第三章 寺田ヨシムネ

 第3章

[寺田ヨシムネ]

 疾駆するバイクの両輪から車体に連動して、地面からの震動が躰に伝わってくる。改造ミニバイクのスピードメーターは120キロを表示している。一般公道でこのスピードを出すのはかなり危険だ。

 スキンは軽い仕事だと言ったが、俺には今回は情報が少なすぎるように思えた。美馬は常に自信に満ちていて、失敗することなんか考えていない。俺はビビッてなんかいない。そもそもこの仕事は慎重に過ぎることはないんじゃないか。命のやり取りに発展するのが日常茶飯事なんだから。


 耳に差し込んだワイヤレスイヤホンからスキンのかすれ声が響く。

「追跡蜂が三匹ヤツをロックしたぞ。旧けやき坂通りから芋洗坂方面だ。ヨシムネ、お前が一番近い、南側からプレッシャーをかけて美馬と挟み撃ちにしろ」

「状況確認、了解よ」

 俺より先に美馬が返事する。俺は慌てて端末から追跡蜂が送ってくるターゲットの位置情報を確認した。

「了解」

 さあ、やるぞ。ヤツは追い詰められている。ヤツを恐怖のどん底に叩き落としてやるんだ。

 オフィスビル、バイオカフェ、高級ラーメン屋、花屋、端末ショップ。けやき通りを行きかう人々、すれ違う電気自動車のハザード。それらは視界の隅を猛スピードで流れていき、渾然一体の背景となる。今俺に見える六本木の昼の風景はまるで、ちびくろサンボのバターになる虎のようだ。

 バターの海の中、携帯端末をかざして俺を撮影している男がちらと目に入った。俺の左腕の赤い腕章に気付かないのか。正義の行使のつもりだろうが残念な男だ。制限速度を無視する許可はギルドに登録した際に既に得ている。


 裏道に入って前方にヤツの姿を捉えた。突き当りは階段になっててヤツはその上だ。くそっ、俺はバイクで階段を数メートル昇ったが、捌ききれなかった。バイクを捨ててここから走って追うしかない。ヤツは俺の腕章に気付いた。俺はなんてドジなんだ。ヤツの逃げ足はとてつもなく速い。

「スキン、今ヤツの姿を確認した。バイクを捨てて走って追ってる。美馬はどの辺にいる? 」

「それくらい端末で確認しろよ。そっちに向かってるだろ。なんでバイクを捨てたんだ? しっかりしろ、ヨシムネ」

 しっかりしろ、ヨシムネ。俺は自分の心の中でその言葉を繰り返し、ティザーガンとナイフを収めている腰のホルダーを確認した。俺一人だってやれる。いつまでも子ども扱いされたくない。スキンたちが来る前に決着をつけてやる。


 角を曲がった瞬間俺は吹っ飛ばされた。なぜ自分が吹っ飛んだのか一瞬理解できなかった。死角でヤツが待ち構えていたらしい。体当たりを喰らわせられたのだ。ヤツはナイフを構えて近づいてきたが、俺がナイフを抜くと立ち止まり間合いを計った。肩で息をしているのは俺だけだ。ヤツから目を離さずにゆっくり立ち上がる。ダメージは無い。黒いコートに黒いジーンズ、あのブーツでは走りにくいだろうに、なぜあんなに逃げ足が速いのか。サイボーグかもしれない。今回は情報が少なかったんだ。

「小僧、怪我したくなかったら、追ってくるな」

 ヤツがなぜまずナイフで切り付けなかったのか解った。俺を殺したくないのだ。

「俺は小僧じゃない」

 ヤツを睨む。俺が視線で大人を威圧できるはずもないことは解っている。ヤツから見れば俺は子どもなんだ。でも認めたくない。ヤツの知性的な顔に野生的な笑みが浮かび、俺はぎょっとする。ヤツは身を翻し再び脱兎の如く逃げ出した。慌てて追う。


「スキン、次の交差点、北と東は私が押さえてるから、追跡蜂に攻撃させてヤツを西の袋小路に誘導して。ヨシムネはそのまま追い詰めるのよ。追い込んだら私たちが到着するまで時間を稼いで」

