第36話 WANTED!!
吸血鬼との決闘の翌日。
「ふー、気持よかった」
シャワー上がりの風花は、髪を拭きながらリビングへと向かう。
ソファには、くつろぐ翔馬の姿があった。
大さん橋から逃げ出した後、無事に再会を果たした二人は、帰ってくると同時に倒れ込むように眠りについた。
今では傷や疲れこそあるものの、体調も問題なし。
特に翔馬はあれだけの死闘を演じた後だというのに、ほとんどいつも通りだった。
そんなところがなんとも翔馬らしく、思わず笑みがこぼれる。
風花は濡れ髪のままコップに水を注ぐと、翔馬のとなりへ向かう。
するとボタンを適当にとめただけのシャツに短パンという無防備な姿に、思わず翔馬の目が止まった。
「ん?」
そんな翔馬の視線に気づいた風花は、自分の姿を見下ろしてみる。
前が半開きのシャツから見えるのは、きれいなラインのお腹とへその小さなくぼみ。
それはつい数日前、スカートをたくし上げた時よりはマシな状況だ。しかし。
「わ、わ、わっ」
突然ものすごく恥ずかしくなって、慌ててシャツを引っ張りお腹を隠す。
「……ご、ごめんね」
「い、いや、あはは」
少し前まで男子機関員ごっこをしていた風花には、まだこういう隙が残っている。
今度は強引にシャツを引っ張り下ろしたせいでボタンが外れてしまい、白いブラジャーが丸見えだった。
「あっ、わわわわ」
そのことに気づいた風花は、耳まで赤くしながらボタンを留め始める――が。
「……あ、あれ?」
慌てているせいで、うまく留められない。
そんな風花を前に、翔馬は目のやり場に困って視線を背ける。
すると困る翔馬の雰囲気を感じ取った風花は、恥ずかしさに任せてホールから明らかに外れたところにボタンをグイグイ押し込み始めた。
あ、あれ、あれあれあれっ!?
それでも、押し続けた結果ボタンは運よく穴を通過する。
風花はどうにかボタンを留めることに成功して、大きく息をつく。
そしてそのまま翔馬のとなりに腰を下ろすと、両手でコップを持ち、どこか気恥ずかしそうに口元で水をぷくぷくさせ始めた。
「……風花のおかげで助かったよ。これでもうガントレットがある限りいきなり襲われて終了ってことにはならないし。これってかなりの進歩だよな」
なんとも言えない空気を打開するために、真面目な話を始める翔馬。
対して風花も、努めて普段の感じで応える。
「う、うん、そうだね。それってどんな魔法だったの?」
「まあ分かりやすく言うと『身体能力向上』の超強化版みたいな感じだな」
「そうなんだ。あの吸血鬼と真っ向から戦えるなんて……本当にすごいね」
「まあその分だけ魔力の消費も激しいんだけどさ」
翔馬は立ち上がるとキリッとした顔を作り、風花を吸血鬼に見立てて半身の体勢を取った。
そしてガントレットを見せつけるように手を持ち上げる。
「見せてやるよ、俺の魔法を」
「あはは」
ポーズまで決めてみせる翔馬に、自然と笑いがこぼれる。
「……でも、あれ? それってどこかで見たことがあるような……」
どこだろ…………あっ!
