第二章 神坂美馬

 第2章

[神坂美馬]

 ……にゃおっ。じゃあ始めましょうか。ナイフを右手に武装してて、私よりリーチが長い相手を捕縛したいケース。ナイフかぁ~、最もあり得るシチュエーションよね。リーチが長いってことは背丈も私より高いんでしょうね。

 取り敢えずナイフを何とかしたいね。ナイフ狙って左足からの攻撃をかけよう。まず『燕青旋風脚』を彼奴の右手首の外側からぶち込む。甲のほうから攻めなきゃね。彼奴のナイフを狙い通り跳ね上げることに成功したら、それを掴んでそのまま彼奴の頸動脈に突き付けチェックメイト。

 彼奴が反応して『燕青旋風脚』を腕で受けたら、そのまま回転して右足からの後ろ回し蹴り。『燕青拳』からのカポエラティックな一連の動きね、これも手首を狙うわよ。

 ナイフが地面に落ちた場合、この状況に到っては私の方が素手格闘に長けていることは既に自明で、彼奴がナイフに拘る確率が高いから……



「……なわけでローマ法王に現し示された啓示に基づいて、南極の永久凍土から発見、発掘されたアルカイック・テクノロジー、つまり転移ゲートと石版、そして神と古代神官の遺骸は、その立場もさることながら、採掘に出資し指揮したカソリック教会に、調査権と所有権が認められました。これが……『聖遺骸』……神の写真です。人の型を基本に、屈曲した角、四枚の翼、そして鉤型の尻尾も。天使のようにも、悪魔のようにも見えますが、これが『ヤハウェ』の真の姿であり……」



 ……ナイフ争奪戦になることを想定した彼奴が、慌ててナイフを拾おうとするところを、踏み込みが速い『八極拳』の『鉄山靠てつざんこう』で全体重をかけて吹っ飛ばす。

 私の『鉄山靠』をくらうことは、高速走行する車に激突するようなものだから、彼奴は動けない程ダメージを受けてる。ゆっくりナイフを拾って頸動脈に突き付けて制圧成功。とにかくナイフを奪えるっていうことは、身体能力において私の方が勝ってる証拠だから、どんな状況になったとしても、結局奪った時点で詰みね。

 じゃあ相手が腕に飛び出しナイフを移植していて、ナイフが奪えない状況。せっかくだから両腕に移植してることにしましょうか。にゃん。やっぱりナイフが厄介だからこれを無力化するには、両腕を折っちゃうのが理想的ね。打撃で折るか関節技かだけど……



「……研究の結果ヴァチカンは、キリスト誕生以前の古代に既に黙示録が訪れていたことを発表しました。現在の我々は審判から取りこぼされ、忘れられた存在の末裔なのです。

 アルカイック・テクノロジーによる神の遺骸との交信の中で、神は我々を取りこぼしたことを謝罪し、我々は神と新たな聖約を交わしました。

 カソリック教会は『聖約教会』と名を改め、復活が待たれる唯一神『ヤハウェ』の名の下、我々をヘヴンに迎え入れる橋渡しを買って出たのです。ヘヴンとは最初の黙示録で神が用意した死後の理想郷の概念であり、我々が『聖遺骸』を発見した際に、神の御心によって大陸として再び顕現した所謂……」



 ……取り敢えず片っぽずつ折っていきましょうか。最初は打撃で彼奴の利き腕を狙……



 薄青く輝く液晶ディスプレイの中央、元からして可愛くておっぱいも大きい私をモデルに、おっぱい四割増しで可愛く作成された3Dキャラクターが、仮想敵の変態ナイフ男に対して鋭い蹴りを入れる。

 一日の授業が始まる前の、朝の神父の説教はありがたいけれど、もうお馴染みの内容だし、徹夜明けでハイになってる私は、自分のノートパソコンを開いて戦闘シミュレーションに勤しむことを選んだのだった。にゃん。

 このノートパソコンに入ってる格闘シミュレーションソフトのオリジナルは私が七歳のとき、パパが作ってくれた。パパが死んじゃったあとは、ノブナガがバージョンアップしてくれてて、今使ってるのはver・6。3Dキャラも私と共に成長してきた。私はこれで戦闘のイメージトレーニングをするのが趣味なのだ。そしてこの趣味は狩りの役に立つ。

 私のアバターであるこの可憐さ四割増しの3Dキャラには、私が会得している格闘術全ての技のモーションがプログラムされてて、キーボードで技の名前を入力すれば、基本姿勢の数パターンからの前後の動きを計算しながら、その技を繰り出すようになってる。

