第五章 スキン

 第5章

[スキン]

 警察の黄色い規制線テープを切断して静かにドアを開け、見張りのヨシムネを玄関に残して俺は息を殺し、部屋に侵入した。ドアは古典的な鍵穴式だと聞いていたので、俺のピッキング技術が役に立った。鍵さえ手に入れられれば、わざわざ俺がこんなところまで来る必要は無かった。こんなのはチームリーダーの仕事じゃない。ヨシムネがもうちょっと有能だったらな。

 ヨシムネは短い髪を金髪にして背伸びしているが、ただの中学生だ。身長も伸びきっていないし顔立ちも幼い。ただ、ヨシムネがチームにいると相手はナメてかかってきて、そこにスキが生まれる。だから俺はヨシムネを前線に張らせる。ヤツにとっては危険だが、ヤツのプライドがそれを望んでいるし、その結果どうなろうが知ったこっちゃない。ヤツは俺にとっちゃ、便利な使い走り以上の何者でもないんだ。


 俺のゴーグルには暗視機能がついている。部屋は殺風景だ。俺がこんなコソ泥みたいなマネをしなきゃならないのは、元を辿れば美馬の野郎のせいだ。今回のターゲット決定権はあいつの順番だった。あいつはいつも厄介な案件を選ぶ。ハイリスクハイリターンだ。命がいくつあっても足りやしない。

 イェールサマエル・プレザンス。悪魔崇拝者だと聞いていたが、部屋は意外と普通だ。人殺しの現場にも見えない。警察が死体や証拠になりそうなものを押収したはずだが、部屋を捜索した形跡がなく綺麗に片付けられていて、かなり違和感がある。ファッツによるとこの件は最初から教会直属の司法監察局の管轄だったらしい。普通の警察官では証拠品はおろか死体にすらアクセスできないほどの特別扱いだ。きな臭い。俺は手を引くべきだと言ったのに美馬の野郎。

 マンションに元からある監視カメラ及び、部屋に警察が設置した監視カメラの映像は全部、ノブナガがハッキングして改ざんしているが、時間がかかればかかるほど気づかれる確率が上がる。部屋をゆっくり観察している暇はない。プレザンスが普段触っていたものなら何でも良いのだから、手っ取り早く済ませよう。多少かさばるが衣類が最も安全パイだ。俺はクローゼットを物色する。指紋は残さない。


 おかしなものを見つけた。使い込んだ聖約教会の司祭服と聖約十字のロザリオ。悪魔崇拝者と言ってなかったか? なぜこんなものがあるのだろう。一瞬躊躇したが、とにかくロザリオをパックした。このストールと肌着も持っていくか。

 俺が獲物を持って玄関に行くと、ヨシムネが鞄の口を開いて待っていた。

「異常なしか」

「ない」

 ヨシムネは落ち着かない様子だ。

「よし、行こう」

 俺たちは階段を使ってマンションの一階まで降り、ノブナガが開錠したオートロックを抜け、真夜中の街の闇に溶け込んだ。



            ◇



 新暦三二年・旧西暦二〇三一年一二月三〇日午前四時、チーム全員が集まった『ファットマンズ・ダイナー』のステージモニター画面には、砂嵐のノイズしか映っていなかった。ステージ前に置かれたソファに座っているノブナガが、額に脂汗を浮き立たせながら硬直した全身を小刻みに震わせている。モニターはノブナガが装着している直線的なデザインの拡張現実ゴーグルと同期している。

「ダメだ、北アメリカ、カナダには居ない。少し休ませてくれ」

 ノブナガがゴーグルを外し躰を弛緩させた。肩で息をしながら汗をぬぐい、持っていたロザリオをソファに投げ出す。

「よし、シャワーでも浴びてこい。朝めしを食ったら、次はヨーロッパだ」

 これでも気を使っているつもりだ。ノブナガがいて初めて俺たち賞金稼ぎチームは機能する。チェスの駒で言えばヤツがキングだ。ヤツが詰まれると俺たちはジ・エンド。だからヤツは最も安全なところに配置する。