風花はようやくその正体に気がついた。
「わたしがやってたやつだ!」
そう、それはかつて風花がやっていた男子機関員ごっこの決めゼリフを引用したものだった。
「わあ! それはやめてーっ!」
「あれ? やっぱり自分で使いたい?」
「そういうことじゃないよ! もーっ! 翔馬くんのばかー!」
再び顔を真っ赤にした風花は、翔馬の脇腹にパンチを決める。
「あははは。俺も、言ってみたかったんだよ」
翔馬はそう言って、うれしそうに微笑んだ。
「それに、今思えば単なる思い付きってわけでもなかったしさ」
「どういうことだったのさ!」
「いつか俺の魔法を見せてやるって、一方的な約束をしたことがあったんだよ」
「……え?」
「もうずいぶん昔の話なんだけどさ」
「そう、なんだ」
「それとこいつにも助けられたよ。これがなかったら勝負を決められなかった」
そう言って取り出した魔封宝石を手に、翔馬はどこか驚いたような顔をしている風花に向き直る。
「本当にありがとう。助けてもらいっぱなしだな」
「そんなことないよ」
「風花の分のアイテムまでもらっちゃったしさ、なんか俺ばっかり悪いよ」
「ううん。わたしに必要だったのは、アイテムではなかったから」
機関に入ったばかりだった頃、祖父の一件で突然居場所を失ってしまったこと。
汚名を返上しようと決めたが、信用を失ったために事件の情報一つもらえなくなったこと。
それでも必死になって毎夜のように魔法都市を周る日々を過ごしたものの、なにも得られることはなく途方に暮れていたこと。
それでも、独り暗い街をあてもなく歩き続けた日々は……ムダじゃなかった。
これまでのことをもう一度振り返って、風花は思う。
あの夜、翔馬くんと出会ったことは、わたしにとって奇跡だったんだ。
吸血鬼の逮捕っていう目標ができたことで、本当に気持ちが楽になった。
……でも、それは一番大事なことではなくて。
大切なのは、前向きで優しい翔馬くんが一緒にいてくれるようになったこと。
今の自分がこんな風に笑えているのは、そのおかげなんだよ。
「……やっぱり、翔馬くんでよかった」
こぼすように、風花はそうつぶやいた。
「わたしに必要だったのはね……翔馬くんだったんだよ」
翔馬くんは知らないよね。あの戦いをわたしも見ていたこと。
絶体絶命の状況に追い込まれていたのに。
行き止まりなんて呼ばれていたのに。
魔術士なら絶対に断れないような条件を持ち出されたのに。
それでも、断った。断ってくれたんだ…………そしてわたしを、選んでくれた。
あの瞬間のことを思い出すだけで、胸が熱くなる。
本当のことを言うと、あの『選択の瞬間』は仕方ないかなって思ってたんだ。
わたしは翔馬くんが魔術に悩んでいるのを、間近で見ていたから。
だからこそ、本当にうれしかったんだよ。
それに……あの吸血鬼を追い詰めていく姿は……すごく……。
「……格好良かった」
「ん? どうした?」
「えっ? あ、ううん。なんでもないよっ! わたしの方こそ、ありがとう」
翔馬をじっと見つめてしまっていたことを、微笑むことでごまかす。
風花は、慣れない思いに戸惑い始めていた。
なんだかドキドキする。それに少し、顔が熱い。
胸が痛くて、でもそれはイヤな感じじゃなくて。
本当に、本当にどうしちゃったんだろう。
こんなこと、今までなかったのに。
「風花、これからもよろしく頼むな。共犯者として」
「うん」
「それと――」
「うん」
「――――恋人として」
「え」
風花、一瞬の停止。そして。
「ええええええええええええええええええ――――――――ッ!?」
「いやいや、なんでそんなに驚くんだよ。どっちも風花が言い出したんだぞ」
「……え? あ、そっか。そうだよね、あは、あはははは」
風花の大げさなリアクションに、翔馬は首を傾げる。
「なんで急に挙動がおかしく……いや、待てよ」
それはここまでの流れもあって、風花が『恋人』の部分を素で受け取ってしまったから起きたことだった。
そして翔馬はそのことを鋭く感知した。その目が、妖しく光る。
こんなの当然、やるしかない。
翔馬は即座にキリッとした顔を作ると、風花の目をしっかりと見つめた。
「……しょ、翔馬くん?」
その真っ直ぐな視線に思わずたじろぐ。すると。
「そういうわけだからさ。これからもよろしくな――」
翔馬はそう言って、優しく微笑んだ。
「――――まつり」
「うわーっ! だからそれはやめてよぉぉぉ――――っ!」
もう頭の先まで真っ赤になった風花は、キメ顔のままの翔馬の肩をこれでもかっていうくらいバシバシ叩く。
「もうもうもう! 本当に恥ずかしいのに! 翔馬くんのばかっ!」
止まらない。痛いほどの鼓動は高まっていくばかりだ。
ものすごく恥ずかしいのに、でもやっぱりイヤじゃなくて。なんだかもうワケが分からない。
「あははは、ごめんごめん」
「もう知らないよっ」
だからそんな風花にできるのは、怒ったフリしてそっぽを向いてみせることだけだった。
◆
風花ボタン留まらない事件から数十分。翔馬は風花との会話を続けていた。
「……それにしても、もうすっかりここに住み込んじゃってるよなぁ、俺」
「うん、そうだね」
まだ吸血鬼の封印を解いてしまった夜から数日しか経っていないというのに、この生活にもすっかり馴染んでしまった。
そして右手には、あの吸血鬼を追い返した奇跡のガントレットが輝いている。
翔馬は、事態が好転する兆しを感じていた。
これはイケる……イケるぞ。
魔法も使えるようになったし、風花との相性もいい。何もかもが上手くいってる。
何より機関が本格的な動きを見せていないのが大きい。現状でまだ誰にも目をつけてられていないし、なんだかんだで昨日の大騒動も無事に乗り切れた。
このまま機関が動き出すより先に吸血鬼を倒して、この事件を一気に解決してやる!
