第35話 英立魔法機関
『猫娘飯店』は、中華街のアイドルと呼ばれる看板娘を持つ人気の中華料理店だ。
その名物である杏仁まんを頬ばりながら、新垣友は建物の屋根から屋根へと軽快に飛び移っていく。
「行儀が悪いからやめろ。ましてやお前は女子なんだから」と機関の上司から何度も言われているのだが、翌日にはそのことを忘れてまた『上の道』を使ってしまうのだ。
石造りの民家の屋根から出窓の多いマンションの屋上へと飛び移りながら、抱えた猫娘飯店の袋からまた一つ大好物の杏仁まんを取り出すと、ぱくりとかぶりつく。
そんな挙動に合わせて短い髪もぴょこぴょこゆれていた。
そして中華街から始まった屋根移動は、目的地であるマリンタワー最上部へと到着して――。
「おっととと」
最上階ではなく文字通り最上部の縁に着地した友は、後方へバランスをくずした。
「とととととっ! …………セーフっ!」
ブンブンと手を振り回し、どうにか持ち直す。
それから「ふう」と一つ息をつき、再び紙袋の中に手を突っ込んだ。
「あ、もう最後の一個だ」
紙袋を丸めて機関制服のポケットに押し込むと、友はタワーの先端部へと進んでお座りの姿勢を取る。そして地上百メートルを超える高さからぐるりと辺りを見回す。
そこは昼間の魔法都市横濱。
広い空、太陽に照らされてキラキラと輝く青い海、ゆらめく緑と並ぶ石造りの建物、そしてベイブリッジの先には古城にも似た英立魔法機関が見える。
こんな景色が楽しめるのだから、やっぱり屋根上移動はやめられない。
「ふぁ、見っふぇ」
探しものはすぐに見つかった。
口に含んだままの杏仁まんを飲み込み立ち上がると、グイーッと身体を伸ばす。制服のスカートが風にひらひらゆれて、肉付きよくハリのある太ももが陽光を弾いた。
「そっか! 山下公園集合だったんだね」
目的地を目視で確認すると、その反対側の縁ギリギリまで下がってわずかに腰を落とす。
「よーし、それじゃ行きますか!」
友は走り出した。
十角形のマリンタワー最上部を一気に駆け抜け、固有魔術『超自在跳躍』を発動する。
「せーのっ」
そしてそのままタワーの先端にたどり着くと――。
「ぴょーん!」
掛け声とともに、地上百六メートルから踏み切った。固有進化魔術特有の粒子が弾ける。
空中へと豪快に飛び出した友は、広い空と風を切る心地よさを全身で感じながら、約百二十メートルにもなる距離をまるで滑空でもするかのように一気に飛び降りていく。
「わっひゃーっ、やっぱ楽しーっ!」
そしてある程度着地点が見え始めてくると、あらためて着地の準備に入った。
「よっとォ!」
着地は、体操選手のように美しく。
どんな高さから落下しても、一定以上の衝撃は全て着地点に反射するDランクアイテム『リフレクトスニーカー隼足』により、足に痛みは全くない。
山下公園には、濃紺の制服に身を包んだ英立魔法機関の隊員たちが集まっていた。
現在は有形文化財として係留されている大型貨客船『氷川丸』の前に機関員たちが並ぶ姿は、海沿いのうららかな公園をどこか物々しく感じさせている。
「あっ、いたいた」
友はその中から見知った顔を見つけて駆け寄った。
「ちょっとレオンさん。あなたもう少しちゃんとできませんの?」
そこでは淡い金髪の女子機関員クラリス・エインズワースが、隣に並んだ目付きの悪い男子機関員に苦言を呈していた。
「……あぁ?」
注意された五十嵐レオンは、威嚇するような声をあげる。
「そのように制服もルーズに着崩して、英国を代表する機関のメンバーとしてのプライドが足りないのではなくて?」
「ちっ、相変わらずバカめんどくせーヤツだな」
「今日はテレビクルーの姿も見られますし、無様を見せるようなマネはするなと言っているのですわ。あなたもカザハナのように英立魔法機関の名を汚すつもりですの?」
「そんだったら集合時間に遅れてきた友の方が問題だろーが」
「友さんは、どうして遅れて来られましたの?」
「てひひ、お腹空いてて」
「お腹が空いていたですって……?」
遅刻の理由を聞いたクラリスはため息をつく。
「…………それなら仕方がありませんわね」
「どこが仕方ねーんだよ!」
こうしてもともと仲の悪い二人の関係は、今日もさっそくピリピリし始めた。
「ちっ、ご自慢の祖国イギリス様にクール宅急便で送り返してやろうかァ? 日本語も危ういバカ使えねーヤツをよこしてんじゃねえってな。もちろん着払いでだ」
挑発するようなレオンの言い方に対して、クラリスはわざとらしく頭を振ってみせた。
「まったくイヤですわ。こんなバーバリアンのような方が魔法機関のメンバーだなんて。昨晩奇跡の再会を果たしたあの方とは、スカイとグラウンドの差ですわね」
