第74話 魔術士の夜、異種たちの夜/Wizard's Night,Phantom Night.1

 開港祭はついに、最終日を迎えた。

 魔法都市横濱は例年通りの盛り上がりを見せており、中でも学院内にある臨港パークに作られたステージには、たくさんの観客が詰めかけている。

 一方、英立魔法機関の東洋本部がある大黒埠頭には、機関員たちが集まっていた。

 この場に集められているのは、普段は中華街や裏中華街の事件を担当する部署である、中華街警備部、通称『中警』の面々だ。


「……お前は風呂に入らなくていいのか? 仕事前に入るのが日課なんだろ?」

「俺は開港祭の警備から直接こっちだからな、今日は帰ってから入ることにするよ」


 荒事の対応が多い中警の面々には、今回の掃討作戦を普段の仕事の延長程度に考えている者も多く、早くも砕けた雰囲気になっていた。


「今日は派手にやっちまっていいんだろ? 楽しみだな」

「もともと『裏』は汚えところだからな。これを機にぶっ壊しちまった方がいいんじゃねえか? なくなっちまえば面倒な異種共も散るだろうし、一石二鳥じゃねえか」

「違いねえな、あっはっはっは!」


 荒々しい笑い声が上がる。

 そんな中警の面々から少し距離を置いたところに集まっているのが、石川やレオン、クラリスなどが配属された新設部署、吸血鬼対策室のメンバーたちだ。


「もう胃が痛い」


 腹部を押さえながら、石川は早くも胃薬を投入する。

 昨夜実家から結婚と昇進の催促を受けたばかりの石川には、効果てきめんだ。


「石川くん」


 しかし、追い打ちをかけるようにそれはやって来る。

 振り返ればそこには、石川の上司が立っていた。


「……おはようございます」

「分かってると思うけど、今夜の作戦は吸血鬼対策室にとって正念場なんだよねぇ。キミにとっても南極支部に左遷されるかどうかの瀬戸際なわけだから、分かるよね?」

「はい」

「キミのところの五十嵐くんが裏中華街でケンカして、また怒られただろう? その分も結果で応えてもらわないと」


 上司は「んー?」と腹立たしい表情で石川を見上げる。


「ま、そういうわけだからがんばって」


 そして肩をポンポンと叩くと、いつもの内務仕事へと戻っていくのだった。


「……石川サン。今回の作戦のバカ不運な犠牲者ってことで、アイツが海の藻屑になるっつーのはどうスか」

「レオン!」


 石川は声を張り上げる。

 大事な作戦の前にそんなことを口にするなんて、あってはならないことだ。

 士気も下がるし、緊張感もなくなってしまう。

 よってハッキリと言ってやらなくてはならないのだ。上司として、先輩として。


「……バレないようにだぞ」

「そういう問題ではありませんわ!」


 当然クラリスは、そんな二人の会話に待ったをかける。


「自分はバカ安全なとこで座ってるだけのクセに、好き勝手言いやがって」


 レッドブルーの缶を片手につぶやくレオン。


「ただな、お前の件も言われてることについて考えろ。それにここで仕事ができないと部署の存在意義自体を失うことになる。俺たちは吸血鬼を捕らえないといけないんだぞ」


 そんなやりとりを、中警の面々は聞き逃さなかった。


「おいおい、確かお前『始末書印刷所』とか呼ばれてるチームのリーダーだろ? 裏中華街でまともな仕事ができるわけねーだろ。ゴミ拾いでもしてろ! あっはっはっは!」

