第59話 裏中華街と機関の猛犬.6
勝負が決まりかねない一撃だった。
しかし翔馬は立ち上がり、再びレオンの前へと戻ってくる。
この場で再度アリーシャのことを口にしたことが、許せない。
「いい根性してんじゃねえか。よっぽどあの金髪がお気に入りみてーだな」
そう言って浮かべる笑みにはすでに、余裕があった。
「だが、テメーにはもう足を止める暇もやらねえ」
そう言って、『駐停車禁止』の標識を翔馬へと突き付ける。
「せいぜい必死に、逃げまわりやがれぇぇぇぇぇぇぇぇ――――ッ!!」
襲い来るレオンは、強烈な横なぎを放った。
左右はもちろん、しゃがんでかわすには低いやっかいな一撃を、しかし翔馬は前方へと跳ぶことでかわし、同時に攻撃を仕掛ける。
「ちっ!」
放たれた空中回し蹴りを、レオンは左手で受けた。
接近を試みる翔馬を、返しの振り上げで牽制したレオンは、再び嵐のような連撃と共に翔馬を追いかける。
「どうしたどうしたァァァァッ! それじゃ勝負にならねえぞォォォォッ!!」
迫り来る破壊の嵐の前にはやはり、距離を取る以外にない。
下がり続ける翔馬は、ドンドン追い込まれていく。
「どうやら、ここまでみてーだなァ」
気がつけば、そこはもう壁際だった。これ以上引くことはできない。
好機。レオンは勢いのままに標識を持った手を大きく引いた。
「くたばりやがれええええええええ――――ッ!!」
繰り出される必殺の刺突。
だが翔馬は、ただ逃げまわっていたわけではない。
壊れ性能の『感覚先鋭』は確実に、レオンの動きを捉え始めていた。
そして……この時をこそ待っていたのだ。
翔馬は意識を集中する。目を凝らし、その一瞬を確かに捉える。
「ここだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ッ!!」
レオンが放った強烈な一撃を、翔馬は真下から蹴り上げた。
「なん、だとォッ!?」
翔馬の蹴りによって上方向への力を与えられた標識はレオンの手を離れ、キレイな放物線を描いて石畳の隙間に突き刺さる。
その恐ろしいまでに的確な攻撃に、さすがにレオンも驚きを隠せない。
そしてようやくここで、二人の時間が止まった。
「……駐停車禁止は、もういいのか?」
再び武器を失ったレオンに、あえて足を止めた翔馬がたずねる。
「チッ、反則金はここから身体で払わせンだよ」
あくまで余裕の返しをしてみせるレオン。
しかしそこには、攻守の流れが変わり始める気配があった。
するとそこへ。
「がんばれーっ。九条くーんっ!」
初めて翔馬を応援する声が聞こえた。
可愛らしいポーズと共にそんな声援を送ったのは、メアリーだ。
さらにそれだけでは終わらない。メアリーの声援は、きっかけになる。
「そうだーっ! 行け九条ーっ!」
誰かが、メアリーの声援に続いた。
ここに来て翔馬は、直前の一撃は、奇跡の可能性を観客に感じさせていた。
その声に押されるように、翔馬が跳び出す。
初撃バックハンドブロー。レオンは虚を突かれる。
すると翔馬は流れのままに右ジャブを放ち、さらにもう一度裏拳を放つ。
「ちっ!」
まさかの二回転。左拳の先がレオンの眉間をかすめる。
するとそこから後ろ回し蹴りへとつないだ翔馬は、ここでさらにもう一発バックハンドブローを放つ!
