第80話 魔術士の夜、異種たちの夜/Wizard's Night,Phantom Night.7
「でしたらその機動力、どれほどのものか見せてもらいますわ」
そう宣言して、クラリスは新たな魔術を発動する。
その変化は足元から。白煙が足元をたゆたい始めたかと思うと、あっという間に視界までもが白く濁っていく。
その勢いはすさまじく、裏中華街は一瞬で街灯の光が幻想的な霧の街へと姿を変えた。
「――――ロンドン・ホワイトヘイズ」
風花は、劇的な空気の変化を肌で感じて頬に触れる。
「……水?」
手にはこぼれ落ちそうなくらいの水滴が付着していた。
その正体は、触れているだけで全身を濡らしてしまうほど濃密な霧だ。
「この魔術の良い所は、霧がしばらく晴れずにその場でステイすること。よってわたくしは、身体能力向上を使用しながら戦うことができますの」
言いながらクラリスは柄を握り直す。
「さあ、そのご自慢の機動力で、全てをかわして見せなさいっ!」
それは、鞘からアンタークティカを引き抜くと同時に始まる必殺の剣撃。
「円舞れ――――スノーホワイト!」
早い!
風花は一撃目を放った瞬間に即、驚嘆させられた。
それは十二連で一舞の、早くそして見とれるほどに美麗な剣舞。
剣閃が霧を氷刃に変える。長い弧を描く剣の軌跡がそのまま凝固しながら空を切り裂く。
そして付近一帯を包み込む霧の中はすべてクラリスの攻撃圏内。今度は天も地も関係ない。
風花までの距離は十メートル弱。中距離から放たれる剣撃には一切の切れ目がない。
『身体能力向上』を使用した剣舞は、相手に直接剣が当たらないからこそ、驚異の速さで霧の世界を切り刻んでいく。
高速で迫る氷刃の嵐を、俊敏な動きでかいくぐっていく風花。
身のこなしは柔軟で鋭い。だがそれも、全てをかわし切るには至らない。
十二の連撃は、後半にいくほどその感覚を狭めていく。
そして残り二振りの剣閃にはもはや回避のしようなどなく、容赦なく風花の脇腹と腕を切り裂いていった。
「ああああああああっ!」
上がる悲鳴。風花はスノーホワイトの末尾に引っかかるような形で斬り飛ばされ、地面を大きく転がった。
十二の白き剣閃は、鞘に戻すまでが一つの剣技。
クラリスは大きく、そして優美に一度アンタークティカを振るうと、流麗な仕草で鞘へと納めた。
「う……くっ」
予想以上の衝撃を受けた風花は、どうにか起き上がるも大きく足をフラつかせる。
見れば耐魔力性能のある機関制服の一部が切り裂かれ、凍りついていた。
「お分かりいただけまして? この霧の世界で、わたくしに勝てる者はいません」
クラリスはそう、勝利宣言をしてみせる。
いかに風花が機動力に優れようと、この霧の中ではもう跳んで虚をつくこともできない。
これでは、風花は最大の武器を奪われたのも同然だ。
「……そうかな?」
しかし立ち上がった風花は、勝ち名乗りを上げるクラリスに対してそう言い放った。
「この霧とわたしの相性は、すごくいいと思うんだ」
「なにが言いたいんですの?」
たずねるクラリスに対して風花は、固有進化魔術『多重同時操作』を発動する。
それは複数の物体を同時かつ自由自在に動かし、飛ばす魔術。
太ももに巻かれたガーターリングからエメラルド製の魔封宝石が浮かび上がり、風花の周りを衛星のように周回し始めた。
「――――風王領域(エメラルド・オービット)」
それは攻撃と防御を同時に行うことのできる。風花の武器にして盾。
……でも、この魔封宝石は吸血鬼と戦う時のための切り札。
ここで安易に使い果たしてしまうわけにはいかない。
翔馬は言っていた。吸血鬼との戦いにおいて、最後の一撃を担ったのは魔法宝石だったと。
だから一つは温存したまま、残りの四つでここを乗り切るんだ。
一気に攻め切ることでっ!
「薙ぎ払えっ! ――――風花翠嵐(グリッター・レイジ・オン)ッ!!」
四つの魔封宝石がその力を開放し、折り重なる爆風が付近を凪いでいく。
吹き付ける強風に対してクラリスは腰を落とし、思わず腕で顔を守った。
「これでもう、霧の魔術は使えないよ」
そう言い放って、風花は真っすぐにクラリスを見る。
霧は、すっかり晴れてしまっていた。
風弾や風爆では霧をかき混ぜる程度にしかならないが、魔封宝石を開放した風花翠嵐であれば、濃い霧ですら吹き飛ばすことができる。
クラリスにとって風使いの風花は、決して相性が良い相手とは言えないようだった。
「まあ、そういうことですわね」
しかしクラリスは、すんなりとその事実を認めてしまう。
そしてなぜか、リインフォースを教師の使う差し棒のように振るいながら説明を開始する。
「正直に言えば、あなたが風を得意にしていると分かった時点でこうなる可能性は予想していましたわ」
焦るどころか、驚く様子すら見せない。
「だから駆け足気味にスノーホワイトを使ったのです。本来は一撃ずつ放って相手の隙を作ってから、一気に勝負を付ける技ですから」
……どういうこと?