 敵のアバターのアクションはAIが管理してて、会得してる格闘術、熟練度を設定すれば私の動きに対する様々な反応をする。攻撃重視、防御重視、逃亡企図など行動の傾向も設定できる。今私の目の前にいる変態男は両腕に飛び出しナイフを移植している攻撃重視型マーシャルアーツの達人だ。


 神父の説教が終わったのかな。美保子がステンドグラス式の窓際の、一番後ろの私の席にやってくる。一時限目の前の短い休み時間を有意義に過ごそうというのだ。彼女は私になついている、嬉しいことよね。

「ねえ美馬、あっおはよー。ねえ美馬知ってる? 陸上部の華絵先輩が妊娠しちゃったんだって。相手は早稲田のヤリサーのクズだっていう話よ、女子高生を喰い物にしてる。でね、母体洗礼を受けるかどうかで親ともめてるんだよ。先輩の親アンチだから……普通は産むかどうかでもめるよね。母体洗礼なんてただの儀式なんだし、タダなんだからどっちでも良いじゃん。アンチの人もそれなりに考えがあることは尊重するけど、子供の信仰の自由も親は尊重するべきだよ」

「ふ~ん。。。あぁ~眠いよ美保にゃん」

 今になって眠くなってきた。さっき言ったように私は昨夜、一睡もしていないのだ。

「えっ美馬眠いの? 会話が成り立ってないよ、聴いてよ。あっ、そうそう、昨日の夜代々木公園にオオカミが出たらしいよ。襲われたの、何人か。重体の人もいるんだって。オオカミだよオーカミ。それがね、もの凄く珍しい種類のオオカミなんだって。大昔に絶滅した」

「ふむふむ。ふわぁ~あ」

 私は欠伸を片手で隠しながらノートパソコンの電源を切った。


 そのオオカミのことなら私はよく知っている。何しろ徹夜の理由は他でもない、そのオオカミに関するものだから。彼は言うなれば……そう、キュート。

 深夜の代々木東公園で、ルーシーを助けた彼は、彼女に連れられて私の部屋にやってきた。ルーシーは着るものを貸して欲しくて私の部屋にまずやってきたのだ。

 オオカミは追われてて隠れ家を捜してた。ルーシーは自分の家、つまり『ファットマンズ・ダイナー』に彼を連れていき、彼に一目惚れしてしまった私もそのまま付いていった。

 彼がキュートなのは獰猛で美しい外見もだけれど、何しろ言葉を話せて、知性的なところ。あっ、知性的っていうのはあくまで人間並みにってこと。

 彼は酷く怯えてた。そして自分が何者か思い出せない。私の推測だと『アキバ・テックスラム』関係だと思うけど彼はとにかく、自分のことに関するすべての記憶がない。


 私たちはお友だちになった。彼とルーシーと私とファッツ。ファッツはお店の倉庫に彼を匿うことに同意した。というか、私とルーシーがそうさせた。ファッツはルーシーを助けてくれた彼に感謝してたし、もともと義理を大事にする人だから。

 ねえ、待って。そう、彼はルーシーを助けたの! ルーシーはその騎士を『SPAWN』と名付けた。アメコミかぶれのルーシーらしい名前ね。ルーシーのダークヒーローは、そのまま私のヒーローになった。彼は名前をもらった瞬間、何か、完成されたんだと思う。本当に何もかもが、キュート。私たちは一晩中話をしてたけれど、私は本当に彼に夢中になっちゃった。にゃ~ん。


 あ、いつの間にか授業始まってたわ。



           ◇



 ルーシーがレイプされる前から、この世界がクソだってことははっきりしてた。教会がいくら頑張って人々を救済し、街を浄化し、天国行きをちらつかせても、昨日の夜のサンタクロースたちのように、クズみたいな人間が、次から次へと湧いてくる。とんでもなくどうしようもない奴らが。

 私が孤独だってことも解り過ぎるくらい解ってる。誰にも理解されない。あれだけ人のことが解るねぇねでさえ私を持て余している。そして私は自分をコントロールできない。

 クズどもを見ると殺したくなる。それも出来るだけ残酷なやり方で。だから私は賞金稼ぎをしてる。奴らを追っている私はやはり孤独で、空虚な世界と一体化する。奴らの醜悪な『気』を追跡している私は残酷な法の執行者。


 東京の夜空は昔より星が増えてて昨晩私が空を見てると彼がやってきた。彼が孤独だってことは一目で解った。彼がクズどもを生んだ世界を憎んでいることも、彼が自分を持て余してることも。彼は私と同じ匂いがする。彼なら私を救ってくれるかもしれない。

