第41話 吸血鬼対策室とグリムフォードの白百合.4

「見つけましたわっ!!」

「しまったああああああああああ――――――――ッ!!」


 翔馬は一瞬で白目をむいた。

 お、お、おい。ま、マジかよ。マジかよこれッ!!

 な、なんで、今まで学院内で会ったことなんて一度もなかったのに、どうして今日に限って会っちゃうんだよッ!!

 白目の翔馬は悲鳴を上げた。

 昼休みに飲み物を買いに出るのはほぼ日課であり、今まで金髪の学院生とはすれ違ったこともなかった。だから決して気を抜いていたつもりはなかった。

 それなのに、まさかこんな形であの時の機関員に再会してしまうなんてッ!!


「ああ、やはりこれはデスティニーなのですわ!」


 機関員クラリス・エインズワースは、いそいそと翔馬のところへと駆け寄ってくる。

 今までに学院で翔馬を見かけた覚えはない。

 だからこそクラリスは「もしかしたら」と、いつもより行動範囲を広げていたのだ。

 身だしなみを整えると、クラリスはわずかに緊張をのぞかせつつ笑みを浮かべた。


「わたくし、クラリス・エインズワースと申します」


 そう言ってスカートをかすかに持ち上げてから、丁寧に頭を下げる。いかにもお嬢様然としたあいさつだ。

 クラリスは仕事中と同様に、学院でもシャツの上に白地に金の意匠の施されたケープを羽織っており、魔法名家の子女らしい上品なたたずまいをしていた。

 対して翔馬は、突然の窮地に白目をむいたまま必死に頭を働かせる。

 どどどどうする? おおお俺はここで名乗ってもいいのか?

 い、いや、同じ学院生なのに偽名を名乗ってもすぐにバレるはずだ。

 そうなったらむしろなぜウソを教えたのかって疑問を抱かせてしまう。

 だから、ここは。


「く、九条翔馬です」

「九々条……翔馬さま」

「あ、いや、九条です」

「九条翔馬さまですわね。素敵なお名前……」


 クラリスは優しい口調で繰り返す。


「あ、あの、九条さまは、ここでなにをされてましたの?」

「えーと、飲み物を買いに」

「飲み物を……それだけ、ですの?」


 そうたずねてくるクラリスの視線に、わずかに気圧される。


「そ、そうだけど」

「では……これから、なにかされるおつもりは?」


 も、もしかしてこれ……怪しまれてる!?

 白目の翔馬に、電撃走る。

 騒動の日の帰り際、俺はこの機関員の前から大慌てで逃げ出してしまった。

 今もコソコソなにかをしていたんじゃないかと思われていたとしても、全くおかしくない!


「いや、別になにもないよ! 本当になにも、なんにもないっ!!」

「そうなんですの……あ、あの、それでしたら」


 今度はなんだ!? まさかこんなところで職務質問を始めるつもりか!?

 冗談じゃないぞ、あの時大さん橋にいた理由は吸血鬼と戦っていたからだ。

 関係性を疑われたら一気に状況が悪くなってしまう!

 焦る翔馬を、クラリスはその青い瞳で見据える。

 マズイ、マズいぞこれはッ!!


「ティータイムを、ご一緒しませんか」

「あれは違うんです! …………え?」


 ど、どういうことだ? 

 なんで、なんで急に俺を誘う!?

 ワケが分からない。一体何がどうなってるんだ!?

 ……いや、違う。

 問題は、このまま連れて行かれたらどんな下手を打つか分からないってことだ。

 そういう意味ではラッキーだったという他ない!

 これくらいの誘いなら、適当な理由をつければ断れるっ!


「ご、ごめんっ、俺この後予定が」

「なにもないと」

「…………あ」


 言った。俺まあまあ強めに言ったぁぁぁぁぁ――――ッ!!

 まさかの自爆に、翔馬は言葉を続けることができない。

 するとクラリスはなんと「えいっ」と、思い切って翔馬の腕に抱きついた。

 豊かな胸が、グイと押し付けられる。

 ……え!? なに!? なんなのこの展開!?

 なんか着々と連れて行かれる流れになってるんだけど!

 なんとか、なんとか断る理由を考えないと!!

