第75話 魔術士の夜、異種たちの夜/Wizard's Night,Phantom Night.2

 ついに、その時がやって来た。

 三日間に渡って行われる開港祭。その最終日。

 魔法都市横濱に夜がやってくるのと同時に、翔馬は風花宅を出た。

 最初の目的は、指定された地点への到達。そして合流。

 作戦通り風花はすでに機関の動向、進攻部隊の配置を偵察に出ている。


「……機関員だらけだな」


 開港祭は終わりかけているというのに、何度も巡回中の機関員とすれ違う。

 もう機関は、吸血鬼対策のシフトに切り替えたのだろう。

 翔馬はまず、朝陽門から中華街へと入った。

 パレードや催しは一通り終わったものの、まだまだ賑わう中華街大通り。

 その途中から一本の小路へと入る。

 そこには小さな料理店がひたすらに続いており、並べられた無数の看板が道を占拠していた。

 異種も魔術士も入り乱れた賑わい。そんな中を、翔馬は一人歩みを進めて行く。

 そして風花の指定した角を曲がり、肩が壁に当たりそうなほど細い道へと入り込む。


 さあ、ここからが本番だ。

 迷路のように入り組んだ道と、設置型アイテムによって迷宮と化した裏中華街へ潜り込み、集合場所へとたどり着かなくてはならない。

 まず辺りを確かめて、誰にも見られていないことを確認する。

 地図の通り、そこには一軒のうらぶれた雑貨店があった。古びた看板は黒ずみ、その両端に置かれた金色の竜の装飾はホコリをかぶっている。

 閉まっている三枚のシャッターの中から、翔馬は左端のものを選んで持ち上げる。


「……半分以上は開けずに入って、すぐに閉めること」


 シャッターを閉めると、店内につり下げられた灯篭型のランプに火が灯った。

 中に人はいない。翔馬は地図に書かれたメモを見ながら、店内に置かれた様々な商品の中から干支の置物が並んだコーナーを見つける。


「干支ではない、仲間外れの猫……これか」


 ウィンクしている二匹の招き猫を見つめ合うように向きを変え、次はカウンター横の両手を上げている大きな招き猫の右手を下ろす。

 そして最後に、入ってきた時と反対側のシャッターを半分だけ開く。


「これで、大丈夫はずだ」


 緊張を感じながら翔馬が店を出ると、そこはもう見知らぬ裏中華街の一角だった。


「よし、成功。二棟が嚙み合うように作られたマンションは……これだな」


 折り重なるように立ち並んでいる建物の数々。

 目の前には、壁がすっかり薄汚れた築四十年のマンションがあった。

 不気味な静けさの中、翔馬は外付けの階段を二階まで上がると、強引につながれたやや急な傾きの通路を使って隣の新棟へと移動する。

 裏中華街にはつぎはぎ状に作られた建物がとにかく多く、隣の建物の三階が横の建物では五階に位置していることもめずらしくない。

 それは異常な密集化の代償だ。


「……次の目的地はここの403号室。あと付けで重なるように作られた新棟は、天井の高さが違うせいで一階分ずれているから、表示をよく確認すること……」


 翔馬は指示通り新棟の階段を上がり、403号室の前にたどり着く。

 旧棟と新棟。合わせて六十の部屋の中で、設置型アイテムになっているのはこの部屋のみ。

 翔馬は念のためにもう一度部屋の番号を確認してから、403号室に足を踏み入れた。

 出た先は、裏中華街深部にほど近いコインランドリー。

 打ちっぱなしのコンクリートに、古い型の洗濯機が無造作に並べられている。


「……大丈夫、順当だ」


 緊張が、わずかにほぐれる。


「手順一つ間違えるだけで知らない場所に出る可能性があるって聞いてたからちょっとビビッてたけど、なんとかなりそうだ」


 翔馬は息をつきながら店を出る。そこは左右を建物の壁に囲まれた細い道の途中だった。

 せり出したベランダや看板、そしてむき出しになった無数の配線のせいで、空は見えない。

 ただ、さっきまで薄汚い程度だった趣は、明確に汚いものへと変わっていた。

 裸電球に照らされた道は、薄気味悪さすら感じさせるほどだ。


「おい! そこでなにをやってる!?」

「ッ!?」


