第37話 隠れ家の夜

 魔法都市の夜。

 吸血鬼アリーシャの隠れ家には、大神玲とメアリーがやって来ていた。


「いやー、負けちゃったねっ」


 ちっとも困ってそうには見えない、愛らしい笑顔でメアリーが言った。


「ふーむ。あの機関員もなかなかの使い手だったが、あの九条という者も相当だぞ」


 背後に置いた『大自然のヌシ』こと全身ツタだらけの風花も含めて、三人はアリーシャと翔馬のバトルを観戦していた。

 アリーシャの能力はまさに最強の名にふさわしく、鳥肌が立つほどだった。

 だからこそ玲は「これは由々しき問題だ」と、まゆ頭にしわを寄せる。

 なにせそのアリーシャを、翔馬はたった一人で退けてしまったのだから。

 もはや近接戦闘においては、右に出る者がいないレベルだろう。


「でも九条くん、かっこよかったねぇ」

「それはそうだが……メアリーはどっちの味方なんだ」

「楽しくなればメアリーはどっちでもいいんでーすっ」

「大体なにか戦いの役に立つような魔法は持っていないのか?」

「んー、ケンカは苦手だからなぁ」


 そう言って「えいっ」と見るからに弱々しく、それでいてあざといパンチを披露してみせる。


「違う。もっと腰を入れる感じで……こうだ」

「こう?」

「違う、こうだ」


 玲による、必要以上に密着した正拳突き講座が始まる。

 その一方で、アリーシャはいつものソファから窓の外を眺めていた。


 九条……断ったわね。

 思い出していたのは、吸血の話を持ちかけた時のことだ。

 そもそも王手をかけていたあの状況で、選択肢を与えてやる必要はない。

 ただ、横濱公園で迷いなく異種の子を助けた姿を見て、翔馬なら「いいかも」と思った。

 だからわざわざ、悪の吸血鬼らしい取引を持ち掛けたのだ。


 ……まさか、迷う素振りすら見せないなんて。

 この街に住む者は皆、何においても魔法を評価基準としていて、その才能はノドから手が出るほど欲しいものであることは間違いない。

 ましてやそれが学院の生徒であればいっそうのはず。魔術士としてどれだけできるか。少なくともここでは『それが全て』と言ってもいいのだから。

 その上、九条は自分の魔術にコンプレックスを抱いていた。

 相手が何者でも助け、どんな好条件を出されても曲げない意思を持つ。

 九条はそういうやつ……。


「ねえ玲ちゃん。九条くんはどれくらい強くなっちゃったの?」

「ふむ、そうだな。こればかりは実際に戦ったアリーシャ様に聞くのが一番だろう」


 玲は鼻血を垂らしながら振り返る。


「アリーシャ様は、九条翔馬の強さをいかがお考えですか?」


 しかしアリーシャは窓の外を見たままで、反応しなかった。


「アリーシャ様?」

「……ん? なに?」

「いえ、九条翔馬をいかがお考えですかと」

「そうね……」


 ちょうど翔馬のことを考えていた最中だったアリーシャは、特に考えることなく思っていたことを口にする。


「まあ…………悪いヤツではなさそうだけど」

「「え?」」


 突拍子もない答えに、思わず二人は聞き返してしまった。

 玲は首を傾げる。そんな中でメアリーだけが「ははーん」とひらめきを覚えていた。


「でもでもそんなに強くなっちゃったらぁ、もう力づくで吸血するっていうのは難しいよねっ」

「なにが言いたいのよ」

「うんっ。よーするにぃ、これでまた九条くんを……」


 メアリーは小悪魔のような笑みを浮かべた。ウィンクと共に瞳から星が散る。


「オトさなきゃいけないねっ」

「…………あ」


 思い出したかのようにもれる声。わずかな沈黙が隠れ家を支配する。

 確かに、もはや翔馬は『戦えばどうにかなる』ような相手ではない。


「ふ、ふん」


 しかしすぐに我に返ると、アリーシャは立ち上がって窓際へと歩き出す。

 二人に背を見せる形で夜の魔法都市へと視線を向けると、一つ大きく息をつく。


「まったく問題ないな」


 それは異種の王にして夜を統べる者たる、威厳を感じさせる声だった。

 そして二人の方に振り返ることなく、アリーシャは告げる。


「なぜならそう、我は最高にして最強の――――悪の吸血鬼なのだから」


 そう、格好よく決めゼリフを口にしたアリーシャは、もちろん。

 とっくに涙目だった。

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