風花にはこの余裕が、そして言葉の意味が、分からない。
「さて、わたくしの話にお付き合いいただいたことに感謝しますわ」
するとクラリスは鋭い視線を向けたまま、口元だけで微笑んだ。
風花はいよいよその言葉の意味に困惑する。
「おかげでもう――――準備は整いました」
「……え?」
嫌な、予感がした。
クラリスは手にしていたリインフォースを腰元のベルト戻すと、再び魔法剣アンタークティカを抜き、天を指した。
「霧はウィンドの前に消え去った。でも……これならどうかしら」
そして手にした魔法剣を、そのまま振り下ろす。
「――――フリーズ・エクスキューション」
あらためて辺りを見回してみれば、付近一帯に歪んだ影ができていた。
そのことに気づいた風花は慌てて空を見上げて……凍りつく。
それこそが、嫌な予感の正体。
裏中華街の夜空には、ウソみたいに巨大な氷塊が浮かんでいた。
「なに、これ……」
思わず声がもれる。
落ちてくる。真っすぐに。
二階建ての家屋レベルの大きさを誇る氷塊が、付近の廃屋にめり込み、壊し、巻き込みながら、問答無用で落下してくる!
風花は即座にその場を離れようと走り出す――――しかし!
「間に合わないっ!!」
『多重同時操作』を使用中だった風花はとっさに『身体能力向上』に切り替えることができなかった。
ここで魔封宝石を回収しないということは、目的である対吸血鬼戦における大きな武器を失うことになるからだ。
しかしこれでは速度が上がらない。大きなジャンプをすることもできない。
そして圧倒的な質量を持つ氷塊は、一切の容赦もすることはなかった。
そのままその問答無用の重量で、鈍い地響きを立てながら裏中華街の地面へと突き刺さった。
クラリスの吐いた息が、白く煙って消える。
未だ慌ただしい裏中華街の一角を、ひと時の静寂が支配する。
見る者を圧倒するようなすさまじい大技。どう見ても勝負は決していた。
――――しかし。
バキッと、大きな音が鳴り響き、巨大な氷塊に突然ヒビが入った。
クラリスは思わず目を取られる。
さらにそこから氷塊はいくつかの塊に割れ、そしてその内側から派手に砕き壊された。
パラパラと微細な氷片が一面に舞い散り、キラキラとダイアモンドダストのように輝く。
風花は氷塊が最初に接地する箇所へ魔封宝石を飛ばし、少ない部分に最も自重がかかる瞬間を狙って風爆を連続で叩き込んだ。重さによってヒビ割れた氷塊の先端部分から一気に全体に烈風を駆け抜けさせることで、粉砕するところまで持ち込んだのだった。
こうして風花は、見事この難局を乗り切った。
クラリスは目を細める。
魔封宝石はDランクアイテム。
それは格下のアイテムを上手に使って、危機を脱して見せたということだ。
間違いなく、風花まつりは優秀だ。
それこそ、風花竜介を彷彿とさせるほどに。
そしてそれはどうしてもクラリスに、これまでのことを思い出させてしまう。
――天才と呼ばれる兄がいた。
それでも自身を卑下することなく、目指すべき場所を決めた。
自分も魔術名家の息女として、機関で名を挙げるのだ、と。
天才でなくとも英国までその名を届かせた、風花という機関員のように。
言葉を覚え、反対する両親を説得し、友人と離れ、魔法都市横濱へとやって来た。
高まる意気に押されるように。
そして、竜介が不正によって解雇されたことを知った。
悲しかった。裏切られたと思った。なにより……許せなかった。
クラリスは唇をかみしめる。
だからこそ自分は、強く正しくありたい。
たとえ誰に認められることがなくとも、せめて自分自身には胸を張れるように。
エインズワース、いやクラリスは、『風花』に負けるわけにはいかないのだ。
「……ただ、正しくあればそれで良かったのに」
こぼれるように出た、その言葉。
「もしも出会い方が違っていれば、わたくしは、きっとあなたを……」
しかしそれは、風花には届かない。
クラリスは切り替えるように一つ、息を吐くと――。
「認めますわ。その強さ」
今度は強く、ハッキリとそう告げた。
「あなたの戦いには、祖父である風花竜介を思わせる技術や機転がある」
それは数々の事件を解決してきた竜介のことを調べてきたからこそ、感じるもの。
「その手腕で見事に機関を出し抜き、裏切って見せたのでしょうね」
「違うっ!!」
「そしてその功績は、裏でつながっていた異種や反機関との共謀で手にしたもの」
「ちがう! ちがう!」
「……裏切者」
「ちがうちがうちがうッ!!」
クラリスの決めつけるような言い方に、風花は声を荒げる。
よみがえる、長い日々の記憶。
初めて魔法を見せてもらった時のこと。
何度も魔術の練習を見てもらったこと。
そしてどれだけ振り返ってみても、信じるに足る人柄。
だから風花は、一歩も引かない。目をそらさない。
「これ以上続けても平行線ですわ……決めましょう」
長くて短い戦いの終焉を、クラリスは静かに提案する。
「わたくしが正しいか、あなたが正しいか」
風花は強く口を結んだまま、答えない。
ただ真っすぐにクラリスを見据えることで、答えとする。
……負けない。絶対に。
わたしは……絶対に、絶対に負けないっ!!