 いきなり上がった怒声に、翔馬の全身が総毛立つ。


「き、機関員ッ!」


 それは移動中の機関員との、突発的な遭遇だった。


「マズいっ!」


 ここで捕まったら終わりだッ! 翔馬は一目散に逃げ出す。


「待てッ!」


 しかし機関員も、間髪置かずに走り出した。

 翔馬は道の並びに合っていない唐突な階段を二段飛ばしで駆け上がり、角を曲がる。

 すると配管を避けながら進んだ狭い道の先に、今度は下り階段が現れた。

 翔馬はさらに速度を上げ、思いっきりジャンプする。

 そして階段の上にかかる建物同士を結ぶ橋へと飛び移り、そのままビルの中へと入り込む。

 しかし機関員は、それでも後を追ってきた。


「くっ、思ったよりしつこいな!」


 入り込んだ古ビルの廊下は真っ直ぐに続いていて、左右にはいくつかのドア。

 ……直進すればおそらく背を狙われる形になる。どこかでやり過ごすんだ!

 運よく半開きだったドアを見つけた翔馬は、躊躇することなく中へと飛び込んだ。

 ドアの先はどう考えても部屋になっているはずの作りだったが、意外にもまたマンションの廊下のような道が続いていた。

 ドアを閉め、少し先の曲がり角のところまで距離を取ると、そこで足を止める。

 逃げられる体勢を維持した状態で、翔馬は成り行きを見守ることにした。

 すぐに慌ただしく接近してくる足音。それは、ドアを挟んだところで止まった。


「どこに行った?」


 聞こえてきた声に、翔馬はノドを鳴らす。

 頼む、このまま通りすぎてくれ……っ。

 どこにどんな仕掛けがあるのか分からないのが裏中華街だ。

 これ以上元のルートから離れたくない!

 張り詰める緊張感の中、翔馬は祈るようにドアを見つめる。

 一方機関員は、かなり慎重な面持ちでドアノブへ手を伸ばす。


「頼むから、頼むから通り過ぎてくれ……」


 祈る翔馬。

 機関員がノブをつかむ。

 わずかな空白の後、ゆっくりとノブが回り始める。

 息を……のむ。

 機関員が見せるかすかな逡巡。やがてその手が―――止まった。


「…………」


 無言のまま、意識を集中させる翔馬。

 その視線の先で、少しずつ、ゆっくりとドアノブが戻っていく。

 そして再び鳴り始めた足音は、少しずつ小さくなっていった。


「行って、くれたか」


 翔馬は額の汗を拭いながら息をつく。

 さすがにこれなら、戻り際に見つかってしまわない限りは大丈夫だろう。

 ――そう思った、矢先だった。


「ッ!?」


 背後の音に、慌てて振り返る。

 視界に飛び込んできたのは、よりによってまたも機関制服。翔馬は慌てて身を隠す。


「ん? 誰かいるのー?」


 そして、硬直する。

 あ、あれは新垣友じゃないか!?

 焦る翔馬。マズいことに友は、まっすぐに翔馬の方へ近づいてきている。

 ……ヤバい、こっちに来るっ!

 こ、こうなったら仕方ない、まだちょっと怖いけど来た道へ戻ろう!

 ドアを開けて即全力で走れば、すぐに捕まったりはしないはずだ!

 翔馬は入ってきたばかりのドアから元来た道へ帰ろうと試みる。しかし。


「あ、開かないっ!?」


 なぜかドアは開かなかった。

 ガチャガチャとドアノブを押したり引いたりしてみても、一向にドアは動かない。

 おいおい、このままじゃ見つかっちゃうぞ! な、なんとかしてごまかさないと!

 ドアが開かなくなった時点で、ここは袋小路と化してしまった。

 さすがにこの状況からでは、走って逃げることは不可能だ。

 考えろ、考えろ、この場を乗り切るための作戦を、なにか考えるんだ!

 捕まったら終わりなんだぞッ!

 だがそこは九条翔馬。

 これまで幾度とない窮地を、まあまあの作戦で乗り越え続けてきた男。

 この状況を覆すために今、勝負に出る!


「…………にゃーん」

「……うん?」


 男、九条翔馬。渾身の猫マネ。

 頼む!「なーんだ、猫か」って感じで見逃してくれ! 頼むぅぅぅぅッ!!

 翔馬は神に祈る。

 すると、そこそこの猫マネを耳にした友は、口を開いた。


「なーんだ」


 きたっ! これはイケる! イケるぞッ!!