「プレザンスはヨーロッパにいると思うわ」

 美馬だ。ビリヤード台の縁に腰掛けて両足をぷらぷらさせている。ノブナガが苦労してるのはそもそもコイツのせいだ。

「何故わかる」

「にゃんと無くそんな気がするだけよ」

 ふん。女の勘は当てにならない。それに美馬は勘がハズレても責任を取らない。美馬は美人で女としては魅力的だし、戦闘能力も高く俺は一目置いている。しかし厄介ごとを呼び込むのはいつもコイツだ。今回のプレザンスも間違いなくハイリスク。捕縛限定の賞金一八〇万クレジットに良民ポイント+200は確かにハイリターンだが、報酬と難度は比例するもんだ。


 イェールサマエル・プレザンスは悪魔崇拝者で殺人事件の容疑者だ。八王子の自宅マンションで身元不明の女の死体が発見されプレザンス自身は行方不明。昨日の朝、賞金首にリストされ、情報がギルドのサイトにアップされた。それを目ざとく発見したのが、今回ターゲットを選ぶ権利の順番が回ってきていた美馬だ。

 プレザンスを捜すのに俺たちが必要な証拠品はいつもどおり、ファッツが手に入れてくれるはずだった。少々ながら財力が潤沢で方々に顔が効くファッツは、懇意にしている警察関係者から賞金首の情報や証拠物の一部を横流ししてもらえる。しかし今回はファッツルートから証拠物が手に入らず、俺とヨシムネが八王子まで出張するハメになった。

 証拠物、賞金首が触れたことのある品物さえあれば、俺たちは首の潜伏場所を割り出せる。ノブナガの念写能力が俺たちの切り札だ。ノブナガがエスパーだってことはチーム内(それとファッツの妹ルーシー)だけの絶対の秘密だ。


 ノブナガがターゲットの証拠物と精神をリンクして、拡張現実ゴーグルで念写したリアルタイム映像には、オンラインカメラのように位置情報が添付されてくる。ダイレクトにターゲットが今いる場所が割り出せるのだ。ノブナガはある程度潜伏地域の目星をつけて捜索する。証拠物は対象の人物が触れた機会が多ければ多いほど良い。発見の感触はノブナガ曰く「俺が発したSOS信号を、意中の人物が無意識に受信し返信してくる感じ」らしい。


 ノブナガの念写に先立って、俺たちはファッツが今回唯一手に入れることができた情報を吟味した。その情報は謎に満ちており、そしてほとんど役に立たなかった。警察司法監察局指揮下の捜査本部にあるプレザンスの逃亡後の足取り、即ちIDカードによる公共交通機関の使用歴と海外渡航歴だ。これはネットハッキングでも手に入れられる情報だ。

 おかしなことにプレザンスは、一二月二八日昼頃、転移ゲートステーション内の日本からの出国ゲートをくぐったことが、IDチェックの記録として残っているが、その後世界中のどの国の入国ゲートもくぐっていない。普通ならこれは、ヤツが今も世界のどこかの転移ゲートステーション内にいることを意味する。まだ日本のステーション内にいるのか、世界中の転移ゲートをぐるぐる回っているのか。当日の各国転移ゲートステーションの監視カメラの映像は、警察が分析のため押収していて現在オンラインに無かった。とにかく今回はノブナガの能力に大いに依存することになる。


「じゃあ始めようか」

 ファッツとルーシーが作った軽い朝食を皆で食った後、ノブナガは再びステージ前のソファに腰掛けた。ゴーグルを装着し、プレザンスのロザリオを両手で握る。躰が硬直し、小刻みな震えが来て、すぐに汗だくになる。苦しそうなノブナガの姿はいつ見ても気分のいい光景ではない。

 不思議なことだが世界中の転移ゲートステーション内にプレザンスはいなかった。その後は各地域をしらみ潰しだ。アジア中東、北アメリカとカナダはハズレだった。今からはヨーロッパだ。


