第38話 吸血鬼対策室とグリムフォードの白百合.1

   ――英立魔法機関横浜東洋本部、総督の声明より。


 何者かによって解かれた、吸血鬼の封印。


 我々は目下、魔法都市の護りに全力を尽くしています。


 しかし昨日起きた騒動の背後には、吸血鬼の存在がありました。


 これは、英立魔法機関への宣戦布告に他なりません。


 封印から百年の時を経ても、未だ強い影響力を持つ吸血鬼。


 それはまさに恐るべき――『悪』の象徴。


 ……我々魔術士は、決して屈しません。


 英立魔法機関は、ここに吸血鬼事件専門の特設チームを編成します。


 そう、かつてその凶悪さによって魔法都市を恐怖に陥れた――。


 ――残虐なりし悪の王を、捕らえるために。


   ◆


「アリーシャちゃん、おなか減ったぁ」

「残虐なりし悪の王に、なにか作らせようって言うの?」


 復活を果たした伝説の吸血鬼、アリーシャ・アーヴェルブラッドはため息をついた。


「……まったく、何が食べたいのよ」


 機関員ですら全容を把握することのできない裏中華街。

 ここはさらにその最奥に位置する、吸血鬼たちの隠れ家だ。


「言っておくけど、ニンニクは使わないわよ」

「あ、本当に苦手なんだぁ」

「死ぬほどね。香りや味を思い出しただけで全身に寒気が走るくらいよ」

「それならぁ、アリーシャちゃんが美味しくなる魔法をかけたオムライスが食べたいなっ」


 真紅のソファーに寝転んだメアリーは、そう言って小首をかしげてみせた。

 仕草一つ、視線一つで男をトリコにすると言われる魔性の可愛さは、今日も健在だ。


「美味しくなる魔法? そんなものがあるの?」

「こーやって両手でハートを作ってぇ、『おいしくなーあれっ』って」

「……悪の吸血鬼にそんなマネができるわけないでしょう。異種の王は、そんな恥ずかしいおまじない絶対にしない」

「メアリーは可愛いと思うけどなぁ」

「それに、そもそも材料が足りな……買い出しに行くな玲ッ!」

「えー、でもオムライス食べたいんだもん。ね? ……お、ね、が、い」


 それは復活した吸血鬼を、転校生として学院に潜り込ませるほどの恐ろしい効果を持つ、メアリーの必殺技だ。しかし。


「その『おねがい』は女子には効かないと……だから買い出しに行くな玲ッ!」

「ハッ!」


 凛々しい瞳を持つ長身の少女が、アリーシャの声で我に返る。

 彼女こそ百年の封印から目覚めた吸血鬼のもとに誰より早く駆けつけ、この隠れ家を提供した異種人狼の剣士、大神玲だ。


「……ど、どうやら今回も我々に、その『おねがい』とやらは効かなかったようだな」

「せめてその鼻血を拭いてから言いなさいよ」

「くっ、アリーシャ様に『おいしくなーれ』をしていただけると考えたら身体が勝手に……」


 玲は悔しそうに拳を握る。


「浮かれて不用意な行動を取って、機関に目をつけられるのだけは避けるのよ」

「確かに、ここ数日の警戒態勢は異常なレベルですからね」

「いよいよ機関も本格的に動き出したわ。一刻も早く九条翔馬から吸血し、封印された魔力を取り戻さなければ」

「でもでもっ、もう力づくってワケにはいかないんだよねー?」


 メアリーは大きな目をキラリと輝かせた。


「……もう九条は、正面をきって戦えばどうにかなるというレベルの相手じゃないわ」


 まさか、あれだけの力をつけるだなんて……。

 魔法界最強の一角と呼ばれるアリーシャは、大さん橋における翔馬との戦いに敗れた。

 警備体制が強化されている現状では、あれだけの好機はそう訪れないだろう。


「と、いうことはっ?」

「……く、九条を、恋にオトして……隙を……突く」

「そうなっちゃうよねっ!」


 恋愛話が大好きなメアリーは、満面の笑みを浮かべた。

 一方でアリーシャは、先日の失敗を思い出して顔を赤くする。

 学院で翔馬に声をかけてはみたものの、結果はさんざんだった。

 手ひどい暴走をして、好感度を与えるどころかおかしな態度を取ってしまったのだ。


「んふふ。アリーシャちゃん。本当に大丈夫なのぉ?」

「と、当然よっ。悪の吸血鬼に不可能などない!」


 そう言って窓際に向かうと、アリーシャは一つ息をつく。

 ……そうよ、これしか九条に自然な形で接近ができる方法はないんだから。

 なんとしても、一日でも早く距離を縮めなくては。


「急がないと。力を取り戻す前にここを攻められでもしたら、終わりだもの」


 機関が攻め込んで来る前に九条翔馬をオトすんだ――――恋に。


「問題ありません。アリーシャ様に不可能なんてない。絶対にできます!」

「……玲」


 その背を押すかのように向けられた真摯な言葉。そこにあるのは、信頼。

 いつだって大神玲は、アリーシャの一番の味方なのだ。

 そして玲は、その凛々しい目で真っ直ぐにアリーシャの瞳を見つめると――。


「できます! 『おいしくなーれ』だって!」

「ちょっとでも信用した私がバカだったわ!」


 こうして外へと蹴り出された玲が再び隠れ家の中に入れてもらえたのは、それから八時間後のことだった。

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