第39話 吸血鬼対策室とグリムフォードの白百合.2

 魔法都市横濱。

 開港から約百六十年。英国から持ち込まれた『魔法』は、すっかりこの街に根付いていた。

 英立魔法機関やグリムフォード魔法学院の設立を経て、今では東洋最大の魔法都市となっている。


「これはまた、ずいぶんと派手に壊されたもんだな……」


 英立魔法機関に新設された吸血鬼対策室。

 その内の一チームに配属された石川元春の最初の仕事は、大さん橋の実況見分だった。

 広がる青い海は太陽にきらめき、この場所から見える港町横濱の風景は相変わらず美しい。

 対して大さん橋のウッドデッキにはいくつもの大穴が空き、何十枚もの折り砕かれた板の残骸がそこら中に散らばっていた。


「三日前の時点では穴一つ開いてなかったのが、一昨日来てみたらこの有り様だったと」

「それはつまり、どーいうことなんですかっ?」


 そう言って首を傾げたのは、同じく吸血鬼対策室に配属された女子機関員、新垣友だ。

 今日もその元気の証であるハリのいい太ももが、まぶしい陽光を弾いている。


「この状態は一昨日作られたってことだな」

「それは……要するに?」

「一昨日の騒動の最中に、ここで何かがあったってことだ」

「なるほど……それは要するに?」

「戦闘、だろうな」

「そういうことなのか! ということは……」


 友は両腕を組み、「うんうん」と深くうなずいてみせる。そして。


「……要するに?」

「これ以上要せないんだよ」


 それでも小首を傾げたままでいる友に、石川は深くため息をつく。


「友がバカやべー馬鹿なのは、今に始まったことじゃねーっスよ」


 そう言いながらやって来たのは、目付きの悪い男子機関員。


「小六ん時の追試に未だに追われてんだろ?」

「友、お前マジか」

「そーなんす!」


 がっくりと肩を落とす石川の横で、プシっと心地良い音が鳴る。


「まあその分、友は都市内の隠し扉とか地下通路とかにバカ詳しいみてーっスけど」


 五十嵐レオンは、開封したばかりのエナジードリンク『レッドブルー』に口をつけながら話を続ける。


「そーいや、吸血鬼の封印を解いたヤツも見つけねーといけねーんスよね」

「まあ異種か魔術士。どちらにしろ反機関のヤツで間違いないだろうな」

「つーか、なんでここだけ空白地帯になってたんスかねぇ」

「一昨日は魔法都市の要所で連続して騒動が起きたからな。大さん橋にはなかなか意識が向かなかったんだろう」

「動き出した吸血鬼、ここで起きていた戦闘、よそに比べてデケえ被害……ここでなんかバカやべー事でも起きてたんじゃねーか?」


 レオンは一人、つぶやく。


「そんで実は、ここで起きる戦闘を隠すために各所で騒動を起こしてた……みてーな」


 そしてほとんど正解と言える考察を行った後、飲み終えたレッドブルーの缶を握りつぶした。


「つーか石川サン、お嬢のヤツはどこ行ったんスか?」

「あっちだよ」


 言われてレオンが視線を向ける。

 その先には、白のケープと淡い金糸の髪が美しい機関員の姿があった。

 クラリス・エインズワースは一人、凛々しい立ち姿で魔法都市の風景を眺めている。


「……サンセット、紫に染まるスカイ、街に灯るライトの輝き、運命の再会を果たしたわたくしたち。ああ、とても、とてもロマンチックでしたわ」


 突然色っぽいため息をつくと、翔馬との再会を思い出し、なんとたった一人でその再現を始める。


「貴方、こんなところでどうされましたの?」


 そうたずねてクラリスは、騎士のように片ヒザをつく。次は翔馬役だ。


『いえ、突然目の前に天使が現れたので……驚いてしまって』


「天使……?」


 クラリスに戻って小首をかしげると、再び翔馬になって立ち上がり、一歩踏み出した。


『そう、君という名の天使だよ』


「ま、まあ、天使だなんて……」


 もう一度自分自身に戻って、恥ずかしそうにうつむく。

 するとさらに翔馬となってクラリスの腰に手を回すと、社交ダンスのように華麗に一回転。


「君が、君だけが――」


 そのままの流れで顔を近づけ見つめ合い、フィギュアスケート(ペア)の決めポーズのように大きく腕を広げた。


「――――僕の天使だ」

「逮捕しろ。そんなバカやべーヤツ」


 あきれ果てたレオンの言葉。