 しかし仕掛けたのはクラリスが先だった。腕に抱きついたまま上目遣いで翔馬を見つめると、ちょっと恥ずかしそうな笑顔を向けた。


「わたくし、九条さまのような素敵なお方とティータイムを過ごすのが夢でしたの」


 そう言って翔馬の腕を取ったまま歩き出してしまう。

 あまりに予想外の言葉に、翔馬はもうなにをどうしていいのか分からない。

 な、な、なにがどうなってるんだこれ……。

 なんで昼休みに飲み物を買いに出たら、そのままほぼ初対面の女子機関員に腕を取られた状態で喫茶店に向かうことになるんだ……?

 分からない。もう本当に何がなんだか分からない。

 こうなってしまったらもう、振り払って逃げたりする方が奇行と見られてしまうだろう。

 そう判断して、翔馬はなんとか思考を切り替える。

 こ、こうなったら、とにかくこの場はお茶だけ飲んで、できるだけ早く切り上げよう。

 この子の記憶に残らないよう静かに過ごして、もう二度と機関には関わらない、これだ!

 なんとしてもここを無難に乗り切って、これ以上目をつけられるようなことにはならないようにするんだ!!


「九条さま、ここですわ」


 いつの間にかクラリスに連れて来られたのは、一軒のカフェだった。

 サンシャインカフェ・ニューホライズン。

 それは広大な学院の一角に建つ、可憐な洋館を用いた紅茶専門店だ。

 学院の敷地内には無数の飲食店があり、学内ホールに設置された大きなレストランから、隠し通路の先の部屋でひっそりと営業する洋食屋、とあるドアからしか行けない伝説のバーなど、そのジャンルは多岐にわたる。

 その中から好みの店を見つけるのも、この学院の楽しみの一つなのだが、クラリスのお気に入りはこのカフェだった。

 早々に注文を済ませた二人は、小さなローズガーデンの中に置かれたテラス席で向かい合う。


「……あの、九条さまはどうして……」


 やがてクラリスが、少し遠慮がちに口を開く。


「ずっと白目なんですの?」

「えっ? あ、こういう店には来ないから緊張してるんだよ!」

「あら、どこかの野良ドッグと違って九条さまならノープロブレムですわ。それに作法などで分からないことがあれば、わたくしがお教えいたします」


 そう言って優しく微笑む。

 そして到着した紅茶を一口すすると、クラリスは照れつつも話し始めた。


「ぜひもう一度お会いして、お話したいと思っていましたの」

「…………な、なんで?」


 顔を引きつらせたままたずねる翔馬に、「自分のことを天使と言った件について」とはさすがに言い出せず、クラリスは言葉を選ぶことにする。


「その、大さん橋で九条さまが突然おかしなことを仰ったので、サプライズしてしまって」


 マ、マズい!

 核心を突かれた翔馬は慌て出す。

 鋭い! さすが機関員だ……やっぱりあの時の奇行が気になっていたのか!

 よ、よし、ここはおかしなことなんてなにもなかったかのように答えるんだ!

 機関員、それも吸血鬼対策室のメンバーに疑念を持たれることだけは絶対に避けないと!


「へ、変なこと? 変なことを言った覚えなんて一つもないよ!」

「……まあ」


 クラリスは両手で赤らむ頬を押さえつつ微笑む。

 この強い否定こそが、最も望んでいた回答だったからだ。


「九条さまったら。おかしなことなんてなにも言ってないよ。君は僕のスウィートエンジェルさ。だなんて……」


 クラリスはモジモジしながらつぶやく。


「もう、本当にお上手なんですからっ!」

「なにが!?」


 再会からここまで何一つ噛み合っていない会話に、翔馬は困惑する。

 な、なにがどうなってるんだ?