「ぐっ」
その一撃は、踏み込もうとしたレオンの側頭部に着弾した。
「ナメたマネしてんじゃねーぞォォォォッ!!」
勢いに任せただけにしか見えないような連携に、レオンは声を荒げる。
声に乗った確かな苛立ち。観客たちはそれを敏感に感じ取った。
「行け九条ッ!」「機関員なんてぶっ飛ばしちまえ!!」「やれーっ! 九条ォォォォ!!」
声援はその数を、大きさを増していく。
さらに翔馬はハイキックからの回し蹴りを放ち、下がるレオンを追うような短いジャンプから追い打ちを狙う。
「調子に乗ってんじゃねえッ!!」
空中回し蹴りを決め技として意識していたレオンは、翔馬が右足を軸にした時点で飛んで来るのは左足だと確信。
後方へ体勢を傾けることでこれをかわし、一気に反撃に出ようとして――。
「なぐあッ!」
一撃目よりもさらに鋭い、右足による二撃目が首元に炸裂する。
翔馬の狙いは、通常回し蹴りが半回転で行われるということ自体をフェイントにした、一回転から放つ右の一撃だったのだ。
どうにか手を挟むことで直撃こそ免れたものの、レオンは体勢を大きく崩した。
翔馬はさらに攻勢をかける。
流れるような連続攻撃に、レオンはもはや防戦一方だ。
その様相に観客たちの気勢が、いよいよ盛り上がっていく。
「九条!」「九条!」「九条!」「九条!」「九条!」「九条!」「九条!」
「九条!」「九条!」「九条!」「九条!」「九条!」「九条!」「九条!」
流れ者の魔術士が、異種たちが声をそろえて「九条」とコールする。
そもそも機関員は、基本的に裏中華街では嫌われ者なのだ。
もうこの場の主役は完全に、一学院生にすぎない九条翔馬に取って変わっていた。
一転して下がり続けることしかできないレオンは、大きく跳び下がる。
その先には、蹴り飛ばされた標識があった。
翔馬は警戒する。
……面倒なのは投擲からの特攻だ。
だがもう守りには回らない。勢いのままに走り出す――ただし。
これなら、どうだッ!
翔馬が仕掛けるのは、中華街の時のような変則移動。
それは地上だけにとどまらない、壁まで使った大きな曲線移動だ。
「友みてーなマネしてんじゃねえぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
激昂と共にレオンは標識を投げつける。
しかし変則的な軌道で動く相手を狙うことは容易ではない。
標識は翔馬の後方を通り過ぎ、取り外しを忘れられた鉄骨の柱を弾き飛ばした。
けたたましい騒音、落下してくる無数の鉄骨には見向きもせず、翔馬は一気にレオンのもとへと飛び込んで行く。
対するレオンはさらに大きく跳び下がり、今度は自身が壁際へ追いつめられる形になった。
「ここだっ!」
これを見て翔馬は、一気に追い込みをかける。
しかし、レオンの後退には狙いがあった。
そこには、すでに稼働をやめていた自動販売機が放置されていた。
「ウラァァァァァァァァァァァァ――――――――ッ!!」
迫り来る翔馬に向けて、レオンは自販機を全力で投げつける。
自動車の時と同様、それは圧倒的な重量を誇る一撃だ。
しかし予想外の攻撃をしてくると『知っている』翔馬は、もう驚かない。
驚愕による硬直。その一秒にも満たない時間がなくなったことで、翔馬は最速で最適の解を導き出す。
もはや回避は、難しくない。
驚異的な速度で飛来する自販機に向かって跳んだ翔馬は、なんとその縁を足場にして、さらにもう一つ飛び上がった。
「な……んだとっ!?」
当たり前のように飛び越えてみせた翔馬に、硬直したのはレオンの方だった。
最短の距離を行く最速の跳躍。
上空から獲物を狙う猛禽のような鋭さでレオンへと迫り、そのすさまじい勢いのままに回転蹴りを叩きこむ!
「ぐっあぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」
強烈な蹴りに弾き飛ばされたレオンは、開店前のバーに突っ込んだ。
これまた派手に鳴り響いた破砕音は、店内のボトルがまとめて砕け散った音。
それはまさに先ほど翔馬に喰らわせた攻撃を、そのまま返されたかのような一撃だった。
これまで無敗を誇っていたレオンの劣勢はさらに観客たちを盛り上げ、九条コールはさらに音量と勢いを増していく。
わずかな、インターバルがあった。
すると突然、店内から豪速でイスが飛び出してきた。
翔馬がクビの動き一つでそれをかわすと、イスは背後の壁にぶつかり砕け散る。
そしてテーブルを蹴り飛ばしながらバーから抜け出してくるレオンに対して、翔馬は。
「まだ一軒目だろ。千鳥足には早いんじゃないか?」
そんな言葉を投げかけた。
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