 我に返ったクラリスは、それまでのうっとり具合はなんだったんだというくらいの冷たい声と共に振り返る。


「……なにか文句がありますの?」

「あるに決まってんだろ」


 こうして今日も、さっそく二人の視線が火花を散らし始める。


「ここは騒動の日に、わたくしとあの方が再会したデスティニーの場所。バカにするようなマネは許しませんわ」

「テメーを見て天使だなんて言ってるヤツが、バカじゃねーわけねーだろ」

「ああーら、知らないからそんなことが言えるのですわ。とても紳士で素敵な方ですのよ……カザハナや、噛みつくことしか能のない機関の恥ちらしとは違って」

「恥『さらし』だバカ。そんなだから天使と堕天使を聞き間違えやがるんだ」

「なっ!?」


 言い間違いを指摘されたクラリスは、一瞬で顔を赤くする。


「どーなんだ? 堕天使呼ばわりされてよろこんでる機関の恥ちらしサンよォ」

「もっ、もう許しません! 今日こそ、今日こそ勝負をつけて差し上げますわッ!」


 クラリスは腰の鞘から魔法剣アンタークティカを引き抜くと、そのままの勢いでレオンへと斬りかかる。


「上等だァァァッ!」


 対してすでに魔封レザーグローブを装着していたレオンは、見事な真剣白刃取りを決めてみせた。

 そのまま二人はギリギリと押し合いを始める。

 アンタークティカから発せられる冷気が足元を白く染めていく中、友は真剣白刃取りのポーズをマネて遊び始める。

 膠着状態は、長く続かなかった。

 とっさに手を離したレオンは、ウッドデッキの残骸をつかんでクラリスへと投げつける。

 しかし高速で迫り来る板切れを、クラリスはアンタークティカで切り払った。

 板の破片は一瞬で氷結し砕け散る。細かな氷片が無数に散らばりキラキラと輝いた。

 それでも二人は止まらない。交錯する視線を合図に飛びかかる。

 まさに、その瞬間だった。


「あのバカ二人を捕まえろ」


 石川のメガネが輝き、腰に提げられていた魔法銀鎖ゴシックチェインズが一斉に放たれる。


「う、うおおおおっ!!」「きゃ、きゃあああああッ!!」


 そして四本の魔法の鎖は瞬く間に二人の身体に巻きつくと、その場にはりつけにしてしまった。


「客船の入港があるから実況見分は早く済ませろって言われてるのに、被害を拡大させてどうする。だいたいお前らには昨日ケンカをするなと言ったばかりだよな?」


 そう言ってレオンのもとに歩いて行くと、石川はその頭をこんこんとノックした。


「もしかしてお前の頭の中身は、ぷっつんプリンだったのか?」

「チッ」


 そして今度はクラリスの頭を同じようにノックする。


「こっちはシェフの気まぐれプディングですかー?」

「い、一緒にしないでくださいッ!!」


 クラリスはそう言い放つと再びアンタークティカに手を伸ばし、レオンに照準を合わせる。


「……武装解除」

「えっ?」


 石川の言葉にゴシックチェインズが反応する。

 懲りずに攻撃を再開しようとしたクラリスを拘束していた鎖が、今度は制服の内側へと潜り込んでいく。


「あっ、ちょ、ちょっと待ってください! く、くすぐった……ん、ああっ!」


 そして制服の内部に入り込んだニ本の鎖は、制服の内側をまさぐり始めた。


「あっ、だ、ダ、メっ! わ、分かりましたわ! もうしませんからやめてくださいっ!」

「いーや、ダメだ。お前には反省が足りない」


 魔法の鎖は問答無用でうごめき続ける。

 クラリスが腰につけている魔法杖を奪うと、今度は魔法剣を差したベルトも解き始めた。

 ひも状の物を自在に動かす基本魔術『縛縄』の固有進化である『LET IT LOCK』によって生まれたこの魔法の問題点は、全身をくまなく調べるためにこういう展開になりがちなことだ。


「す、スカートが! んっ、またスカートが……あッ、めくれて!」


 すでにクラリスのスカートは、めくれ上がってしまっていた。

 しかし黒のストッキングと青いレースの下着が丸出しになるという恥ずかしい展開にも、クラリスは色っぽい悲鳴を上げることしかできない。

 すると石川は、羞恥に顔を紅潮させるクラリスをそのままにレオンのもとへと向かう。


「お前もだ。クラリスを侮辱するようなことはするな。英国名家の令嬢となれば侮辱の類が一番頭にくるはずだ。言葉の間違いもまれにあるが、あれだけ話せれば大したものだぞ」