「誰かと思えば元エリートの石川じゃねえか。昇進したいならもうカザハナみたいに不正を働くしかないんじゃねえのか?」

「あはははは、なんだったら異種のお偉いでも紹介してやろうかぁ?」


 そう好き勝手言って、中警の連中は笑い出す。

 するとそんな隊員の頭に、カーンと小気味いい音を鳴らして何かがぶつかった。

 遅れて足元に、レッドブルーの空き缶が転がる。


「誰だ! こいつを投げたのは!」

「ああ、ワリーっすね。ゴミ箱と間違っちまいました」

「なんだテメーっ!?」


 さらに「バカ似てたんで。ゴミ箱に」と続けるレオンに中警の面々は激高し、にじり寄る。

 するとさらにそこへ飛んできた水弾が、大きく弾けて中警の面々に振りかかった。


「な、なにしやがるッ!?」

「あら申し訳ありません。落書きと見間違えてしまいましたわ。よく、似ていたもので」


 追撃を叩き込んだのは、白のケープを羽織った一人の美少女機関員だ。

 クラリス・エインズワースはリインフォースを構えたまま、余裕の笑みを浮かべる。


「魔法機関の汚れは見逃せませんので、イレースしなくてはと思いましたの」

「世間知らずのお嬢様は引っ込んでやがれ!」


 気がつけば、他の対策室メンバーも巻き込んだにらみ合いが始まっていた。


「おい、やめろやめろっ」


 慌てて石川がレオンたちを止めようと入ってくるが、この人数相手ではそれも焼け石に水。

 両者の敵意がいよいよ火花を散らし出す。

 そしていよいよ魔法が放たれようとした、まさにその瞬間だった。


「おふぁようごばいまーふっ!」


 小型の自転車に乗った一人の機関員が突っ込んできたのは。

 ブレーキをかけることなく自転車から飛び降りると、水色の小径車はそのまま真っ直ぐに突っ走り、見事に自転車置き場の車輪止めに突っ込んで停止した。


「……またか」


 静まり返る面々の前に、石川は「やれやれ」とため息をつく。


「遅刻だぞ、それに物を食べながら自転車に乗るのはやめろって言っただろ。職務中だぞ」

「ふぃあーふいあふぇん。ほあはふいへはももふぇ」

「まったく。そういうことなら仕方ないが、以後気をつけろよ」


 集合時間に遅れてやって来たのは、杏仁まんを頬張った新垣友だった。


「ちっ」


 突然やって来た脳天気な闖入者に、興を削がれて中警の隊員は舌打ちをする。


「せいぜい俺たちにターゲットを奪われないように、気をつけるんだな」


 そしてそんな風に言い残すと、その場を引いていった。


「さっき言われたばっかりだろ。なんでケンカを売るようなマネをした」


 当然、石川はケンカの発端になったレオンを問い詰める。

 するとレオンは、面倒くさそうに明後日の方を向いた。


「石川さんとのチームは、気に入ってるんで」

「……レオン」


 思わぬレオンの言葉に、石川は言葉を詰まらせる。


「なんとかしてーんスよ……」


 そんな風に言われてしまっては、これ以上追求できるはずがない。


「石川サンのハゲしろが残ってる内に」

「のりしろみたいに言うのはやめろ」


 石川は「まだ大丈夫なはずだ」と自分と頭皮に言い聞かせながら、現状を冷静に説明する。


「そもそも中警にしてみれば、自分たちの領域に新設部署の人間が入ってくるのは面白くないんだろう。気合を入れてくるはずだ……だが、俺たちも吸血鬼対策室の名を背負っている以上、譲れない理由がある」