風花は言葉すらなく、ただ静かに『風王領域』を発動する。
今度は五つ、手持ちの魔封宝石を全て賭けた全力の勝負だ。
「さあ、準備はよろしいですわね?」
クラリスは魔法杖リインフォースを構えると息を吸い、止める。
左手を相手に向けて真っ直ぐに伸ばし、杖を持った右手を引く。
まるで、弓を引くかのように。
「これで終わりですわっ! メイルシュトローム!!」
それはクラリスの放つ最後の魔術。
水を自在に操る固有進化魔術『ウンディーネ・ウィズ』を用いた、クラリス最大にして最高の水系魔術だ。
翔馬に使ってみせた時とは、その規模もパワーもまるで違う。
クラリスだけを避けるように、背後から襲い掛かる圧倒的な威力の激流。
全てを飲み込み押し流す、それだけで必殺技足りえる驚異の一撃。
しかしそれだけでは終わらない。
すでにリインフォースをベルトに戻していたクラリスは、氷結の魔法剣アンタークティカを引き抜き両手でつかむ。そしてヒザを折り、祈るような姿勢で水流の一端へ刺し入れた。
すると激流は一瞬にして、荒れ狂う氷河へとその姿を変える。
「――――アンタークティック・ホワイトガーデン」
怒涛の勢いで迫る激流の背後を、氷結の波が追いかける。
水流が描く波線がそのまま残るほどの急速凍結によって、裏中華街の一角に白銀の雪庭ができあがっていく。
対して風花は、迫り来る絶対零度の荒波を目前に一歩も引くことなく、ただ静かに全力を解き放つべき瞬間を見極めようとしていた。
この威力の魔法に対して真っ向から立ち向かったのでは、いくら魔法宝石を全開放しても勝ち目はない。
だからごく狭い範囲にしぼって風を発生させることで波を割り、自分を守り抜く。そしてこの必殺技を乗り切った後に、一気に接近して魔術を叩き込む。
本命は魔封宝石ではなく、そのあとの強襲だ。
クラリスは最大の魔法を放った直後。とっさの近接攻撃には対応しきれないはずだ。
……負けられない。絶対に。
全てを投げ打ってでも必ず勝って、侮辱の言葉を撤回させるんだ!
「わたしはッ! 絶対に、絶対に負けない―――――――ッ!!」
退くことのできない二人の意地が今、真正面からぶつかり合う。
風花は全ての魔封宝石を自身の盾になるように展開。
持てる全てを、ここで叩き込むっ!
そう、覚悟を決めたその瞬間――――。
……違う。
そうじゃないよ。
一瞬だが確かに、風花の動きが止まる。
しかし氷結の激流はもう、目前まで迫っていた。
「ッ!! ――――風花翠嵐ッ!!」
魔封宝石に込められていた全ての魔力を、風花は同時に解放する。
エメラルドから解き放たれた暴風が、風波を描きながら上空へと立ち昇っていく。
風は荒れ狂う激流とぶつかり合い、弾け合う。生まれるブリザードのような光景。
やがて互いの魔法がその威力を失うと、そこにはすべてが氷雪に埋め尽くされた、純白の庭園が出来上がっていた。
風花はガックリとその場にヒザをつく。
足元は完全に凍りついていた。跳ね上がった水滴が体中のいたる所に張り付いて白く凍っている。そう、迫り来る氷結の濁流を完全に防ぎ切ることは、かなわなかった。
クラリスはゆっくりと立ち上がると、アンタークティカを払い鞘に納める。
その身には、雪片の一つもついていない。
勝敗は誰の目から見ても明らかだった。
風花はうつむいたまま一つ白い息をはくと、つぶやくような声でクラリスに告げる。
「…………わたしの、負けです」
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