 その言葉に対してレオンの返事は――。


「メガネよ曇れ(フロストグラス)」


 魔術が発動すると同時に、一瞬で石川のメガネにびっしりと水蒸気が張り付いた。

 それはレオンが、わざわざ石川に反撃するためだけに覚えた魔術。


「……どうやらお前もまだ、反省が足りてないみたいだな」


 パリっと音が鳴った。ゴシックチェインズにかすかな電気が走る。


「え、ちょっとお待ちになって! それだとわたくしもっ……」

「――――イナズマジェイル!!」

「きゃああああああああああああ――――――――っ!!」


 銀の鎖を電流が一気に走り抜け、火花が飛び散る。


「ど、どうしてわたくしまで……」


 レオンとクラリスは、ぷすぷすと煙を上げながらその場に倒れ伏した。

 ぴくぴくと痙攣する二人を横目に、ため息をつく石川。


「まーたやってるのかね、君たちは」


 するとそんな三人に、声をかけてくる者がいた。

 振り返るとそこにいたのは、石川たちの上司に当たる機関員だった。


「あ、お、おはようございます」


 慌ててあいさつをする石川に対し、返事もせずに話を始める。


「石川君さぁ、もう何年目だっけ? いい加減こんな『始末書印刷所』なんて呼ばれるチームをやってる場合じゃないんじゃないの? 元々は出世コースだったんだよねぇ?」


 そう言って、メガネ越しのいやらしい目つきで石川を見る。


「外回りの新設部隊に配属されて、こんな実況見分やらされてる時点でもう後がないってことに気づかないと。同期はとっくに昇進してるんだよ?」

「……はい」

「まあ、ダメならチームは解散。君には魔法新薬の実験台、攻撃魔術の練習台……ああそうだ、南極ペンギン支部辺りに移動してもらおうかね」

「いや、それは……」


 石川は引きつった笑みを浮かべる。


「そういうことならしっかり仕事をしてもらわないと」


 すると上司はそう言って、石川の肩をポンポンと叩くと――。


「ま、せいぜいがんばって」


 そう言い残してゆっくりと立ち去っていく。

 急に静かになる、大さん橋。


「……なあ、石川サン」


 重苦しい沈黙を破ったのは、レオンだった。


「アイツが不慮の……バカ不幸な事故でいなくなっちまえば、昇進できるんじゃ……」

「レオン!」


 不謹慎な言葉をさえぎるように、石川は大きな声をあげる。

 それは当然、上司に言っていいような言葉ではない。

 襟元を正すと、石川は鋭い目でレオンを見据えた。


「……それだ!」

「それだ! じゃありませんわ!」


 これにはクラリスも、さすがに思わず突っ込まざるを得なかった。

 主に内勤を任されている上司は、その勤続の長さと常に55点くらいの仕事をこなすという要素だけで左遷させられずにいるような、なんとも言えない機関員だ。

 今日も『新設部隊の視察』と言ってやって来たのだが、勤務時間を稼ぐための外出なのは明白で、部下たちには「あいつの下に付かされたら終わり」とまで言われている。


「……だが、こうして直接言われたのはマズいぞ。こっちは下手に出世コースで機関に入ったせいで実家から連日『昇進はまだか、結婚はまだか』って言われ続けて、胃が痛くてしょうがないってのに」


 そう言って石川は持参の胃薬を取り出すと、三粒ほど一気に飲み込んだ。


「このままだと石川サン、ストレスで髪がバカやべーことになりそうだな……」

「はあ!? 俺別にハゲてねーからな! 全然問題ねえし! 見てみろよ!!」


 そう言って石川は勢いよく前髪を持ち上げる。


「前からキテるだけだ」

「キテはいるんですのね……」

「あくまでキテる気配だけだからな! とにかく、これ以上始末書を量産するようならこのチームは解散、左遷だぞ。そうなったら実家からなんて言われることか。それに俺はあの上司より先にハゲる気もない。いいな、余計な問題は絶対に起こすなよ」

「へーい」

「それで事件の一つも解決してやるんだ! なんとしてもっ!」


 そうまとめると石川は、ウッドデッキの修復業者へと電話をかけ始めた。


「事件を解決……ねえ」


 見ればクラリスはまた、大さん橋を下りたところに隣接する象の鼻パークを眺めていた。


「また、お会いしたい……っ」

「お嬢のヤツ、頭ン中完全にお花畑じゃねーか…………いや、待てよ」


 レオンの脳裏に一つの閃きが走る。

 騒動の日、空白地帯になっていた大さん橋にやって来たクラリスは、誰かと出会った。

 あの日、この場所、その時間にここで大きな戦闘があったというのなら。


「――そいつ、なにか知ってっかもしんねーな」

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