「…………犬かぁ」

「猫だよ――ッ!!」

「あれ、ショーマくん?」

「しまったッ!!」


 思わずツッコミを入れてしまったことで、翔馬は完全に姿を見られてしまう。


「こんなところでなにしてるの?」


 そして当然の疑問がぶつけられる。

 どどどどどうしようっ!?


「あっ、いや、これは、その、ええと……かー」

「か?」

「かく…………れんぼ」

「…………」


 はあッ!? 何を言ってるんだ俺は! 他にいくらでもあっただろ!

 買い物中道に迷ったとか、開港祭で調子に乗って踏み込んだとかでよかったのに!

 こんな時間に裏中華街でかくれんぼしてるヤツがどこにいるんだよ、俺のバカぁぁぁぁッ!!

 内心で頭を抱える翔馬。すると友は――。


「楽しそう! 次は誘ってね!」

「セーフッ!!」


 まさかの返しに、翔馬は思わずガッツポーズ。


「おーい! 友ーっ!」

「ひっ!?」


 そして石川が友を呼ぶ声に、思いっきり身体を跳ねさせた。


「はーいっ!」


 一気に鼓動が跳ね上がる。すると友はそんな翔馬をしり目に――。


「あ、お仕事だからもう行くねっ!」


 そう言って踵を返す。


「あっ、あのさ! 俺がいたことは言わないでもらえるかな!?」


 翔馬が言うと、友は「どーして?」と首を傾げた。


「ほ、ほら、ええと、鬼に見つかっちゃうかもしれないだろ?」


 すると友は「なるほど!」と手を打った。


「了解なんだ!」


 そう言ってピースすると「またねー」と手を振りながら石川たちのもとへと戻っていった。


「な……なんとか、なった……」


 連続して起きた機関員との接触をなんとか乗り越えて、今度こそ翔馬は安堵の息をつく。


「これでどうにか、先に進めそうだ」


 翔馬は念の為に少しだけ待ってから、もう一度ドアを開いてみることにした。


「やっぱり、開かない」


 しかし押しても引いても、蹴っ飛ばしてもドアはびくともしない。

 イヤな予感がわき上がってくる。


「まさかこれ、不可逆ドアか?」


『不可逆ドア』それは裏中華街を始め、わりと各所で見られる設置型アイテムの一つ。

 その効果は単純に、『一方向からしか通れない』というもの。

 この手のドアは、基本的に一度通ってしまったらもう戻ることはできない。

 裏中華街では元いた場所に戻ることも容易ではないため、『目的地に行かせたくない』側の人間にはシンプルにして有効な障害物として重宝されている。

 もしかして、俺を追いかけていた機関員がドアを開けなかったのも、こうなること知っていたからかもしれないな。

 ……だとしたら。

 翔馬は地図を見返して、現在位置を確認する。

 それは予想通り、最悪の事態だった。



「――――ここ、どこだ?」



 地図の内容と今現在見えている建物の位置関係は、まったく別物だ。

 時間には多少余裕を持って出てきた。だがこうなってしまうともう、そもそも目的地に着けるかどうかの方が問題だ。

 なにせここは建築に関する法律を無視した複雑な建物が雑多に入り乱れ、さらに魔法アイテムによって迷宮化された難攻不落の古城。

 電波すら捻じ曲げられてまともに入らない。

 一度迷えば何日でも、何週間でも迷い続けることができる裏中華街なのだ。

 もうすでに、友を始めとした機関員たちの足音すら聞こえない。


「まずい、まずいぞこれはッ!」


 自身の状況に気づいた翔馬は走りだした。

 機関が動き出している今夜、作戦の要点は『二人がそろうこと』だ。

 風花が機関の動きを調べることで隠れ場所を見つけ、二人一緒に戦うことで吸血鬼の上を行く。そういう計算のもとにこの作戦は動いている。

 だからこの失敗は最悪以外の何ものでもない。それこそ全てを失いかねないほどに。

 このままでは今夜の戦線に参加することなく、終りを迎えることになってしまう。

 翔馬は、恐怖に背を押されるように走り続ける。

 頼む、頼むから見覚えのあるところに出てくれッ!

 焦りが身体を支配する。そして慌てる翔馬が、通路の角を曲がると――。


「うわっ!」


 誰かに思いっきり衝突した。

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