 これで中警が吸血鬼を捕らえたとなれば、吸血鬼対策室はなんの結果も出さずにその役目を終えることになる。


「チームは解散、お前たちは別の部署にバラバラに配属。俺のような超一流の平社員は問答無用で南極支部へ移動。ペンギン様の遊び相手に降格だ」


 石川の上司はとにかく責任を取らず、最低限の仕事と処世術だけで機関に居続けるようなタイプの人間だ。

 なにかあれば自分だけを守りつつ、部下たちに責任を取らせるに違いない。


「ここ数日『吸血鬼が表に出てこないのは魔力の弱化が原因』という話が急に聞こえてきている。見つかれば奪い合いになるだろう。なんとしても俺たちで捕まえるんだ」

「弱ってるんスか?」

「おそらく総督はその辺を早い段階で知っていたんだと思う。表に出てこないのではなく出てこられない。だから危機の大きさの割には余裕のある対応を取っていたんだろう」

「……吸血鬼、か」


 石川の言葉を聞いたレオンは、翔馬のことを思い出していた。

 集まっている武闘派の機関員たちの中でも、上位に入る戦闘能力を持つ五十嵐レオンはしかし、裏中華街にて九条翔馬に敗れた。


「あれだけの強さを持ったヤツはそういねえ。何モンなんだ、アイツは」


 正直に言えば、レオンが今まで戦った相手の中でも、近接格闘の能力は最高だった。

 だからこそ、腑に落ちない。

 そんな魔術士が、ただの学院生として隠れていたということが。

 吸血鬼が起こした最初の騒動の時に、大さん橋で起きていたと思われる戦い。

 その日クラリスは、大さん橋を下りたところで翔馬と出会った。

 そして機関員である自分に対する、あの反抗的な態度。


「九条のヤツが吸血鬼の封印解除に関わるバカヤベえヤツであれば、ここで必ず動いてくるはずだ。吸血鬼が追われているのに、なにもしないとは思えねえ」


 そしてレオンは、この掃討作戦における一つの目標を定める。


「必ず証拠を見つけて、九条のヤローを捕らえてやる」


 いつにも増して鋭くなるレオンの視線。そして普段であれば何かにつけて噛み付き合うクラリスも、今日に限ってはどこか静かだった。

 一方そんなことはつゆも知らないマイペースな友は、その場にドッカリと座り込み、そのまま柔軟を始めた。

 両足をバレリーナのようにタテに大きく開く。機関制服のスカートからのぞいた太ももは、今日もその見事な張りの良さを誇示していた。

 さらに杏仁まんを食べ終えた流れで、今度は一リットルパックの『しれっとしぼったオレンジ』に直接ストローを差し、そのまま飲み始める。


「今日はどうして遅れたんだ?」


 準備運動を始めた友に、石川がたずねる。


「いやー、追試を受けてまして」

「小学校の時の先生に、まだ追われてるんだったか?」

「そーなんす! 今日もあれがどうしても思い出せなくって……」


 そう言って友は「えーと」と首を傾げる。


「……源氏が平氏を倒したのって……なんのうらでしたっけ?」

「壇ノ浦だよ。なんであとたった一文字が出てこなかった」

「それでようやくテストが終わって、おなかがへったから……」

「焼き肉に行ったわけか」


 石川は口元を指差してみせる。

 友の可愛らしい八重歯の少し下、唇の右端辺りにそれは張り付いていた。


「はい! もちろん食べ放題ですっ!」

「別に食べ放題かどうかは聞いてない」


 口元をゴシゴシ拭きながら言う友に、石川は呆れるしかないのだった。


「とにかくしっかり準備しておけよ。吸血鬼が動いてくる場合、友の移動能力が重要になってくるからな」

「了解なんだ! なんか今日は冷えるからしっかりやります!」

「……冷えるか?」


 友が両足を横に百八十度開いて身体を前に倒すと、ぎゅっと胸が地面に押し付けられる。

 そんな状態でも顔は石川の方を向いているのだから、身体の柔らかさは折り紙付きだ。


「もし魔法都市の外に逃げられちゃったらどうするんですかっ?」


 そのままゴロンと後ろに倒れると、友は見事なヘッドスプリングで起き上がる。

 すると石川は、「……この包囲網ではムリだと思うが」と前置きをした。


「そうなれば吸血鬼はさらに窮地に追い込まれることになる。ここ横濱は龍脈の影響で魔法の効果が高まるのは知ってるだろ? それは逆に言えば他所に行くと魔力が下がり、魔法効果も減少するということだ」


 それでなくても弱体化している吸血鬼にとって、そのマイナスは計り知れない。


「横濱に魔法文化が栄えたのは、龍脈の恩恵を強く受けている地域だからという部分が大きい。その中でも勝手のいい場所に重要な建物が置かれているんだが、グリムフォード魔法学院や裏中華街は龍脈の一等地と呼べる場所にある。だから難攻不落なんだ」


 そしてその影響下で作られたアイテムや魔法薬は、高い効果を持つ物や、思わぬ奇跡を成す物が多い。

 英国がこの土地を好んで進出した理由も、東洋最大の魔法都市になった理由も、この龍脈の存在がその大部分を占めていることは間違いない。


「そういうわけだから、逃げた先に非常線を張ってローラー作戦であぶり出していくだけだ。裏中華街が攻略されてしまえば吸血鬼はもう魔法都市には戻れない。あとはじっくり追いつめていくだけでいい」

「なるほどー」


 ふんふん、と友は何度も首を縦に振る。


「理解できたか?」

「全然です!」

「だと思ったよ」


 なぜか敬礼している友に、石川はガックリと肩を落とす。


「まあ、どちらにしたってこの人数相手に、逃げられるとは思えないけどな」


 そう言ってため息をつくと、居並ぶ機関員たちの間に突然緊張が走った。

 その場にいた者たちが一斉に、同じ方向に視線を向ける。

 裏中華街掃討作戦の指揮を取る、機関総督の登場だ。

 空はすでに、紫色に染まり始めていた。


「ついに来たか」


 英立魔法機関による、裏中華街進攻。

 石川は三人の部下たちの意識を切り替えるように、声を張る。


「――――さあ、仕事だ」

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