「ヨシムネ、聴こえたか? ノブナガに言って蜂どもに攻撃させる。袋小路で待ってろ、俺もすぐ行く」

 戦闘時、美馬の判断はいつも正しい。そして瞬発力がある。刻一刻と移り変わる状況を冷静に見極め瞬時に判断を下す。美馬の作戦はいつも上手くいくんだ。

「ヨシムネ? 」

「了解。西に追い詰めるんだろ」

 交差点にヤツの後ろ姿が見える。蜂の攻撃を受けたのだろう、慌てて空中を掃ったヤツは西に向かった。端末で確認する限りその先は確かに袋小路だ。


 ヤツを追い詰めた。逃げるのを諦めたらしく、落ち着いた視線をこちらに向け静かに立っている。追跡蜂が二匹ヤツの頭上三メートルでブンブンと羽音を立てて旋回している。もう一匹はやられたのか? 俺はティザーガンを構えてジリジリと間合いを詰める。

「ヨシムネ、無理に攻撃するな。俺は三十秒で着く」

 スキンは追跡蜂が送る映像で俺たちを見ている。一人で片付けられたとしても、後で何を言われるか分からない。

「私も直ぐ行くわ。ヤツのスペック情報が少ないから迂闊に手を出さない方が賢明よ。ヨシムネ、我慢して。時間を稼ぐだけで良いのよ」

 俺がどうするか決める前にヤツがアクションを見せた。

 ヤツはナイフを捨てて両手を挙げた。降参ってことか? 俺は慎重に近づく。

「よし、両手を挙げたままゆっくり後ろを向いて跪け」

 俺は尻ポケットの簡易手錠を弄った。

「ヨシムネ、離れて! 」

 イヤホンから美馬の声が響く。俺が驚いて飛び退ると同時に物凄い勢いで熱風が鼻先を掠めた。ヤバい。そのままヤツと八メートルほどの距離を取る。

 炎だ。ヤツの両手から轟々と火柱が上がっている。

「追ってくるなと言っただろう小僧? どうしてもと言うならこちらも容赦せんぞ」

 野性的な笑みを浮かべ男が近づいてくる。広げられた両腕がメラメラと燃えている。パイロキネシス……なんてこった……ヤツはエスパーだ……


 男は燃え盛る両腕を誇示しながらゆっくり、間合いを詰めてくる。俺はティザーガンを構えたままジリジリ後退する。スキンたちは待てと言ったが、今こちらがやらないと俺がやられる。俺のティザーガンは単発式だから一回外したらアウトだ。緊張で手が震えた。だがやるしかない。引き金に指をかける。

 ブンと音が鳴ってヤツがのけぞった。追跡蜂が男を刺したらしい。ノブナガが援護してくれたのだ。生体工学、ロボット工学ハイブリッドのこのスズメバチの針に毒はないが、代わりに軽い電気ショックを与える。

 ヤツが大げさにのけぞったので俺は狙いを定め直した。蜂が連続して攻撃を仕掛ける。引き金を引いた。ティザーガンから発射された針がワイヤーを引き連れてヤツの鳩尾に命中した。ギンと金属音がして針が跳ね返り、バリバリと電流を散らしながら地面に落ちた。しくじった! 

「ヨシムネ! 」

 思わず視線を後方に向ける。まぶかに被ったパーカーのフードと曲線美が追求されたデザインのゴーグル。スキンが到着した。乗ってきたモーターキックボードを蹴り飛ばし、捕縛銃を構え突進してくる。俺は体勢を整えナイフを構える。スキンが俺に並んだ。二匹の蜂を焼き殺したヤツは後ずさり、袋小路のどん詰まりの壁を背にして立った。


「発火能力か、厄介だな」

 スキンのかすれた生の声とイヤホンの声が二重に響く。

「サイボーグの可能性もある。足が速いし、俺のティザーガンを跳ね返した」

「この捕縛銃は耐火性ワイヤーだから何とかなるだろ、行くぞ」

 スキンと俺は慎重にヤツとの間合いを詰める。

 ヤツと俺たちはジリジリと互いに近づいて行った。ヤツの射程距離はどれくらいだろう? 捕縛銃も単発式なのでスキンは慎重にならざるを得ない。美馬が到着しても彼女の武器は近接戦闘用だ。パイロキネシスには苦戦が予想される。チャンスはまたしても一回。俺の首筋を冷汗が流れる……しかし、次に俺たちは信じられない光景を見た。今まで一度も見たことがない、とてつもなく恐ろしい光景を。


 何が起こったか理解できなかった。まずヤツの掲げていた燃え盛る両腕が宙を舞った。その瞬間バキバキという派手な音とともに、ヤツの躰が船のスクリューに巻き込まれたかの如く、ひん曲がって砕け空中に四散した。骨の破片や内臓、金属片、ワイヤー、体液、潤滑油、ヤツの躰を構成するあらゆるものが辺りにぶちまけられた。