 一〇数分が過ぎた。砂嵐だったモニターが突然暗闇を映し出しノブナガが声を上げる。

「ビンゴ。スイスだ。ジュネーヴのホテル内」

 美馬の勘は当たっていたようだ。暗がりの中ベッドに横たわる中年男の姿がぼんやりと映し出される。スイスは日本とマイナス八時間の時差があったはずだ。

「確かにプレザンスだ、確認した」

 俺の声を合図にノブナガは画面を一時停止して、苦痛から解放された。皆でモニターの位置情報を確認する。

「プロジェ通り三〇番地『シアン・ド・ギャルド』ホテル」

 俺はノブナガが作成したコンピューターウイルスを使って、ホテルのカメラと宿泊客データをハッキングし、プレザンスの部屋を割り出した。

「夕方三〇三号室にチェックインしてる姿がカメラに映っている。IDがロバート・ワイスモアになってる。多分偽造パスを使ったな」

「にゃん。ロバート・ワイスモアのIDで交通機関の使用歴、転移ゲートの入国履歴、多分パリだと思うけど検索してみて」

 言われなくても分かってるんだよ。

「無いな。転移ゲートステーションの入国履歴もジュネーヴまでの交通機関も使った形跡がない。過去の記録も全くないから完全にIDカードを偽造しているな。調べれば直ぐバレるお粗末なものだ……待て、列車の予約を入れてる。本日現地時刻で午前三時二〇分発のツェルマット行きと、ツェルマットから午前七時四〇分発の氷河急行サンモリッツ行きだ」

「観光でもしてるの」

「さあな」

「ホテルを出る前に捕まえられるかしら」

「わからんギリギリだな。今から行ってタイトに乗り継げば、氷河急行では確実に追いつけそうだ」

「準備しましょう。あのIDでうろうろしてたら直ぐ捕まっちゃうわよ」

 美馬はぴょんとビリヤード台から飛び降りた。

「あるいはヤツの目的地が近いのかもな」

「にゃ、冴えてるわねスキン。だったらなおさら急がなくっちゃ」

 ふん。上から目線かよ。俺はリーダーでお前より四つも年上なんだぞ。

「おいヨシムネ、起きろ。今からスイスに行くぞ」

「え? ……ああ、うん」

 まったくどいつもこいつも。これで今まで結構上手く機能してるんだから奇跡みたいなもんだよな。



            ◇



 東京湾へ船や航空機を使わずに入るルートは、列車、ハイウェイ合わせて、周囲をぐるりと蛸足のように全部で八本あるが、俺たちはそのうちの旧羽田空港跡遊園地経由の海上モノレールを使った。日本の公共交通機関の売りは、正確性、安全性、そしてスピードだ。

 不夜城東京も今は日の出前の時間帯、東の空がうっすらと明るくなり始めている。夜の間ずっと灯っていた都心部の明かりも、陽の光に主役の座を明け渡そうとしている。

 モノレールは東京湾の真ん中に向けて疾走している。美馬は窓を開けて身を乗り出し、黒髪を風になびかせながら、前方に姿を現しつつある巨大建造物を見ている。

「美馬、寒いんだから窓を閉めてくれ」

 美馬は「ふん」と鼻を鳴らして俺を無視する。

 モノレールの終点は『メガフロート東京ベイ』。東京湾の海上エアポートと転移ゲートステーション。巨大な浮体ブロックを繋ぎ合わせた海上浮遊構造物だ。


 美馬が空を仰ぎ見た。海上エアポートに着陸する航空機が上空を旋回している。

「何かトラブルかな」

「ただの順番待ちだろ」

 エアポートは二四時間体制で、この時期は特に混雑している。

「もしかしたら間に合わないかもな」

 年末は転移ゲートステーションも混雑するってことを忘れていた。帰省組脱出組ともに海外で年明けを迎えようとする客で溢れかえっているはずだ。

 モノレールがスピードを落とす。緩やかに湾曲したレールの先、目の前には畏怖を憶えさせるゴーレムの上半身のようなデカくて黒いカテドラルがその全貌を現しつつあり、ゆっくりと海上にせり上がってくるように見える。皆のお目当ての転移ゲートはあの中だ。


 三二年前、神の遺骸である『聖遺骸』と古代神官の遺骸、謎の石版とともに、25対50基の転移ゲートが南極から発掘されたことで、世界各国の物理的な距離は劇的に縮まり、国家間の均質化が進んで四年後には統一世界政府が誕生した。