 明日は浮遊大陸が東京上空を通過する。クリスマスに日本に来るのは初めてのことらしい。望遠鏡買ってこなきゃね。



            ◇



 私は人の髪を触るのが好き。ママのショートボブの黒髪は、四三歳とは思えないくらい指通りが良い。ママはチョコレートブロックを一つ一つ口に運んでいる。

「そういえばガブリエルがテラの命日に赤ちゃんを産んだのよ。三年後には私が面倒を見る事になるわ」

 ママの言葉は不思議とどこか音楽的な余韻が残る。昔もこんな話し方だったかしら。

「ガブリエルさんって受胎告知の天使よね。その天使が赤ちゃんを産んだの? ふふっ何だか面白いわね」

 私は髪を梳く作業を終えた。私たちはふわふわした雲の上に隣り合って座り、チョコレートを食べる。

「ガブリエルは仕事が忙しいからいずれうちの保育所が預かることになるわ」

「ねえ、天使って性別を超越してるんでしょ、どうやって子供を産んだの? 凄く気になる」

 ママの顔の輪郭は卵形で肌もまだまだ綺麗。メンテナンスの必要なんて今はないんだろうけど、手入れが行き届いている感はある。ママはねぇねと似て几帳面なんだ。

「天使に性別がないというのは俗説でガブリエルは女よ。天使の子供も人間と同じように産まれてくるの。でね、赤ちゃんにはまだ名前が付いてないの。ガブリエルはネットで名前を募集してるのよ」

「なにそれ面白い。テラさんが何者か知らないけど命日に産まれたんだったら、テラが良いって人多そうだね」

「ねえ、待って。テラはセムの九代目の子孫でアブラハムの父親よ。もう……美馬、ちゃんと聖書読んでるの? 」

 ママはぷっくりした下唇を突き出す。私の唇はママに似たんだ。

「……あっ、そうそう、アブラハムの父ね……アブラハムは最初アブラムだったんだっけ、ちゃんと読んでるよ! にゃんて言うか……そう、ど忘れしちゃってた」

「聖約教会は真約聖書を毎日読むことを推奨してるでしょ。暗記するくらい読まなきゃダメよ」

 ママは残念そうな表情をしていた。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「ちなみに赤ちゃんは女の子よ」

「そう」


 どこかで終了のベルが鳴ってる。耳触りの良い音が逆に寂しさを募らせる。

「ねえママ、早く一緒に暮らしたい。ママとねぇねと、できたらパパも。私きっと行くからね、ママのところへ。本当に本当に……だから待ってて、もうすぐだから」

 私は泣き出してしまった。赤ん坊のようにママに抱きつく。こんなことが許されるのはこの雲の上だけだ。ママの顔が滲んでよく見えない。でも、そう、私は本当に! 

「美馬、遙か未来を見なさい。この宇宙が海に溶けてしまっても私はいるから。あらゆる船が沈み、海に呑み込まれてしまっても私は此処にいる。そしてあなたたちも。そこでは私たちは永遠に一つで、全てなのよ」

 私の両手をすり抜けてママの躰は上昇して行った。そして私は軟らかい雲の中に沈み込んでゆく。嫌だ嫌だ。ママと一緒にいたい。私も連れて行って! 

「もうすぐよ、本当にもうすぐ! 」


「№19933930神坂美馬様。お母様から新着のメッセージがあります。『神はあなたとともにあります。日々の良い行いを心掛けなさい』」

 アナウンスとともに重厚なベッドの天蓋がゆっくりと開いた。私は上体を起こしベッドを降り、目をつぶって「ううん」と伸びをする。コートを取って清算ゲートをくぐり、順番を待っている次の予約の青年とすれ違った。礼拝堂では何かの儀式が行なわれている。



 命のパンを施されし敬虔な子羊たちよ


 来たる新たな神の子の為に道を整えよ


 父なるもの母なるものと同一である地上のものは


 天より来るものを決して追い返さない


 地上にあるものは天の写し絵に他ならず


 天より来るものはいずれ天に還る


 これより生まれくる新たな子羊はこの地で


 仮初の命であるわたしの姿を見るだろう


 わたしは命のパンである


 わたしのもとに来るものは


 決して飢えることなく


 もはや決して渇くことがない



 ゴシック様式の礼拝堂の天蓋は高く荘厳で、神父の詠唱が清らかに反響する。祭壇にはルーベンスの『最後の審判』のレプリカが飾られてて、その中では大天使ミカエルが善人悪人の選定を行っている。ミカエルの顔は意外とオジサンっぽくてちょっと怖い。そして信用できるのかしら、えこひいきしそうな感じ。堂内左の大きなステンドグラスから夕陽が差し込んでて、祭壇の前に礼服を着て並んでいる人たちが照らされていた。