ちょうど翔馬がそう意気込んだ瞬間。
つけっぱなしだったテレビから流れ始めたニュースに、不意に目が留まった。
「あれ、これって山下公園だよな」
翔馬が言うと、風花もテレビに視線を向ける。
「そうだね、なんだろう。機関員が集まってる」
またしてもその場に呼ばれていない風花は、不思議そうに首を傾げた。
「な、なんか皆えらく緊張感のある顔してんな……」
そのピリピリとした雰囲気や顔つきに、翔馬はごくりとノドを鳴らす。
そこにはメガネをかけた二十代中盤ほどの男子機関員と、同じく目付きの悪い男子機関員が怖いくらいの表情をして整列している。
――――そして。
あ、あれ……?
翔馬の視線が、留まる。
この金髪の子って確か、吸血鬼と戦った後に声をかけてきた……。
そう。その機関員に翔馬は見覚えがあった。
クラリス・エインズワース。図書館で押し倒してしまった、あのお嬢様機関員だ。
「……な、なにが始まるんだ?」
テレビ画面が、機関総督と呼ばれる英立魔法機関のトップに切り替わる。
二人が注目する中、会見は始まった。
『先日の吸血鬼封印解除に際して、機関では駐在員の増加やパトロールの強化をもって魔法都市の安全対策としておりました』
吸血鬼関連の話か。いったいなんだろう。
『しかし昨日、各地で一斉に発生した騒動には裏で吸血鬼が動いていたという情報があり、英立魔法機関ではその影響力を鑑みて、現状よりもさらに徹底した捜査、そして警備の必要があると判断しました』
お、おい、なんか流れが変わったぞ!?
「なんだろう。すごく、すごく嫌な予感がする!」
『そのため本日をもって――』
「ちょちょちょちょっと待て! なんかマジで嫌な予感がするんだけど!」
手が、手が震え出したぞ!
しかし機関総督はそんなことを知る由もなく、容赦なくその続きを口にする。
『ここに吸血鬼封印解除事件を専門とする――――』
「やっぱり! やめろ!」
頼む、頼むからやめてくれッ!!
『特設部隊の設立を宣言します!』
「いやああああああああああ――――――――-ッ!!」
翔馬は一瞬で白目をむく。
な、なんてことだ。昨日の騒動は上手く片付けられたと思ってたのに……。
むしろあれが引き金になってしまうなんて。これであのお嬢様機関員の前で変なことを言ってしまったことも、一気に不安要素になっちゃったじゃないか!
よ、よし! 俺はもう風花宅と学院を往復するだけの生活をしよう!!
吸血鬼はもう学院地下にいないわけだし、そのおかげで機関員の駐在もあまりない。そう考えると学院は数少ない安息地と言っていいのかもしれない。
そうだ、そうしよう!
「この三人には、目をつけられないようにしないといけないね」
急に真面目な声で、風花が言った。
「……な、なんで?」
翔馬は白目をむいたままたずねる。
ななななんだろう、ままままた嫌な予感がし始めたんだけど。
ちょうどその時テレビに映っていたのは新垣友、五十嵐レオン、そしてクラリス・エインズワースの三人だった。
……ダメだぞ。
これ以上はダメだ! 絶対にダメだっ!!
「うん、だって」
頼む! 頼むからやめてくれッ!!
「彼女たちは――」
やめろ、やめろ、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――――ッ!!
「――――同じ魔法学院の生徒だからね」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――ッ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます