだな」
何気ない俺の言葉はルーシーの心に触れたようだ。青い瞳を潤ませて俺を見ている。きっと大変な苦労をしてきたんだろう。親に捨てられたという事実だけでも……
「おはよーにゃん! 」
倉庫の扉が開いて美馬が飛び込んできた。少しおどけてにゃんこポーズをする。ルーシーに負けないくらいあどけない笑顔。そして俺を見て少し頬を赤らめる。
「お、おはよう……美馬」
俺は美馬が少し苦手だ。魅力的な女性ではあるが、俺のことを慕ってくれていることが誰の目にも明らかで、照れくさいしどうも腰が引けてしまう。それに俺は人間じゃない。美馬の気持ちはありがたいが、俺は彼女に釣り合わない。
「今からスイスに行ってくる」
美馬は屈んで俺の躰を優しく撫でる。思いやりのあるスキンシップ。俺は美馬を求めているのだろうか。
「えー、私も行きたいな」
「今回の首は婦女暴行殺人鬼よ。ルーシーなんか一発で殺されちゃうんだから」
「えー恐い、美馬大丈夫なの」
「にゃーん。私もちょっと恐いよ。ていうか戦うときはいつもちょっと恐い。でもだからこそ戦えるんだと思う」
「死んじゃったりしたらやだよ。ちゃんと帰ってきてね」
「たぶん大丈夫よ。おみやげ買ってくるから楽しみにしてて」
俺は少し不安になる。美馬は、どこか見るものが心配になるような雰囲気を漂わせている。かすかだが死にとり憑かれたような影がある。
「無茶はしないようにな」
俺の中に新たな衝動が生まれつつある。美馬を自分のものにしたいという欲望……俺は彼女を失うのが恐いのか? 俺は彼女を愛し始めているのだろうか。
「ありがと、じゃあ行ってくる」
美馬がそっと俺にキスをする。俺はびくんと躰をこわばらせた。そして美馬が俺の鼻先をぺろりとなめた瞬間、俺は悟った。美馬は近いうちに必ず死ぬ。そして俺は……。
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