 スキンも俺もただ絶句していた。

 美馬がやってきて現場の凄まじい状況と呆けた俺たちを見て言った。

「あんたたち……いったい何をしたの? 」

 美馬は聖マリア渋谷女子高の制服姿だった。


 俺たちは何もしていない……理解不能だった。



            ◇



 ファッツが経営する『ファットマンズ・ダイナー』は、中目黒の目黒銀座新道と蛇崩川緑道が交差する一帯の繁華街にあり、食堂というよりコンセプトカフェと言った方が正しい。

 店内はそれほど広くないがシックな内装で、八人掛けのカウンターとテーブル席が五つ。中央にビリヤード台が一つ、奥には大型モニター付きのステージがあり、小規模なイベントが時々開かれる。看板メニューのオムライスバーガーを求めて遠方から足を運ぶ客も少なくない。売り上げは今のところ右肩上がりのはずだ。


 現在零時三〇分、営業を終えた店内のモニター前に皆が顔を揃えていた。ファッツ、スキン、ノブナガ、美馬、そして俺。此処にいる全員が『はねゆり児童養護施設』の出身者だ。ファッツの妹ルーシーは今自分の部屋でふて腐れているが、彼女はチームの一員ではないし、こんなグロい映像はできることなら見ないほうが良い。

「にゃん。凄惨な光景ね。私が着いた時はこの状態よ」

 ビリヤード台の縁に腰掛けて両足をぷらぷらさせながら美馬が言う。美馬の声はキーが高めでよく通る。黒髪ロングストレートの清楚な顔立ち、ぷっくりした下唇、黒目勝ちの瞳。見るものをハッとさせるような何かを生まれつき持っている、普段は落ち着きのないトラブルメーカー。相変わらず『戦闘服』と自ら称する女子高の制服を着ている。

「もう一度最初から、今度はスローで再生してくれ。俺が現場に到着したところからだ」

 今俺たちはスキンの拡張現実ゴーグルに記録された、昼間の映像を検証している。スキンも相変わらずフードを被りゴーグルも着けたままで、操作はノブナガのノートパソコンから、映像をワイヤレスで店の大型モニターに転送している。そばかすが目立つスキンの表情は上手く読み取れない。フードの隙間から赤く染めた頭髪が少し覗いている。

「此処だ、よく見てくれ。ヤツの背後に何か映ってる」

 ノブナガが、一時停止したモニター上のポイントマーカーを、燃える腕をかざしている賞金首の左肩あたりに持ってくる。ノブナガはノブナガで、直線的なデザインのゴーグルをしている。

「なんだ……顔か? 」

 スキンが言うように人の顔に見える。白い頭髪、白い顔、そして限りなく白に近いグレーの瞳。画像はブレているが、賞金首の背後に確かにもう一人男が立っている。

「アルビノね」

 色素欠乏症か。


 再びスロー再生が始まり賞金首の躰が、刃物が混在する竜巻に巻き込まれたように、バラバラにされていく。

「遺体を引き取った警察の鑑識から流れてきた情報によると、動物の爪に引き裂かれたように見えるということだ」

 バリトンの声。ファッツだ。物凄く太っているのに彼は洗練されている。ツンツン立てた金髪に丸いクラシック伊達メガネ。ビッグサイズの白い開襟シャツは洗い立てのように眩しく、糊がしっかり利いている。厨房では力強くテキパキと動く。

「鋼鉄を引き裂ける動物が果たしてこの世にいるのかしらね」

「この白いヤツが何者か知らんがいきなり現れて、一瞬で獲物をバラバラにして消えたということでいいか? 賞金と良民ポイントはこれでおじゃんだ」

 今回の首は殺害なら賞金六〇万クレジット、良民ポイント+80、捕縛なら九〇万クレジットに良民ポイント+130(獲得した賞金と良民ポイントはチームで山分けだ)。潜伏場所は東京都内で、本来ならスキンが言ったように軽い仕事のはずだった。そして結果は今スキンが言った通りだ。

 賞金首を狩ったとギルドに認定されるには、首を捕まえるか、殺すかする現場を記録しておかなければならない。今回映像に残っているのは首がチーム以外の何者かに殺される瞬間だけ。俺たちは失敗したのだった。

「この白い野郎のことはノブナガに調べてもらう」

 スキンは続けて「くそったれ」と吐き捨てた。

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