 でも、これ以上出会いの話を広げられてしまうと核心を突かれてしまうかもしれない。

 こっちから質問することで話題の方向を制御して、そのまま忘れてもらおう。


「あー、あの、クラリスさんは、機関ではどんな感じなの?」


 それは翔馬にとっては冒険だった。あえてこっちから機関の状況を聞き出すなんて、一歩間違えれば自殺行為になりかねない。


「よくぞ聞いていただきましたわ!」


 しかしクラリスは、その身を乗り出さんばかりの勢いで語り始めた。


「とってもひどい、最低なメンバーが同じチームにいますの!」


 クラリスの青い瞳はすでに、怒りに燃え上がっていた。


「その男の名は――――五十嵐レオン」

「い、五十嵐レオン? そんなにひどいの?」


 クラリスはこれまでにされた侮辱の数々を思い出す。昨日だって一つの言葉の間違いから一気にまくしたてられ、最後には巻き添えで石川の電流攻撃まで喰らうはめになった。


「ええ。五十嵐レオンは会う度にわたくしを執拗に――――」


 そしてクラリスは、拳を強く握りしめる。


「――――陵辱しますの!!」

「ぶふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ――――――――ッ!!」


 翔馬は口に含んだ紅茶を盛大に吹き出した。


「出会って、出会って四秒で陵辱ですわ!」

「いやいやいや! そんなのおかしいだろ!」

「分かって……いただけますの?」

「普通に考えてそんなの許されるわけがない!!」


 翔馬は戦慄する。

 その五十嵐レオンってヤツ、どんだけ非道なんだよ!!


「さすが九条さまですわ!」


 一方クラリスは、翔馬の間髪入れない賛同に感動していた。


「上司は? 上司はそれを見てなにもしてくれないの?」


 普通に考えれば、そんなことが起きていたら上司が厳しい処罰を与えるはずだ。

 一度気分を落ち着かせようと再び紅茶をすすりながら、翔馬はたずねる。


「そうですわね。上司はそんな状況を見てわたくしを……」


 そう、それもつい先日のことだ。


「キツくチェーンで縛るんですの!」

「ぶっふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ――――――――――ッ!!」


 またも翔馬は飲みかけた紅茶を派手に吹き出す。


「なんで上司がさらにハードな状況に追い込んでんだよ!!」

「それだけではありませんわ! この前なんて散々チェーンでわたくしの身体をもてあそんだ上に、電気まで流しましたのよ!」

「ええーっ!?」


 翔馬は完全にドン引きしていた。

 魔法機関、ヤバすぎだろ……。


「そ、それ、大丈夫なの?」

「心配して、いただけるんですのね」

「いや、そんなの心配するなって方が無理だと思うけど」

「……たしかに、つらい時もありますわ」


 そう言ってクラリスは悲しげに目を閉じたかと思うと、胸に手を当てる。


「ですがわたくしは立ち向かうのです!」

「どうしてそんな目にあってまで……」

「ロイヤルワラントを頂く数少ない英国魔術家の、プライドですわ!」


 そんなヒドい環境下にありながら、それでも機関員を続けようとするクラリスに、翔馬は驚く他ない。

 いや、それはもうプライドとかの問題じゃないだろ……。


「ですから、わたくしは英立魔法機関の一員であることにもプライドを持っておりますの」

「あれ? でも機関ってそもそもイギリスが本家だったような……」


 イギリスの生まれだったらそこに入るものじゃないのか、と翔馬は疑問に思う。


「本国にはお兄様がいますから……それと横浜には一人の高名な機関員がいましたの。わたくしはその魔術士に憧れてジャパンの魔法機関にやってきたのですわ。まあ、その人は魔法機関の看板に泥を塗るようなマネをして、どこかへ行ってしまいましたが」


 そう口にするクラリスの表情には、確かな怒りが含まれていた。


「英立魔法機関の名を落とす者は、嫌いですわ」


 そう、こぼすように言ったクラリスは、ぐっと拳を握る。


「ですがわたくしはくじけません!」


 そして立ち上がると、その青い瞳を翔馬へと向けた。


「この熱い思いは……」


 その目には、熱い思いが燃え上がっていた。


「吸血鬼事件の捜査にぶつけますわ!」

「やめてください!!」


 一方の翔馬は完全に白目だった。

 よし! やっぱり機関に関わっちゃダメだ。

 上司も同僚もヤバいヤツだし、吸血鬼事件に燃えてるし、今すぐにでも逃げよう。一秒でも早く!

 なによりちょうど話も一段落したところだ! ここまでヘタも踏んでないはずだし、このまま逃げれば特に問題もないはずだっ! 今がチャンス、とにかくさっさと逃げるんだ!


「あ、俺そろそろ……」

「おーいっ! クララーっ!」


 逃げ出そうとする翔馬の呼びかけが、上方から聞こえた大きな声にかき消される。

 見れば短い髪の小柄な女の子が、クラリスに向かってぶんぶんと大きく手を振っていた。

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