 世界政府は拘束力の増した国際法を新たに定め、その範疇内で各国の営みは制限されている。世界政府を実際に支配運営しているのは聖約教会で、その本部はヴァチカンにある。

 神の意志が示され、天国への道が開けたことにより聖約教会の権力は世界中で増大し、絶対的影響力のもと宗教世界が構築され、元々存在したあらゆる国家は縮小していった。現在日本では司法府、立法府、行政府、治安府が聖約教会に統制されている。

 国家間の関税は撤廃され基本的には自由貿易になったが、物の流れは転移ゲートの使用を規制すること、人の流れは出入国制限という形で、世界政府の行政府によってコントロールされている。


『聖遺骸』発見当時の、神と天国の実在のインパクトは絶大だった。カソリック、プロテスタント他、キリスト教各派の区別はあっという間に消滅し、元々ユダヤ教として源流を同じくするイスラム教圏は歩み寄って、三年も経たずにキリスト教と融合した。

 唯一無二のヤハウェ一神教となった聖約教会は、仏教、ジャイナ教、ヴェーダ宗教、儒教、道教、ラトビア神道、ゾロアスター他、世界中のあらゆる宗教を駆逐して世界宗教となった。

 新暦零年・旧西暦一九九九年から数年の、人々の熱狂ぶりはある意味異常だった。しかし時が経ち、神や天国が当たり前の日常になると人々の熱は冷めていった。仏教復興勢力、イスラミック新教、無神論至上主義、アンチ、悪魔崇拝などの対抗勢力。聖約教会の支配は相変わらず絶大だが、世界は再び一枚岩では無くなった。まあ俺にとっちゃそんなことはどうでもいい。ヘヴンに行って思いのまま暮らしていければそれでいいんだ。


「にゃー、暑いよぅ」

 カテドラル内、転移ゲートステーションは予想通り大混雑していた。特に混んでる出国ゲート前は、幾重にも区画整理された順番待ちの列が、ステーションの入り口付近まで伸びている。カテドラル内は世界中で空調が統一されているのだが、人の発する熱で少々蒸し暑い。

「この様子だとパリに入れるのは零時頃だな。氷河鉄道にはギリギリ間に合うかどうかだ」

 日本の聖約教会関係の施設は全てゴシック様式で統一されている。最も目を引くのは無駄に高い大天蓋で、テレンス・ギーガーの『受胎告知』が描かれ、翼を広げた天使ガブリエルが俺たちを威圧するように見下ろしている。

 カテドラル内の荘厳な装飾と対照的に、同一ライン上に二つ設置された漆黒の転移ゲートはシンプルだ。正体不明の金属物質からなる、底幅15m、高さ8mの黒い枠。

 人の流れが停滞するのはセキュリティチェックゲートだけだ。四〇分待たされたが、俺、ノブナガ、美馬、ヨシムネの四人は、係員に荷物を開示しチェックゲートをくぐり、全員セキュリティをパスした。俺たちが携帯しているナイフ、ティザーガン、捕縛銃は世界中で一般に使用が許可されており、使用目的を明示すれば何の問題もない。

 出国ゲートをくぐって、西廻りの転移ゲートラインに入る。旅費の精算は目的国の入国ゲートをくぐったときに自動的に行われる(世界中一律に5000クレジット)。

 前方に西行きの転移ゲートが大きく口を開け、その枠内に北京の転移ゲートステーションの内部が見えている。ゲートをくぐればそこはもう北京だ。北京内の正面に見える転移ゲートの枠内にはイルクーツクステーションの内部が既に見え、その先はシンガポール、デリー、エルサレム、モスクワ、ソマリアと入れ子状態に続く。日本から西に一一個転移ゲートをくぐれば目的地のパリだ。転移ゲートを使えば、西廻りもしくは東廻りに世界を一周できる。

「年明けはスイスで迎えることになるかもな」

 ヨシムネが呟く。

「さっさと仕事を終わらせたら今日中に帰ってこれるさ」

 俺は言ったがプレザンスが一筋縄ではいかないことは容易に想像がつく。

「事後ゆっくり観光してくるっていう選択肢もあるわよ」

 ふん、とにかく厄介な仕事はさっさと終わらせちまおうぜ。

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