第81話 決戦.1

「風花が……来ない」


 約束の時間を過ぎても、風花は集合場所にやって来なかった。


「なにも、なければいいけど……」


 だが、どう考えても風花は遅刻をするようなタイプではない。

 そうなれば必然的に、なにか理由があって来られずにいると考えた方が自然だろう。


「それに、いったいなにが起きてるんだ」


 さっきまでの静けさがウソのように、突然辺りが騒がしくなった。

 間違いなく、裏中華街で何かが起こっている。

 そして翔馬には、もう一つ気になっていることがあった。それは――。


「吸血鬼は一体、どうしたっていうんだ?」


 あちらこちらから『吸血鬼を発見した』という内容の声が聞こえてくる。

 ……もう機関と異種がぶつかり合っていることは間違いないだろう。

 気になる。とは言え、動くわけにもいかない。

 風花はいつやって来るか分からないし、下手に裏中華街で動いてしまったら戻って来られる自信もない。

 なにより、『二人一緒に』と確かに約束した。

 しかし情勢は確実に動き出している。翔馬は焦りと心配に押しつぶされそうだった。


「どうすればいい。どうすればいいんだ……」


 対応に悩む翔馬。すると。



「月が――――キレイだな」



 どこからか、聞き覚えのある声がした。


「こんなに月の美しい夜には、あまり外を出歩くべきではない」


 ……おい、まさか。


「出会ってしまうかもしれないだろう?」


 翔馬は背筋に走る冷たいものに慄きながらも、ゆっくりと振り返る。


「血に飢えた、悪の吸血鬼に」


 それは魔法都市の夜空へとつながるビルの最上階、その縁に悠然とたたずんでいた。


「そうだろう? 九条」


 吸血鬼アリーシャ・アーヴェルブラッド。

 白く長い髪が、身にまとった夜装(ノクターン)が夜風にゆらめく。


「吸血鬼……っ」


 翔馬のノドが鳴る。

 この状況下。狙いは向こうも同じだったか!


「なにをそんなに驚いている。お前は我を探してこんなところまで来たのだろう?」


 彼女の視線の先には、騒乱の中にある魔法都市の港湾部がある。そして――。


「まったく、機関にはずいぶんとナメられたものだな」


 雲一つない闇夜の空には、真円を描く白い月。


「満月の夜を選ぶとは」


 振り返った吸血鬼のその赤い目は、煌々と輝いていた。


「おかげでずいぶんと早く訪れたようだ。大さん橋での借りを返す時が」


 アリーシャはその眼を閃かせながら、口の端を持ち上げる。


「知っているのだろう? 吸血鬼の特性を」


 そんな吸血鬼に対し、翔馬は慌てて視線を走らせる。

 くっ、まだか? 風花はまだ来ないのか!?

 この口ぶりだと吸血鬼の魔力が上がっているのは間違いない!

 それに作戦では風花が機関に吸血鬼を突き出すことになっている。

 そうでなければ風花の手柄にはなりえない!


「この街は変わった。いつの間にか立派な桟橋ができて、大きな橋が架かった。そして機関は恐ろしいまでの力を持った」


 焦る翔馬に対し、アリーシャは今現在の魔法都市横濱を見下ろしながら語り続ける。


「この状況だ。これだけの勢力になった機関から逃げ切ることは難しいだろう。だが、我が本来の力を取り戻せば、それもかなう」


 続く「まだ、終わらせたくない」というつぶやきは、翔馬には届かない。


「我にはもう……時間がない。いただくぞ、お前の血を」


 そう告げるとアリーシャは建物の縁から跳び、ゆっくりと翔馬のもとへと降りてくる。

 そして優雅な着地を見せると歩み寄り、その白い手を差し出した。


「……なん、だ」

「百年に渡る因縁だ。勝負をつけるにはふさわしい舞台が必要だろう?」


 当然、翔馬は躊躇する。

 どこかへ行こうっていうのか?