 今、神父の詠唱とともに、白いドレスを着た一人の若い女性が祭壇の中央に据えられた、大きめのセキュリティチェックゲートに見えなくもない金色の金属ゲートを、奥の方から手前へくぐってくるところだ。陸上部の華絵先輩。にゃん。母体洗礼ね。


 聖約教会は人々の人生に寄り添っている。生きている間だけでなく、生まれる前、そして死後も人々は教会と共にある。今、目の前で行われているのは母体洗礼だ。新しい命を地上に迎え入れ祝福する儀式。

 世界中の何処でも、聖約教会の礼拝堂の祭壇には必ず、ヘヴンズゲートが最低一つは設置されている。ヘヴンズゲートとは天国と地上を繋ぐ門の暗喩であり、妊娠した女性が奥の天国側から手前の地上側にくぐるのが母体洗礼、その逆方向に遺体の入った棺をくぐらせるのが遺体洗礼だ。

 華絵先輩がゲートをくぐった瞬間、先輩の躰から強烈な光が放たれ私は目を細めた。母体洗礼を受けたとき、ヘヴンにある無限のアストラル体が凝縮して、おなかの子に清い魂として宿る。遺体洗礼では遺体に宿っていた魂がアストラル体となってヘヴンに還る。

 聖約教会の信者にとってこの地上は、天国から来て天国に還る間の試練の場とみなされる。天国への門は狭く、遺体洗礼を受けられるのは生きている間、善い行いを積み重ね良民ポイントを満了したものだけだ。満了できなかったものはヘヴン行きの資格を失いアストラル体は地獄に行くか地上をさまようことになる。

 母体洗礼を受けない子供には地上をさまようアストラル体由来の魂が宿るとされるが、彼らも良民ポイントを満了し死後洗礼を受ければヘヴンに行ける。私たちは日頃の行い次第で誰もが平等に天国行きの資格を得られる可能性があるのだ。門は狭いが常に開かれている。

 良民ポイントは生まれたとき0から始まって、公にされた行いによって増えたり減ったりする。死んだときに+10000ポイント以上あれば、遺体洗礼を受けヘヴンに行ける。逆に-10000ポイントに達するとその時点で公開処刑され、地獄行きになるとされる。

 ヘヴン、天国は、神の遺骸が発見された今、もはや神と同様に抽象的な概念ではなく実在する、この目で見て触れる代物になった。衛星軌道上を運行する浮遊大陸がそれであり、大陸に存在する生命の海の中にアストラル体となったヘヴンの住民が溶け込んでいる。彼らはそれぞれ自分の望む理想世界を構築しており、すべてのものが不死で、好みの姿で好きなことをして暮らしている。

 天国の実態が明らかになり、それが日常になっていくにつれ、失望するものも少なくなくなっていった。彼らは神や天国に、抽象的な概念のままであってほしかったのだ。その気持ちは私もわからないではない。神秘性が失われた途端それを受け入れることが難しくなる場合は確かにある。華絵先輩の両親のように聖約教会を胡散臭い目で見るアンチと呼ばれる人々も今は結構いて、彼らは大抵無に到る死を尊重してる。

 嘘か真か知らないが、教会に敵対する悪魔崇拝者と呼ばれる集団があり、悪魔教会を秘密裏に運営していて、そこではヘルズゲートなるもので母体洗礼を行い、地獄のアストラル体を地上に召喚しているという噂もある。神が確かに存在する世界にあっても、私たちは決して一枚岩ではいられないのだった。

 私のママはヘヴンにいる。そして私はママの元に行くためにクズどもの掃除をする。私の良民ポイントは現在+10200。自殺のペナルティは-5000だから、あと+4800ポイントで好きなときにヘヴンに行けるようになる。そのあとは背中を押してくれる人が必要なだけ。あのオオカミくんとか。にゃん。私の目的はシンプルだ。

 儀式は終局で主の祈りを皆で斉唱している。



 天におられる我らの父よ


 み名が尊まれますように


 み国が来ますように


 み旨が天に行われるとおり


 地にも行われますように


 今日の糧を今日与えてください


 我らの負い目を許してください


 同じように我らも


 我らに負い目のある者を許します


 我らを誘惑に陥らないように導き


 我らを悪から救ってください



 受付で次の予約を入れた私は、礼拝堂を横切って教会の出入り口に向かった。にゃにゃにゃにゃにゃん。明日はクリスマスで雪の予報。外は寒そうだ。浮遊大陸ちゃんと見えるのかな。

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