「はぁ? テメエいきなり何言ってやがんだ」
「わたくしを見るなりヒザをついて『君は僕の天使だ』とおっしゃいましたのよ。また……お会いしたいですわ」
エインズワース家はイギリスでも五指に入る魔術の名家であり、クラリスは横濱の機関員たちに一線引かれて扱われることが多い。
そのため、好意的な視線や言葉を向けてくる男はいなかった。
それだけに『自分を天使と呼ぶ異性』は鮮烈だったのだ。
「ハッ、どーせメガネをかけ忘れて顔が見えてなかったとかだろ」
「本当に素敵ですわ……突然押し倒されたかと思えば、再会の時には真摯に片ヒザを突いて見せる。噛みつくことしか特技を持たないどこかのストレイドッグとは違って、わたくしを翻弄するミステリアスなあのお方」
「あーあれだ、聞き間違えやがったな…………堕天使と」
「……なんですって」
堕天使という言葉に、ついにクラリスの怒りが限界を迎えた。
「なるほど、テレビクルーが来ているのは公開処刑のためでしたのね……」
そう言って腰に差したCランクアイテム『魔法剣アンタークティカ』を鞘からわずかに引き抜いた。冷気がもわりと白く吹き出す。
「お前のな」
対してレオンは感覚強化の魔法薬『レッドブルー』を飲み干し対抗する。
「英国でも数少ない、魔術士のロイヤルワラントを全て頂いたエインズワースを馬鹿にしたこと、ここで後悔させて差し上げますわ!」
「上等だこのヤロァーッ!」
まさに両者が踏み出したその瞬間。
突然クラリスとレオンの足元に銀色の光が走った。
「え?」「あぁん?」
二人の視線が足元へと落ちる。
見れば一本の鎖が足首にガッチリと巻きついていた。
彫金の施されたその鎖は、そのまま強烈な力で二人を引っ張りだす。
「きゃあああ!!」「チッ!」
そしてそのまま二人を宙へと吊るしあげてしまった。
「……お前らいいかげんにしろよ、仕事中だぞ」
一触即発状態の二人の前に、鎖を操っていたメガネの機関員がやってくる。
石川元春。伸びた髪を後頭部で雑に結んだこの機関員は三人の上司であり、友に「屋根から屋根に跳ぶような移動は止めろ」と言っているのもこの石川だ。
「先に抜いたのはお嬢の方っスよ」
「お、降ろしてくださいっ! スカートが、スカートがめくれてっ」
クラリスは必死になってスカートの裾を押さえるが間に合わず、黒いストッキングに包まれた水色レースの下着があらわになってしまっていた。
「知るか」
クラリスの必死な懇願にも、石川は取り合わない。
「テレビも来てるんだぞ。式で面倒を起こせば当然始末書を書かされることになる。そうなれば俺はまた責任を問われることになるわけだ。後は分かるな」
「わ、分かりますわ! 分かりますから早く下ろしてくださいっ!」
不満を隠そうともしない顔でプランプランされてるレオンに比べて、クラリスは顔を真っ赤にしながら訴える。
もうスカートは完全にめくれ上がってしまい、丸みのある柔らかそうなお尻が丸見えだ。
「いーや、まだだ。お前らのせいで俺たちは『始末書印刷所』なんて呼ばれてんだぞ。今日は機関総督もおいでになる。シャレじゃ済まないってことをよーく考えろ」
元々はエリートコースだった石川元春は、『機関の猛犬』と呼ばれるほどの荒くれ者であるレオンと組まされて以来、主に器物損壊の責任を取らされては昇進を取り逃してきた。
その上レオンとクラリスは何かある度にぶつかり合っては物を壊し、友も度々屋根を壊すのだから始末書の増え方はもはやつけっぱなしのコピー機並みの早さだった。
「……いいか、ゴシックチェインズはお前らの足に巻いたままにしておくからな。少しでも妙なマネをしてみろ、すぐに火花が上がるほどの電気を流すぞ。真面目な顔で黙ってろ、いいな」
そう言って石川はクラリスを静かに下ろした後、レオンを適当に落っことした。
「ほら、そろそろ整列だ。いいか、感電死したくなかったら真面目な顔をしてるんだぞ」
「はーい!」
元気に返事をしたのは、いつの間にかカモメと仲良く遊んでいた友だけだった。
「ああ、そういえば友はどうして遅刻して来たんだ?」
「いやー、お腹が空いてて」
「腹が減ってただぁ?」
式の開始時間には間に合ったものの、集合時間に遅れるというのは見過ごしていいことではない。石川は友の「てひひ」という笑顔にため息をつく。
「…………それなら仕方ないな」
「だから仕方なくねえんだよ!!」
これにはゴシックチェインズを巻かれたままのレオンも、さすがに言わざるをえないのだった。
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