 冗談じゃない、そんなのどこへ連れて行かれるか分かったものじゃない。

 それに、ここを動くということは風花を待つことができなくなるということだ。

 するとアリーシャは、そんな翔馬の思いを見越したかのように微笑んで見せた。


「心配するな。死なれては困るからな、不用意なマネなどしない。それに、いくら人気のない場所と言ってもここは裏中華街、戦えばすぐに付近の機関員や異種たちが集まって来る。それは望むところではないだろう?」


 たしかにそれはその通りだ。その上、現状では風花が来る気配もない。


「不安か?」

「当然だろ。こっちはまだ、死んでもいいと言えるほどの覚悟はできてないんだ」


 ……やるしか、ないのか?

 翔馬は悩んだ後、風花からもらったメモを左手に握った。

 そしてそっと吸血鬼へ、アリーシャへ向けて右手を伸ばす。


「さあ、行くぞ。決戦の舞台へ」


 アリーシャは翔馬の手を取ると、ふわりとその身を浮かせ、ゆっくりと高度を上げていく。

 その際、翔馬はこっそりと左手のメモを手から落とした。

 アリーシャがそのまま一気に魔法都市横濱の夜空へと舞い上がると、その内に騒動を含みながらもなお美しい夜景が視界いっぱいに飛び込んでくる。

 魔法学院、中華街、大さん橋、今夜は横濱スタジアムの照明も入っていて、街全体が後夜祭に沸いているかのようだった。

 もしもこれが決戦の場へと向かうフライトでなければ、どれだけ心が躍っただろう。

 二人は夜風を切って、騒乱の横濱の空を行く。

 アリーシャが目指していたのは、白い照明が目印の――――ベイブリッジだった。



 二人はゆっくりとベイブリッジの道路上に着地した。

 ここは首都高速湾岸線の途中に当たり、普段はとどまることなく自動車が往来する交通量の多い道なのだが、なぜか今夜は一台も車が走っていない。


「意外だったか?」


 アリーシャがたずねる。


「今日この道には早い時間から交通規制がかけられている。表向きは一部橋脚の改修工事という名目だ」

「……表向きには?」

「しかしその本当の目的は、裏中華街掃討作戦に際して機関から魔法都市へとつながる道を押さえるため。そして魔法都市内部であれだけの騒ぎが起こっている時こそ、意外にもこういう大きな舞台が隙間になりやすい。ましてここは徒歩で来るような場所ではないからな」

「大さん橋の時と同じか」


 魔法都市の要所で反機関の魔術士を暴れさせることで、都市中の注意をそらす。翔馬とアリーシャが初めて戦った時もそうだった。

 正確にはさらにメアリーの幻術による誘導もあったのだが、アリーシャはただ一言「そういうことだ」と応える。


 向かい合う二人。その下には一面の海が広がっている。

 翔馬の左側にはキリンのような形をした巨大な紅白のクレーンと、オレンジ色の照明がまばゆいコンテナターミナルがある。

 続く海の先には、遠い対岸の町の明かりがどこか寂し気に輝いていた。

 そして右側に見えるのは、ランドマーク塔を始めとした魔法都市の街並みだ。

 まさにアリーシャの言葉通り、決戦の舞台足りえる壮観な景色がそこにある。

 確かにここならすぐに機関員がやって来るということもないだろう。

 だがそれは、風花にとっても同じことだ。

 ……それでも、風花は『必ず行くから』と言った。一緒に戦うと約束した。

 ここで俺が一人、倒れてしまうわけにはいかない。


「この夜が明ける時、笑っているのはどっちだろうな」

「さあな」

「言っておくが、今夜の我は――――手強いぞ」


 そう言ってアリーシャは、その赤い瞳を強く輝かせた。

 対して翔馬は右腕のガントレットを起動し、魔術を発動する。

 扱い切れないほどの性能を発揮してしまう『身体能力向上』

 そして身体を置き去りにしてしまう、行き過ぎの『感覚先鋭』

 二つの魔術が今、常識を覆して一つになる。

 奇跡の合成魔術『真夜中の瞬光』の始動。


「勝負だ、吸血鬼」


 両者の間には真円を描く白い月。止めるものはもう、なにもない。

 吹き抜けていく一陣の夜風を合図に、二人は同時に地を蹴った。


 鋭い踏み込みを見せたのは翔馬。

 対してアリーシャは左拳でけん制する。

 眼前に突き出された拳を、体勢を下げることでかわした翔馬は、ヒザにためたバネを解き放つように左の大きなアッパーを放つ。

 身体を後方へ傾けることでこれをかわしたアリーシャに対して、翔馬はアッパーで生まれた身体の回転を利用して左の回し蹴りへとつなぐ。

 上段ではなく、アリーシャの足元を狙った鋭いローキック。

 しかしアリーシャはそれを、短い跳躍で回避した。

 翔馬の目にその背が映る。

 空中での回転……回し蹴りかっ!

 予想は的中する。早い回転から放たれる強烈な蹴りが首元に迫る。

 翔馬はこれを左腕でガードする。

 魔力の込められた強烈な一撃が、パーン! と高い音を立てると同時に、激しい衝撃が左腕を走り抜けていった。


 ……ここだっ!

 腕のしびれを感じながらも、翔馬は早くも訪れた好機に意識を集中する。

 跳び上がってしまった以上、着地は必須。

 その瞬間は身体のバランスを取る必要もあり、必ず隙ができる。

 ここで一気に流れをつかんでやるっ!

 着地のタイミングを見計らい、翔馬が拳を繰り出そうとした――――その瞬間。


「なっ!?」


 突然肩をつかまれた。もちろんその程度では重力から逃れることはできない。

 だからこれは、致命的な打撃を少しでも避けたいがための悪あがきだ!

 翔馬はそう判断した。


「な、にっ!?」


 しかしアリーシャは、つかんだ肩を支点にした伸身の前方宙返りで頭上を飛び越えていく。

 そして翔馬の数メートル後方に着地して反転。長く直線的な跳躍で折り返してくる。


「なんだよそれッ!」


 予想外の動きに翔馬は驚きを隠せない。

 今、着地したか? いや! 今はそんなことを考えている場合じゃないッ!

 次の攻撃はおそらく蹴りだ。

 直線的な跳躍は一撃の威力こそ高いが、攻撃自体は読みやすい。

 低い軌道の跳躍は、中段の突き刺すような蹴りの前触れに違いない。

 上手くさばいて、今度こそ反撃の隙を作るッ!

 そう判断して回避態勢に入る――――だが。


「はっ!?」


 翔馬は我が目を疑った。吸血鬼の跳躍が突然『空中で』急加速した。


「どういうことだッ!?」


 不可思議な現象に遅れる対応。もちろんアリーシャはその隙を逃さない。

 上段から振り下ろすような形の蹴りが、翔馬の頭部を捉える。


「ぐっああああああああッ!」


 道路の上を弾かれるように転がった翔馬は、慌てて視線を上げた。

 対してアリーシャは着地と同時に前方回転しながら飛びかかり、その手で切り裂くような攻撃をしかけていく。

 空中に光の軌跡を残しながら放たれる一撃は、守るにはあまりに強烈。

 翔馬は必死に跳び下がるが、追撃をかわされたアリーシャはさらに追いすがってくる。

 だが翔馬は、この追撃を予想していた。

 隙を見せることで大振りを誘い、逆に右ストレートを叩き込む。

 そう、狙いは飛び込んでくるところを狙ったカウンターだッ!

 そしてまさにアリーシャは狙い通り、迎撃しやすい軌道で接近してくる。


「もらったァァァァァァァ――――――――ッ!!」

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